第百七話……大魚の巣
――聖帝国暦六四五年七月上旬。
惑星アクアの地下最高司令部で、ルントシュテット伯爵は苛立ちを募らせていた。
机上には、新たな被害報告書が置かれている。
また一隻、海中を航行していた輸送艦が撃沈されたのだ。
襲撃を受けた船からの通信はなく、護衛部隊も敵の姿を確認していない。輸送艦は何の前触れもなく魚雷を受け、そのまま深海へ沈んでいた。
ルントシュテット伯爵は報告書を机へ投げ出し、水中戦闘を専門とする若手参謀を呼びつけた。
「お呼びでございましょうか、閣下」
「ああ。そこへ座りたまえ」
「はっ」
若手参謀が緊張した面持ちで腰を下ろす。
「それでだな」
伯爵は指先で報告書を叩いた。
「我が領海内に、忌々しい敵の潜水艦が入り込んでいるようだ。なぜ発見できぬのかね?」
「はい。敵艦と思われる船は、能動ソナーに反応せず、聴音装置を駆使しても、推進機関の駆動音すら捉えられません」
「まったく音がしないと?」
「はい。襲撃時に魚雷の航走音が確認されるだけで、発射元は特定できておりませぬ。まるで、海の中に幽霊船がいるかのようで……」
「馬鹿なことを申すな!」
伯爵が机を叩いた。
「現実に幽霊船など存在するものか!」
「……も、申し訳ございません」
若手参謀は額に浮かんだ汗を拭った。
「ただし、可能性は低いものの、敵艦が次元潜航艇であるとの意見もございます」
「次元潜航艇だと?」
「はい。異次元との狭間へ船体を移せば、我々と同じ空間には存在しなくなります。通常のソナーや聴音装置で探知できないのも説明がつきます」
伯爵は不機嫌そうに眉を寄せた。
「それほど有用な兵器なら、なぜ我が軍は使っておらぬのだ?」
「次元潜航艇は、操縦者の脳波と艦艇を直接連動させる特殊な制御方式を用います。適性を持つ者が極めて少なく、誰にでも扱える兵器ではございません」
「訓練では、どうにもならぬのか?」
「それだけではありません。水中と異次元の狭間を航行している間は、通常の観測装置がほとんど機能しなくなります」
若手参謀は、卓上に簡単な立体映像を表示した。
「操縦者は周囲の地形も、海流も、他の艦艇の位置も把握できませぬ。例えるならば、目隠しをしたまま深海を全速力で進むようなものです」
「岩礁へ衝突すれば?」
「一瞬で沈みます」
「海底火山や海溝へ入り込めば?」
「帰還は困難かと」
伯爵はしばらく考え込み、椅子の背へ体を預けた。
「つまり、次元潜航艇である可能性は否定できぬが、現実には薄いということか」
「はい。司令部では、極めて隠密性に優れたステルス潜水艦による犯行と判断しております」
「被害の総量は、今のところ大きくない」
ルントシュテット伯爵は報告書へ目を落とした。
「だが、敵の姿さえ見えぬとなれば、輸送船の乗員が怯える。放置すれば、補給部隊全体の士気に関わるぞ」
「おっしゃる通りにございます」
「護衛艦を増やし、場所を限定して機雷原を設けよ。輸送航路も毎日変更するのだ。何としてでも早急に対処せよ」
「はっ!」
若手参謀は立ち上がり、逃げるように司令室を後にした。
◇◇◇◇◇
敵司令部の推測とは裏腹に、異次元潜航海賊船モリガンは、惑星アクアの海の深部を悠々と進んでいた。
次元潜航艇による深海での隠密航行は、理論上は可能である。
だが、それを実行するには、通常のセンサーが捉えた情報を眺めるだけでは足りない。
周囲の重力波、磁力線、電磁波、海流、水圧。
それら膨大な情報を、操縦者が自らの感覚として直接受け取らなければならなかった。
つまり、普通の人間には不可能な航法だった。
今、ツーシームの頭部には、無数の接続コードが取り付けられている。
一本一本が、モリガンに搭載された繊細な高性能センサーへつながり、周囲の情報を彼女の脳へ直接送り込んでいた。
ツーシームは、いわば艦そのものになっていた。
目を閉じていても、数十キロ先の海底地形が分かる。
岩礁の向こうを泳ぐ魚の群れも、海底を走る微弱な磁力線も、遠方を航行する潜水艦が生み出す重力の歪みも見えていた。
そんな彼女の右手には、火のついた安煙草。
左手には、携帯灰皿が握られている。
「船長、船内は禁煙ですぜ!」
ビッグベアが呆れた声を上げた。
「うるさいよ、トム」
ツーシームは煙を吐き出した。
「こんな神経を使う仕事、しらふでできるわけないだろ?」
「煙草を吸っても、しらふはしらふでしょうが」
「細かい男は嫌われるよ」
「火災になったら、全員死にますぜ」
「灰はちゃんと、これに入れてるじゃないか」
ツーシームは携帯灰皿を振ってみせた。
ビッグベアは諦めたように首を振る。
「それで、例の格納庫は見つかりそうですかい?」
「後ろの薬物中毒野郎に聞きな」
ツーシームが親指で後方を示した。
そこではカタコン技師が、量子探信儀の吐き出した大量の観測資料に埋もれていた。
「聞こえてますよ」
カタコンは資料の山から顔を出した。
「正確には、治療薬の副作用です」
「似たようなもんだろ」
「まったく違います」
カタコンは不満そうに言い返しながら、立体海図を呼び出した。
「もっとも怪しいのは、この一帯ですね」
海図上の一点が赤く表示される。
「輸送艦の航路が、必ずこの海域を避けています。それに、この周辺だけ海底の磁場が不自然に歪んでいる」
「巨大な施設が、磁場を乱しているということですかい?」
ビッグベアが尋ねる。
「おそらくは。人工的に磁場を偽装しているつもりなのでしょうが、逆に周囲と違いすぎます」
「じゃあ、行ってみようか」
モリガンは進路を変え、深い海溝に沿って目的地へ接近した。
やがて前方に、巨大な岩礁が見えてくる。
一見すれば、どこにでもある海底地形だった。
だが、よく見れば岩礁の各所がコンクリートや金属板で補強されている。岩肌に偽装された巨大な防護扉もあり、その周囲には警備用の小型潜水艇が群れを成していた。
潜水艇は絶えず巡回し、岩礁の隙間からは、輸送船や整備艇が出入りしている。
ツーシームは煙草をくわえたまま、目を細めた。
「もう、これで決まりじゃない?」
「ええ。間違いないでしょう」
カタコンが頷いた。
「ヘカトンケイル旅団の海中格納庫です」
「船長、攻撃しますかい?」
ツーシームは煙草を携帯灰皿へ押しつけた。
「場所さえ分かれば、あとは坊ちゃんの仕事だよ」
彼女は素早く暗号電文を作成し、海面付近に待機させていた小型通信装置を経由して、ユリウスの旗艦へ送信した。
電文は、わずか一文だった。
『大魚の巣を発見。今夜の献立にどうぞ』
数秒後、受信確認を示す光が点灯する。
惑星アクアを守ってきた海の怪物の巣は、ついにその所在を新帝国軍へ知られたのであった。




