第百五話……戦争商人
――聖帝国暦六四五年六月中旬。
銀河聖帝国ノヴァの首都星ベルゼブブ。
中核都市ルシフェルにそびえる帝国最高議事堂の閣議室では、ローゼンタール総統兼宰相を中心に、帝国の今後を左右する討議が行われていた。
「現在、真っ先に討つべきは、アストレアの偽帝であると考えます」
そう主張したのは、ロサリオ副総統であった。
ブラウンの髪を持つ、若く聡明な美青年である。行政能力のみならず弁舌にも優れ、ローゼンタールが特に目をかけている人物だった。
二人の間には、政治上の信頼だけでは説明できない特別な関係があるという噂も、宮廷内ではまことしやかに囁かれていた。
「いや、そうとも参りますまい」
異論を唱えたのは、外務尚書アリアスであった。
白髪で細身の老人であり、ローゼンタール家の家宰を長く務めてきた。
幼少期のマリアーヌに政治や歴史を教えた、師とも呼ぶべき人物である。
「現在の国力を、我が帝国が幾ばくか衰退しているとして十とするならば、アストレアの偽帝国は二、ルドミラ教国は一といったところでしょう」
アリアスは卓上へ星域図を投影した。
「アストレアの小僧は、領地経営と人心掌握に長けております。時間を与えれば、二が三となり、やがて五にもなりかねませぬ」
「だからこそ、今のうちに叩くべきでは?」
ロサリオが問い返す。
「逆でございます」
アリアスは細い指で、ルドミラ教国領を示した。
「アストレアと戦う最中に、教国が背後から動けば厄介です。定石に従うならば、邪魔が入らぬうちに最も弱い一を滅ぼすべきでしょう」
「なるほど」
軍務尚書ハイアットが頷いた。
「では、首都防衛に近衛師団を残し、再びルドミラ教国領へ侵攻いたしますかな。今回はアストレアの偽帝も、惑星アクア攻略に手を取られ、援軍には来られますまい」
「ただし、問題がございます」
ハイアットは言葉を続けた。
「度重なる敗戦の責任を取り、帝国総軍作戦部長クライツ上級元帥は、軍事最高顧問へと退きました。また、帝国艦隊司令長官レオンハルト元帥も、予備役への編入が決まっております」
閣議室が静まり返る。
「帝国軍の最重要職が二つとも空席となります。遠征軍の総指揮を、誰に任せるべきでしょうか?」
「ロサリオでよいのではないか?」
ローゼンタールは、さも当然のように答えた。
「副総統として占領地を統治する権限も持たせられる。軍部から経験豊富な参謀を選び、補佐につけてやればよかろう」
「お待ちください」
ロサリオが立ち上がった。
「総統閣下。私は以前より、閣下のご命令に従い、行政府直属艦隊の編成を進めてまいりました」
「承知している」
「艦艇も乗員も、帝国軍の中から精鋭を選抜しております。幕僚についても、すでに私が信頼できる者を集めました」
ロサリオは胸へ手を当てた。
「遠征軍司令部は、私の直属幕僚だけで十分にございます。新たに軍部の者を入れれば、指揮系統が乱れかねません」
ローゼンタールはしばらく青年を見つめた。
その発言は、自信の表れでもあった。
同時に、既存の軍部から口出しを受けたくないという意思表示でもある。
「ふむ。そこまで申すならば、任せてみるとしよう」
ローゼンタールは閣僚たちを見渡した。
「教皇軍は、先の帝国軍との戦いで大きな損害を受けたと聞く。ロサリオ副総統の直属艦隊だけでも、十分に勝利できると思うが、皆はどうか?」
「異論ございません」
財務尚書ジョンソンが、間髪を入れず賛同した。
「我が国の財政事情を考えましても、遠征軍の規模を限定できるのは望ましいことでございます」
他の閣僚たちも、次々に同意を示した。
反対する者はいなかった。
こうして、ロサリオ副総統を司令官とするルドミラ教国領への再侵攻が、正式に決定されたのである。
◇◇◇◇◇
銀河聖帝国ノヴァ、第四総管区。
その中枢惑星アスタロトには、明確に首都と呼べる都市が存在しなかった。
巨大都市群が惑星各地に広がり、それらが高速鉄道と航空路によって結ばれている。地表の約四割は、相互に繫栄し結び付いたメガロポリスによって覆われていた。
一方で、その華やかな都市群の周囲には、地表の六割にも及ぶ広大な貧民街が広がっている。
天を突く超高層建築。
夜空を昼のように照らす広告映像。
空を行き交う高級飛行車。
その足元では、住む場所すら持たぬ人々が、企業の廃棄物を拾って暮らしていた。
自由な経済競争を至上の価値とした社会が行き着いた、繁栄と貧困の惑星であった。
その地下深くに築かれた豪邸で、第四総管区長マスターデリオンは、ゆったりとソファへ体を沈めていた。
禿げ上がった頭に、小太りの体。
一見すれば、柔和で人当たりのよい老人にしか見えない。
だが、彼は第四総管区に集う企業、商会、傭兵、量子エーテル利権を束ねる、この星域最大の権力者であった。
壁一面を占める透明窓の向こうには、巨大な回遊水槽が広がっている。
大型回遊魚や珍しい深海魚だけでなく、すでに自然界では絶滅したはずの海洋生物まで、人工海流の中を悠然と泳いでいた。
「閣下」
若い女性秘書が、情報端末を手に近づいた。
「ルドミラ教国政府より、国債の引き受けに応じるよう、正式な要請が届いております」
「額面は四千億ルーブルであったかな?」
「はい。しかし、前回発行分の償還も遅れております」
秘書は眉をひそめた。
「今回も引き受ければ、回収不能となる恐れがございます。いかがなさいますか?」
「ふふふ」
マスターデリオンは、グラスの中の葡萄酒を揺らした。
「ただ金を貸すだけなら、確かに悪い話だ」
「……では、お断りに?」
「いや、今回は条件がある」
老人は水槽を泳ぐ巨大魚を眺めながら、口元を緩めた。
「教国は、借り入れた四千億ルーブルの大半を使い、我が第四総管区から兵器を購入するそうだ」
「兵器を?」
「工業惑星インドラですでに建造している汎用性の高い艦艇などだ。教国が受け取った債券の代金が、そのまま我々の造船企業へ流れ込む。もちろん平和条項をクリアした艦種だよ……」
マスターデリオンは楽しげに笑った。
「我々が貸した金で、我々の商品を買ってくれるのだ。しかも利息まで支払うと申している。悪い話ではあるまいて」
「教国が敗れれば、債券は紙切れになりますが?」
「その時は、担保として教国の鉱山や宇宙港をいただけばよい」
きっと、彼にとって重要なのは、どちらが正統な国家であるかではない。
旧帝国が勝とうが、ルドミラ教国が勝とうが、アストレア家が勢力を広げようが、戦争が続く限り兵器は売れる。
敵対する二つの国へ、同じ種類の艦艇を提供することさえ、彼にとっては商取引の一つにすぎなかったのだ
。
「教国へ回答せよ。四千億ルーブル、全額引き受けるとな」
「承知いたしました」
秘書は深く一礼した後、葡萄酒の瓶を手に、マスターデリオンの隣へ腰を下ろした。
老人はグラスを差し出し、再び葡萄酒を注がせる。
窓の向こうでは、絶滅したはずの巨大魚が、小さな魚の群れを一口でのみ込んだ。
マスターデリオンはその光景を眺めながら、満足そうに目を細めた。
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