第百四話……全権委任法
アーヴィング大公国が、ルドミラ教国へ外交的な働きかけを行っていた頃。
いわゆる旧帝国では、第六総管区や第五総管区における反乱を鎮圧するため、各星系の住民に過酷な臨時課税を課していた。
艦艇の建造費。
増員した兵士への給与。
失われた軍需物資の補充。
そして、治安維持隊を各地へ派遣するための莫大な経費。
それらの負担は、すべて帝国臣民へ押しつけられた。
日々の食料品や生活必需品にまで特別税が加算され、工場や商店には軍事協力金が割り当てられる。
納税が遅れた者は財産を差し押さえられ、辺境星系では、税を払うために土地や宇宙船を手放す者まで現れていた。
そのため、帝国各地ではさまざまな反政府団体が結成された。
自由選挙を求める政治結社。
課税の撤廃を訴える商工業者の連合。
星系自治を掲げる地方運動。
思想や立場は異なっていたが、彼らは共通して中央政府への不満を抱き、各地で大規模な抗議活動を繰り広げていた。
「我々は必ず、再び一つの帝国となる!」
ノクターン総統は、旧帝国領の主要星系を巡り、精力的に遊説を続けていた。
「今は苦しい時期である。だが、辺境区の反乱を鎮圧し、帝国の秩序を回復した暁には、必ずや豊かな暮らしを取り戻してみせる!」
演説会場の周囲には、多数の抗議者も集まっていた。
総統を支持する者もいれば、臨時課税の撤廃を叫ぶ者もいる。
警備部隊が両者の間に立ち、辛うじて衝突を防いでいた。
演説を終えたノクターン公爵は、沿道に手を振りながら、黒塗りの専用車へ乗り込んだ。
その車両は、帝国最高水準の防護設備を備えた特注品である。
強力な電磁防壁。
物理弾を逸らす防御重力場。
厚い複合装甲と、防弾透明材。
通常の銃撃であれば、何百発撃ち込まれようとも、車内の要人を傷つけることはできないはずであった。
……だが、その時。
車両の防御装置は、なぜか作動しなかった。
四方から、ほとんど同時に銃声が響いた。
六発の実体弾が車窓を突き破り、ノクターン公爵の胸部へ集中して突き刺さる。
「ぐっ……!」
総統は大量の血を吐き、座席へ倒れ込んだ。
砕けた透明材の破片が、血に染まった軍服の上へ降り注いだ。
運転手が慌てて車両を急発進させる。
同時に、どこに潜んでいたのかと思えるほど多くの警備兵が沿道へ姿を現した。
「全員、地面に伏せろ!」
「動くな!」
「抵抗する者は射殺する!」
総統暗殺の報が広がるよりも早く、現場一帯は完全に制圧された。
抗議活動に参加していた者たちは、老若男女を問わず次々に拘束され、待機していた護送車へ押し込まれていく。
だが、銃撃を実行した暗殺者は一人も確保されなかった。
使用された武器も、狙撃地点も特定できない。
残されたのは、機能しなかった防御装置と、総統の体から摘出された六発の弾丸だけであった。
◇◇◇◇◇
事件発生から、およそ十五分後。
帝国宰相マリアーヌ=ローゼンタールは、旧帝国領全域へ緊急事態宣言を発令した。
それは、あまりにも迅速な対応であった。
彼女は首都星ネオ・ベルゼブブの中央政庁から、全星系に向けて声明を発表した。
「国父たるノクターン公爵を無残にも弑逆した凶賊を、断じて許してはなりません」
画面に映るローゼンタールは、黒い喪服をまとい、目元を赤くしていた。
「政府に反対する勢力の中に、暗殺者およびその協力者が潜んでいるものと判断します。帝国政府は全力を挙げて凶賊を捜索し、必ずや法の裁きを受けさせます」
その宣言と同時に、治安維持隊が動き出した。
自由民主主義を掲げる政治結社。
星系自治を主張する市民団体。
臨時課税へ反対していた商工業者の組合。
帝国各地にある事務所へ、武装した治安維持隊が一斉に突入した。
「国家反逆罪の容疑で逮捕する!」
「書類と通信端末、流動資産をすべて押収しろ!」
構成員たちは次々に拘束された。
中には暗殺事件とは何の関係もない者も多く含まれていた。
抗議活動へ一度参加しただけの者。
反政府団体へ少額を寄付した商人。
政府を批判する記事を書いた記者。
彼らもまた、反乱協力者として連行された。
取り調べは苛烈を極めた。
長時間の拘束、食事や睡眠の制限、家族への脅迫。
時には、証言を引き出すために非人道的な手段が用いられたとの噂も流れた。
だが、報道機関はそれを伝えなかった。
同じ穴の狢だったのである。
さらに混乱は、帝国政府の中枢にも及んだ。
人権保護を訴えていた反宰相派の貴族閣僚が、自邸で武装集団の襲撃を受けて死亡。
臨時課税の緩和を主張していた経済資源担当閣僚も、移動中の宇宙船を爆破され、命を落とした。
星間ニュースは、いずれの事件についても、反政府組織による犯行と報じた。
しかし、その根拠が公表されることはなかった。
◇◇◇◇◇
ノクターン総統の死から数日後。
首都星ネオ・ベルゼブブの貴族議会において、臨時の首班指名選挙が行われた。
帝国全土が混乱する中、候補者として名乗りを上げる者はほとんどいなかった。
有力貴族たちは暗殺を恐れ、あるいはすでに治安維持隊から監視を受けていた。
投票の結果、宰相マリアーヌ=ローゼンタールが、大差で第二代総統へ選出された。
ノクターン総統の就任時とは、状況が大きく異なっていた。
各地で反乱が続き、財政は悪化し、先代総統までもが暗殺された。
この非常事態に対処するには、従来の制度では不十分である。
そう主張する議員たちによって、新たな法律が提出された。
【全権委任法】
総統は、帝国の安全と秩序を守るために必要と判断した場合、貴族議会の承認を経ず、法律の制定、課税、軍の動員、財産の接収を行うことができる。
さらに、司法機関や地方政府へ直接命令を下す権限まで認められていた。
法案は、圧倒的多数によって可決された。
反対票を投じた議員は、ごくわずかであった。
その者たちの多くは、議会を出た直後に治安維持隊から事情聴取を受けたという。
こうして、マリアーヌ=ローゼンタールは、形式上は皇帝に仕える総統でありながら、実質的には歴代皇帝をも上回る権力を手に入れた。
就任式の日。
マリアーヌは議場中央の演壇へ立ち、無数の報道機器を前にマイクを握った。
一つ咳払いをし、ゆっくりと議員たちを見渡す。
「帝国臣民の皆様」
議場が静まり返った。
「私は、帝国の統治を揺るがし、国父たるノクターン公爵を死に至らしめた民主派勢力を、必ずや一掃いたします!」
貴族議員たちが一斉に拍手を送る。
「我々は先代総統の仇を討たねばなりません。そして、辺境星系で自治や独立を企む賊徒を討ち、帝国に再び秩序を取り戻さねばなりません!」
マリアーヌは拳を握り、声を張り上げた。
「すべての敵を打ち倒し、帝国が平和を取り戻したその時、私は皇帝陛下へ、与えられたすべての権限をお返しすることを誓います!」
議場全体が、割れんばかりの拍手に包まれた。
その演説は星間ニュースを通じ、旧帝国領の隅々まで届けられた。
総統を失った悲しみ。
反乱や暗殺への恐怖。
帝国崩壊に対する不安。
それらすべてが、強い指導者を求める熱狂へ変わっていった。
帝国中央通信社が公表した民間世論調査によれば、ローゼンタール政権の支持率は八七パーセントを超えた。
歴史上でも類を見ない、高い数字であった。
だが、誰がノクターン公爵を殺したのか。
なぜ、総統専用車の防御装置は作動しなかったのか。
なぜ、事件からわずか十五分で、大規模な逮捕作戦を開始できたのか。
……それらの疑問を公の場で口にする者は、もはや誰もいなかった。




