第百六話……深海の海賊
――聖帝国暦六四五年六月下旬。
ユリウス率いる新帝国軍は、惑星アクアの攻略に苦戦していた。
惑星アクアは、人口や産業構造だけを見れば資源惑星に分類される。
軍事施設が地表の大部分を占めている以上、本来であれば大規模な艦砲射撃も許容されるはずであった。
だが、この惑星の海には、他の星々ではすでに絶滅した海洋生物が数多く生息していた。
交戦条約は、希少生物が確認された海域への無差別攻撃を禁じている。
攻撃可能な場所、兵器の種類、投入できる火力のすべてに、厳しい制限が課されていた。
「装甲空母を前進させよ!」
「はっ!」
ユリウスの命令を受け、艦隊中央から複数の大型艦が進み出た。
装甲空母は、新帝国軍が近年配備を始めた新鋭艦である。
宇宙空間で使用する宇宙戦闘機と、大気圏内で運用する気圏戦闘機。
その双方を搭載し、発着艦および補給や整備できる多目的空母であった。
また、艦体には分厚い装甲と強力な防御障壁が備えられており、敵の砲撃下でも航空部隊を展開できる。
「砲撃艦隊、海面上の確認済みの浮遊対空陣地を制圧せよ。海中へは撃ち込むな!」
「了解!」
新帝国軍のビーム砲は、海面へ突入した時点で急速に減衰する。
それでも、装甲空母や強襲揚陸艦が大気圏へ突入する間、敵の対空砲火を抑えるには十分な威力があった。
長距離砲撃を得意とするヘカトンケイル戦略砲兵旅団も、確認されている艦艇は五十隻前後にすぎない。
海中へ潜伏できる地形的優位を失えば、千隻近い新帝国軍艦隊に正面から抗することはできなかった。
惑星アクアの地表を覆うものが、流体金属ではなく海水であることにも意味があった。
流体金属の海へ艦艇を潜ませる場合、施設や船体の腐食や高熱への対策が必要になる。
桟橋、埠頭、防護隔壁、海中扉の建設費も莫大となり、維持するだけで国家予算を食い潰しかねない。
対して、海水ならば既存の潜水技術を応用できる。
さらに、自然の海溝や岩礁を利用し、安価に巨大な防衛網を構築できる。
惑星アクアは、限られた予算で造られた要塞として、驚異的な費用対効果を発揮していた。
◇◇◇◇◇
パウルス元帥率いる強襲部隊は、気圏戦闘機の物量をもって、いくつかの対空陣地と航空基地を占領した。
新帝国軍の気圏戦闘機は、数でも性能でも防衛側を圧倒していた。
しかし、目下の最重要目標であるヘカトンケイル旅団の根拠地は、依然として発見できていない。
海中基地がどこにあるか分からぬ以上、大規模な物資集積所や恒久的な攻略陣地を海岸部へ築くことも危険だった。
夜のうちに、敵の重砲艦が突如として海面へ浮上すれば、陸揚げした物資や輸送船が強力な砲火を受ける恐れがある。
「占領地域は広がっていますが、攻略はほとんど進んでおりませんな」
パウルスの報告に、ユリウスは難しい表情を浮かべた。
「海を全部調べるわけにもいきませんからね」
惑星の九六パーセントを覆う海洋。
そのすべてを捜索するなど、不可能に近い。
その時、ユリウスの前にある通信モニターが点灯した。
「坊ちゃん、聞こえる?」
画面に映し出されたのは、ツーシームであった。
「ツーシーム!」
「惑星破壊砲を運ぶのに手間取ってね。やっと着いたよ」
彼女の乗る海賊船モリガンとその僚艦は、惑星破壊砲を曳航してきたため、通常よりも大幅に航行速度が落ちていたのである。
「待っていました。でも、事情が変わったんです。その砲は、簡単には使えません」
「どういうこと?」
ユリウスは、惑星アクアの海に多数の絶滅危惧種が生息していることを説明した。
その遺伝子や生体成分を研究すれば、現在は治療不能とされている病に対し、未知の特効薬を生み出せる可能性さえある。
軍事上の都合だけで海洋生態系を破壊することは、帝国臣民全体の将来に大きな損失をもたらしかねなかった。
「なるほどねぇ」
ツーシームは腕を組んだ。
「だったら、ヘカトンケイルの巣だけ撃てばいいんじゃない?」
「その場所が分からないから困っているんです」
「じゃあ、探してくるわ」
「え?」
「モリガンは潜れるからね」
ツーシームは、何でもないことのように告げた。
「敵の裏庭を、ちょっと散歩してくるよ」
◇◇◇◇◇
希少機器の塊ともいえる異次元潜航海賊船モリガンは、異次元の境目に艦を沈めた後、惑星アクアの大気圏へ突入した。
海面へ着水した黒い船体は、そのまま音もなく海中へ沈んでいく。
海中航行に移ったモリガンの周囲を、色鮮やかな魚の群れが泳いでいた。
外から見れば、巨大な海洋生物が海底へ潜っていくようにも見えただろう。
「船長!」
索敵担当の海賊が歓声を上げた。
「こりゃあ、撃ち放題ですぜ!」
惑星アクアの海中では、軍用の潜水艦だけでなく、多数の輸送船が無防備に航行していた。
貴重な量子エーテルを運ぶ潜水タンカー。
ミサイルや空間魚雷を満載した潜水輸送艦。
兵員や食料を運搬する大型潜航船。
新帝国軍に海中への侵攻能力がないと思い込み、護衛艦すら付けずに往来している船も多かった。
海中では激しい潮流が絶えず動き、水温や塩分濃度も複雑に変化する。
音響探知も電磁波探知も、その影響を強く受けた。
通常の艦艇であれば、十数キロ先を航行する船を正確に捉えることは難しい。
だが、ツーシームには通用しなかった。
彼女の目には、水の流れだけでなく、周囲に存在する物体が生み出す重力の歪みまで見えている。
「右舷前方。大型船が一隻」
ツーシームは艦橋の正面を指さした。
「距離、およそ六十キロ。かなり重い。量子エーテルのタンカーじゃないかな」
「こちらの探知機には、何も映っていませんぜ」
「……でも、いるよ」
ツーシームは椅子へ深く腰を下ろした。
「光子魚雷は温存する。こんな荷船に使うのはもったいないからね。超音速魚雷で仕留めるよ」
「了解!」
「発射管一番、二番。注水開始!」
「発射準備完了!」
「目標、大型潜水タンカー。発射!」
二本の超音速魚雷が、モリガンの発射管から撃ち出された。
魚雷は海水を切り裂き、白い気泡の筋を残しながら目標へ突進する。
潜水タンカーが魚雷の接近を察知した時には、すでに回避できる距離ではなかった。
一発目が船体中央部へ命中。
続く二発目が、量子エーテルを貯蔵する隔壁を貫いた。
海中で、巨大な光が膨れ上がった。
衝撃波が周囲の海水を押し広げ、タンカーの船体が内側から破裂する。
大量の気泡と残骸が海面へ向かって浮かび上がっていった。
「命中。目標、完全に沈黙しました!」
「次を探すよ。もっといい獲物はいないかねぇ?」
ツーシームが命じる横で、ゾル婆が黙々と算盤を弾いていた。
戦闘中だというのに、彼女だけは普段と何も変わらない。
「いまので、船体と積み荷を合わせて百六十億帝国ルーブルが海の藻屑じゃな」
ゾル婆は、算盤の珠を一つ弾いた。
「まったく、もったいないのう」
「敵の物なんだからいいだろ?」
「船長。金というものは、敵味方を選ばんのじゃよ」
海中で巨大な爆発が起きる中、ゾル婆の嘆息だけが、ひどく平和に艦橋へ響いた。




