第百九話……大公から準男爵へ
――聖帝国暦六四五年七月上旬。
「若様……もはや、これまででございます」
ルントシュテット伯爵は、絞り出すような声でパスカルに告げた。
地下司令部の作戦室には、重苦しい沈黙が満ちていた。
壁面の戦況図に映し出されているのは、壊滅した宇宙艦隊を示す無数の赤い表示だった。
しかし、パスカルはなおも敗北を認めようとはしなかった。
「いや、まだだ。宇宙艦艇を失っただけではないか。地下基地には、いまだ五万もの惑星地上軍が残っている。一戦して、我らアーヴィング家の武を見せつけようぞ」
「……敵軍には、諸侯の私兵を合わせて五十万を超える惑星地上軍がおります」
伯爵は静かに首を振った。
「たとえ地下要塞へ籠もったとしても、いつまで持ちこたえられることか。それに、現在のアストレア政権は、降伏の機会を与えられながら最後まで抗戦し、敗れた者には苛烈な処罰を科しております」
「苛烈な処罰だと?」
「はい。最後まで抵抗すれば、若様とて例外ではございません。爵位も領地も奪われ、放射能汚染の激しい鉱区へ、奴隷として送られることになりましょう」
「な、なにを申す!」
パスカルは椅子から立ち上がった。
「仮にも私は大公であるぞ! 銀河に名を轟かせたアーヴィング家の当主なのだぞ!」
ルントシュテット伯爵は答えず、卓上の操作盤に手を触れた。
正面の大型モニターに、惑星アクア各地の映像が映し出される。
武器を捨て、隊列を組んで投降していく兵士たち。
装甲車両を放棄し、白旗を掲げる部隊。
輸送艇に乗り込み、次々と戦場を離れていく諸侯の地上軍。
もはや、パスカルの命令に従おうとする者はほとんど残っていなかった。
「これは……」
パスカルの顔から血の気が引いていった。
「若様。いま降伏なされば、まだ家名を残せる可能性がございます」
「家名を……」
「さようでございます。生きてさえおられれば、いつか再起の道も開けましょう」
もはや選択の余地はなかった。
パスカルは震える手を握り締め、屈辱に顔を歪めながら、アストレア政権へ和を乞うことを決断したのであった。
◇◇◇◇◇
――三日後。
パスカルは、新帝国軍旗艦ハンニバルへと招かれた。
かつて大公として無数の家臣を従えていた男は、わずかな供回りだけを連れ、皇帝候補であるユリウスの前へ進み出た。
玉座の間には、新帝国へ忠誠を誓った貴族たちが居並んでいる。
その視線を一身に浴びながら、パスカルは膝をついた。
「殿下。我が軍の敗北を認めます。これ以上の流血を避けるため、ここに降伏いたします」
パスカルは深く頭を垂れた。
「我が身はいかようにもなされよ。ただし、将兵と領民には、どうかご慈悲を賜りたく存じます」
いかにも潔い敗将を装った、決まり文句のような降伏の言葉だった。
それを聞いたユリウスは、玉座の上でわずかに口元を緩めた。
「よかろう」
玉座の間に緊張が走る。
「アーヴィング家は、全領地を没収のうえ、爵位を剥奪する。家門も断絶だ」
「……は?」
「そして、お主は放射能汚染鉱区の強制労働所へ送る。残る生涯、新帝国のために働くがよい」
パスカルは顔を上げた。
先ほどまで青白かった顔が、今度は死人のような色に変わっていく。
「お、お待ちくだされ!」
パスカルは床へ両手をついた。
「先ほどの言葉は、敗将としての方便にございます! 我が身をいかようにもとは申しましたが、まさか本当に強制労働所へ送られるとは……!」
居並ぶ貴族たちの間から、失笑が漏れた。
「わ、わずかで構いませぬ! 痩せた小領地でも、名ばかりの爵位でも結構! どうかアーヴィング家の名だけは、お残しくだされ! このとおりでございます!」
かつての大公は、額を床へ擦りつけるようにして懇願した。
貴族たちは、その姿へ嘲笑と侮蔑の眼差しを浴びせている。
「ふむ」
ユリウスは、わざと考え込むような仕草を見せた。
「では、お主は今後、生涯にわたって余に仕えると申すか?」
「はい! もちろんにございます!」
パスカルは勢いよく顔を上げた。
「殿下の御ため、常に軍の先陣へ立ち、必ずや武功を御覧に入れまする!」
「よかろう」
ユリウスは大きくうなずいた。
「ならば、パスカル・アーヴィングを準男爵へ叙する。また、所領として資源惑星バエルを与える」
大公から準男爵。
広大な大公国領から、辺境の資源惑星ひとつ。
あまりにも苛烈な降格であった。
「今後は身命を賭し、余に忠義を尽くせ」
「は、ははっ!」
パスカルは、床へ額を打ちつけるほど深く平伏した。
こうして、アーヴィング大公国は滅亡したのであった。
◇◇◇◇◇
――その晩。
ツーシームは、ユリウスの私室を訪れていた。
「ねえ、坊ちゃん」
ソファに腰を下ろしたツーシームは、いささか呆れたようにユリウスを見る。
「今日のあれ、さすがにやりすぎじゃないかい?」
「あはは。やっぱり、そう見えた?」
ユリウスは悪びれる様子もなく笑った。
「見えたもなにも、大公から準男爵だよ。パスカルの顔なんて、途中から宇宙空間に放り出された魚みたいになってたじゃないか」
「仕方ないよ。今までの僕は、少し甘すぎたんだ」
ユリウスの表情から笑みが消えた。
「そのせいで、君にもグレゴールたちにも、ずいぶん迷惑をかけてしまった。皇帝を目指す以上、敵にも味方にも、僕がどういう人間なのか示さなければならない」
「だからって、あそこまでやるかねぇ」
「まあ、五日後を楽しみにしていてよ」
「五日後?」
ツーシームは片方の眉を上げた。
「何かあるのかい?」
ユリウスが答えようとした、そのときだった。
私室の扉が静かにノックされた。
室外の警備システムが、訪問者の生体情報を照合する。
登録済みの人物。
武器の所持なし。
危険物反応なし。
自動警備装置の判断により、扉がゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、ルントシュテット伯爵であった。
「どうなされた、伯爵殿?」
ユリウスが問いかける。
しかし、伯爵はすぐには答えなかった。
その目は赤く腫れ、唇は小刻みに震えている。
「殿下……」
ようやく声を出した伯爵は、室内へ数歩進み出た。
「いかに敗軍の将とはいえ、最後まで抵抗せず、降伏を決断したアーヴィング家の当主を、準男爵にまで格下げなされるとは……」
声が震えた。
「これでは、亡き先代大公閣下に申し訳が立ちませぬ」
ユリウスは黙って伯爵の言葉を聞いていた。
「さらに申せば、殿下にもアーヴィング家から受けた恩がおありのはず。どうか、どうか今一度だけ、お考え直しを……」
そこまで言うと、ルントシュテット伯爵は膝をつき、その場へ泣き崩れた。
長年仕えてきた主家が滅びようとしている。
その悲しみと悔しさを、老伯爵はもはや抑えることができなかった。
ユリウスは立ち上がると、そっと伯爵の肩へ毛布を掛けた。
そして、周囲には聞こえぬほどの声で、伯爵の耳元へ何事かを囁いた。
「……ま、誠にございますか?」
伯爵は涙に濡れた顔を上げた。
「卑しくも皇帝を目指す者が、忠臣を欺くような嘘は申さぬ」
ユリウスは穏やかに答えた。
「三日だけ待たれよ。すべては、その日に明らかとなる」
「ありがとう……ございます」
ルントシュテット伯爵は再び頭を垂れた。
今度の涙は、先ほどまでとは異なるものであった。




