第百十話……第十四代皇帝
――聖帝国暦六四五年七月中旬。
旧第六総管区の大半は、ユリウス=アストレアの手に落ちた。
惑星アクアの攻略を終えた新帝国軍艦隊は、降伏した旧大公国艦隊を伴い、惑星グラウゼンの衛星軌道上へ帰投した。
軌道上には、戦勝艦隊を迎えるための宇宙桟橋が用意されている。
損傷した艦艇が次々に係留され、負傷兵や捕虜が医療船へ移送されていく一方、ユリウスをはじめとする要人たちは、専用シャトルに分乗して地上へ降下した。
公都の宇宙港には、文官、軍人、地方貴族、市民の代表者たちが整列していた。
軍楽隊が荘厳な曲を奏で、新帝国の旗が風にはためく。
やがて、旧アーヴィング大公の宮殿において、盛大な戦勝式典が執り行われた。
◇◇◇◇◇
「カスパル=アーヴィング殿。御前へ」
儀礼官の声が、大広間に響き渡った。
呼び出されたのは、他でもないカスパルである。
彼は護衛を伴わず、居並ぶ文武百官の間をゆっくりと進み、玉座の前で膝をついた。
以前の尊大さは影を潜めていた。
その顔には敗者としての疲労と、これから下される処分への恐怖が浮かんでいる。
玉座に座るユリウスの傍らでは、老臣グレゴールが処分状を広げた。
「カスパル=アーヴィング殿」
ユリウスは静かに呼びかけた。
「そなたは再三にわたる帰順の勧告を拒み、兵を集め、我が軍に抗した。此度の反逆、断じて許しがたい」
「……ははっ」
カスパルは床へ額を近づけた。
「よって、そなたが支配していた領地の九割を召し上げる。また、ゴチエ資源帯をはじめとする主要鉱区、宇宙港、軍需施設については、皇室の直轄領とする」
大広間に小さなどよめきが起きた。
領地の九割を失う。
貴族にとって、それは手足をもぎ取られるに等しい処分である。
だが、ユリウスの言葉はまだ終わっていなかった。
「されど、亡きアーヴィング大公が帝国へ尽くした功績と、その家名を慕う臣民の心を鑑みる」
カスパルが、恐る恐る顔を上げた。
「皇太子ユリウス=アストレアは、そなたがアーヴィング大公家を継承することを認める。残された領地を善く治め、二度と臣民を戦火に巻き込まぬことを誓え」
カスパルは一瞬、言葉を失った。
処刑も、家名断絶も覚悟していたのである。
「は……ははっ!」
彼は再び深く頭を下げた。
「寛大なるご処置、恐悦至極にございます! 今後は二心なく、殿下に忠節を尽くしまする!」
アーヴィング大公家の領地は、もともと極めて広大であった。
その九割を召し上げられたとしても、カスパルの手元には、中級貴族をはるかに上回る権益が残される。
だが、最大の富を生み出してきたゴチエ資源帯をはじめ、主要な鉱山、エーテル油田、宇宙港、軍需産業のほとんどは、ユリウスの手中へ収まった。
大公の爵位は残された。
しかし、その実権は大きく削ぎ落とされたのである。
カスパル派に加わった貴族たちにも、厳しい処分が下された。
最後まで抵抗した者は領地の大半を召し上げられ、早期に降伏した者や、戦闘中に兵を救った者には減刑が認められた。
爵位を失った者もいれば、領地の一部を安堵された者もいる。
新帝国へ忠誠を誓う限り、むやみに家名を断絶させることはない。
ユリウスは、敵を罰しながらも、旧大公国の秩序そのものを破壊することは避けたのであった。
◇◇◇◇◇
しばらくして、カスパルはアーヴィング大公家に伝わる大礼服へ着替え、再び大広間へ姿を現した。
胸元には大公家の紋章が輝き、頭上には新たに継承を認められた大公冠が載せられている。
ユリウスは玉座からゆっくりと立ち上がった。
その右手の薬指には、正統皇位の証である荒鷲の金印が光っていた。
カスパルは玉座の前へ進み出ると、選帝侯として片膝をついた。
「臣、アーヴィング大公カスパル」
大広間が静まり返る。
「選帝侯として、諸侯ならびに文武百官の総意を代表し、汝ユリウス=アストレアを、第十四代銀河聖帝国ノヴァ皇帝に奉ずる」
敗れた旧大公家の後継者が、自らユリウスを皇帝に推戴する。
それは、旧第六総管区の支配権が正式にユリウスへ移ったことを、全宇宙へ示す政治的な儀式でもあった。
ユリウスは一歩前へ進み出た。
「諸侯と臣民の望み、謹んでお受けいたします」
グレゴールが、両手で帝冠を捧げ持って近づいた。
幾つもの宝石と黄金で飾られた、銀河聖帝国ノヴァの至高の冠である。
ユリウスは頭を垂れ、その帝冠を戴いた。
同時に、右手の荒鷲の金印が強い光を放つ。
複雑な認証紋が空中へ投影され、帝冠と金印が正統な継承者を認めたことを示した。
「皇帝陛下、万歳!」
最初に大きな声を響かせたのは、カスパルであった。
「アストレア帝、万歳!」
「銀河聖帝国ノヴァに栄光あれ!」
居並ぶ文武百官、地方貴族、軍人、有力商人、学者たちが、一斉に新皇帝の即位を祝った。
歓声は大広間を揺らし、宮殿の外に集まった群衆へも伝わっていく。
この瞬間、ユリウス=アストレアは、名実ともに銀河聖帝国ノヴァの第十四代皇帝となったのである。
◇◇◇◇◇
即位式の後、宮殿の大広間では立食形式の祝宴が催された。
厳格な席順に縛られる晩餐会よりも、人々が自由に行き来し、互いに交流できる。
新たに臣従した者たちと旧来の家臣を結びつけるには、その方がよいとユリウスが判断したためである。
会場の各所には、豪華な料理が並べられていた。
希少な果実を用いた酒。
百年以上の時を経た年代物のウイスキー。
遠方の星から運ばれた珍獣の肉や熟成チーズ。
惑星アクアで捕れた新鮮な魚介を使った料理も、色鮮やかに盛りつけられている。
「ねえねえ、坊ちゃん」
ツーシームが人垣をかき分け、ユリウスへ近づこうとした。
だが、その前へグレゴールが立ちはだかる。
「軽々しく皇帝陛下へ近づいてはなりませぬ」
「なんだよ。急に偉そうにしやがって」
「急にではありませぬ。今まさに、皇帝陛下となられたのです」
ユリウスは各地の有力貴族や商人、軍高官への挨拶に追われており、ツーシームの存在には気づいていない様子だった。
「ちぇっ。お高く留まりやがって。あたしだって、かなり頑張ったのになぁ」
「あはは。まあ、どれほど功績を挙げても、我々は宇宙海賊ですからな」
そばにいたビッグベアが、落ち込むツーシームの肩を押した。
「あちらに、うまそうな肉がありますぜ」
「肉?」
ツーシームの目が、すぐに輝いた。
二人が向かった先では、三つ星の料理人が、地球原種の肘川牛を焼き上げていた。
表面を香ばしく焼いた肉を、料理人が目の前で薄く切り分けていく。
ツーシームは皿を受け取ると、早速一切れを口へ放り込んだ。
「うまいねぇ」
「あはは」
ビッグベアは、自分の上官がうまい食べ物に弱いことを、よく知っていた。
続いて年代物の葡萄酒が並ぶ一角へ案内し、次から次へと試飲させる。
やがて、すっかり酔いの回ったツーシームを、宮殿内に用意された客室へ送り届けた。
◇◇◇◇◇
ツーシームが眠りに落ちてから、二時間ほどたった頃。
扉の外に、人の気配がした。
彼女は瞬時に目を覚まし、枕元に置いていた高周波サーベルを鞘から抜く。
低い駆動音と共に、刃が淡く輝いた。
「ツーシーム。起きてる?」
扉の向こうから、聞き慣れた声がした。
「僕だよ。ユリウスだよ」
ツーシームはサーベルを下ろさず、鼻を鳴らした。
「あたしは、偉い人に知り合いはいないねぇ」
「昼間はごめん。話しかけてくれたのは見えていたんだけど、どうしても抜けられなかったんだ」
「ふうん」
「もちろん、今回の君の功績は絶大だ。君がヘカトンケイル旅団の基地を発見してくれなければ、惑星アクアの攻略はもっと長引いていた」
扉の向こうで、ユリウスは少し言葉を切った。
「それで……今夜は君に相談したいことがあって来たんだ」
ツーシームは欠伸をしながら、サーベルを鞘へ戻した。
「自分で開けて入んな」
「皇帝に扉を開けさせるの?」
「開けられないなら帰んな」
「はいはい」
扉が静かに開き、新たに即位した皇帝が、自らツーシームの部屋へ入ってきた。
後年、ツーシームは歴史書の中で、皇帝に自ら私室の扉を開けさせた無礼な女と記されることになる。
彼女はその記述を知ると、腹を抱えて笑い、生涯にわたって自慢したという。
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