第百三話……教国の天秤
ユリウス率いる新帝国軍が惑星アクアを攻めあぐねていた頃。
カスパル大公派の派遣した使節団は、ルドミラ教国領の中枢へ到達していた。
使者を乗せた外交船は、教国の首都星ヒンデンブルクへ入域すると、管制局から送られてくる誘導信号に従い、大気圏へ降下した。
眼下に広がるのは、緑豊かな大地と、幾つもの尖塔を持つ白亜の都市であった。
その中核都市ニデルの中央には、巨大な大聖堂がそびえている。
宗教施設であると同時に、教国政府の中枢でもある建物だ。
外交船が宇宙港へ着陸すると、白を基調とした礼装姿の官吏たちが使節団を出迎えた。
「ご使者様、こちらへお進みください」
使者は教国側の案内役に従い、宇宙港から専用車両へ乗り込んだ。
車両は、巡礼者や商人でにぎわう大通りを抜け、大聖堂へ向かう。
建物の正面には聖人たちの巨大な彫像が並び、その足元では武装した衛兵が厳重な警備に当たっていた。
使者は幾つもの検問を通過し、やがて奥深くにある謁見室へ案内された。
「ご使者殿。遠路はるばる、ご苦労である」
使者を迎えたのは、エロー枢機卿であった。
彼は古代帝国の知識や遺物にも通じた宗教家であると同時に、教国有数の政治家でもある。
穏やかな微笑を浮かべているが、その眼差しには、相手の腹の底まで見透かそうとする鋭さがあった。
「早速ではございますが、我が主君カスパル大公殿下からの親書をお渡しいたします」
使者は恭しく封書を差し出した。
枢機卿は侍従からそれを受け取り、封印を確認した後、ゆっくりと文面へ目を通す。
「……なるほど」
読み終えたエロー枢機卿は、わずかに眉を上げた。
「新帝国軍と名乗る賊徒から、アーヴィング大公国を守ってほしいと仰るか?」
「はい。左様にございます」
使者は深く頭を下げた。
「偽帝ユリウス=アストレアは、荒鷲の金印を利用し、正統なるアーヴィング大公家を滅ぼそうとしております」
「金印が偽物であると?」
「たとえ金印そのものが本物であったとしても、それを持つ者が正統であるとは限りませぬ」
使者は淀みなく答えた。
「ユリウスが旧第六総管区を統一したならば、次に狙われるのはルドミラ教国でありましょう。今こそ我らが手を携え、偽帝アストレアを討ち果たすべきかと存じます」
その主張は、必ずしも的外れではなかった。
ユリウスが旧帝国の正統後継者を名乗る以上、帝国から独立したルドミラ教国の存在を、いつまでも容認する保証はない。
さらに、ノーム人に対する政策においても、カスパルと教国の指導層には近い部分があった。
エロー枢機卿は、しばらく使者の顔を眺めた後、穏やかに頷いた。
「ご主君の窮状は、よく分かりました」
「では、援軍を?」
「いや。このような重大事を、私一人の裁量で決めることはできぬ」
期待に身を乗り出しかけた使者へ、枢機卿は静かに釘を刺した。
「教皇猊下や諸侯、軍部、商業界の意見も聞かねばならぬ。結論が出るまで、今しばらくお待ちいただきたい」
「……承知いたしました」
「粗末ではありますが、ご使者のために客室を用意しております。
長旅でお疲れでしょう。今宵はゆっくり休まれるがよい」
「かたじけない」
使者は再び深く頭を下げた。
エロー枢機卿は柔和な笑みを崩さなかった。
だが、その目の奥にはすでに、幾つもの打算が巡っていた。
◇◇◇◇◇
その日の夜。
大聖堂の地下深くに設けられた秘密会議室へ、ルドミラ教国の要人たちが集められた。
会議の議長を務めるのは、ハディード教皇である。
その左右には枢機卿、軍司令官、有力諸侯、官僚、そして教国経済を支える大商会の代表者たちが座っていた。
「カスパル殿は、もはや虫の息だと聞いておりますぞ」
最初に発言したのは、豊かな髭を蓄えた有力商会長であった。
「我らが助けたところで、投じた資金を回収できるかどうかも怪しい。沈みかけた船に乗る必要がありましょうか?」
「だが、ユリウス=アストレアが旧第六総管区を統一するのも、我が国にとって都合が悪かろう」
エロー枢機卿が眉間にしわを寄せた。
「現在のユリウスは、正統皇位の証である荒鷲の金印を持っている。彼が大公国領を完全に掌握すれば、次は旧帝国領全体の再統一を唱える可能性がある」
「教国領も、かつては帝国の一部であったからな」
教皇が静かに呟いた。
会議室の空気が、わずかに重くなる。
中年の辺境伯が立ち上がり、卓上に星域図のホログラムを投影した。
「しかし、カスパル派も簡単には敗れますまい」
彼は惑星アクア周辺を指し示した。
「彼らには、第四総管区の精鋭、戦略砲兵ヘカトンケイル旅団が味方についております。惑星アクアは海中要塞化されており、新帝国軍も攻めあぐねているとのこと」
「ほう。簡単には負けぬと?」
ハディード教皇が問う。
「少なくとも、数日で陥落するようなことはありますまい。うまく戦えば、数か月は持ちこたえましょう」
その時、これまで発言を控えていた若い行政参事官が静かに手を挙げた。
「それならば、なおさら様子を見るべきではありませんか?」
若くして教国中央政府の要職に就いた、切れ者の官僚である。
「カスパル派が簡単には敗れぬのであれば、急いで我が国の将兵を送る必要はありません」
「見殺しにせよと申すか?」
「滅びぬ程度に期待を持たせるのです」
行政参事官は淡々と答えた。
「新帝国軍とカスパル派が長く争えば、双方の兵力と財力は消耗します。両者が疲弊してから動いた方が、我が国にとって有利でしょう」
会議室の要人たちは顔を見合わせた。
あまりにも冷淡な意見であった。
しかし、反論する者はいない。
カスパル派を救うことが目的ではない。
ルドミラ教国の安全と利益を守ることこそが、彼らの目的なのだ。
「ふむう」
ハディード教皇は、椅子の背へ体を預けた。
「では、当面は様子見としよう」
「賢明なご判断かと」
「ただし、いつでも援軍を派遣できるよう、艦艇の整備は進めておけ。兵員や物資も、目立たぬ程度に集めておくのだ」
「はっ」
「カスパル殿からの使者には、返答に向けて急いでいると伝えておけ」
教皇は口元に笑みを浮かべた。
「客人として盛大に歓待し、酒と料理と美女でもてなしてやるがよい。返事を待っていることさえ忘れるほどにな」
会議室に、小さな笑いが起きた。
こうして、ルドミラ教国はカスパル派からの援軍要請に対し、明確な回答を避けることを決めた。
助けるとも言わず、見捨てるとも言わない。
教国が欲しているのは、勝者ではなかった。
互いに争い、弱体化していく二つの勢力だったのである。
◇◇◇◇◇◇
会議終了後。
ハディード教皇が地下の回廊を歩いていると、後方から一人の将軍が近づいてきた。
「教皇猊下」
教皇が振り返る。
声を掛けてきたのは、腹心のラヒーム将軍であった。
教皇からの信頼も厚く、教国軍の近代化を任されている人物である。
「どうした、ラヒーム」
「一つ、申し上げたいことがございます」
「申してみよ」
ラヒームは周囲に人影がないことを確かめ、声を潜めた。
「我が国の現在の艦隊戦力では、旧帝国軍であろうと、新帝国軍であろうと、正面から互角に戦うことはできませぬ」
「分かっておる」
教皇は足を止めた。
「だが、大型戦闘艦を建造できる造船所は、すぐには用意できぬ。技術者も設備も足りぬのだ。どうせよと申す?」
「我が国は近年、巨大企業や商会の誘致に成功しております」
ラヒームは胸を張った。
「彼らから国防資金を拠出させるのです。その資金を用いて、第四総管区をはじめとする各地から、傭兵艦隊を雇い入れてはいかがでしょう」
「カスパルが行ったのと同じことをせよと?」
「はい。しかし、我らはより大規模に、より長期的な契約を結びます」
「なるほど」
ハディード教皇は顎へ手を当てた。
金で雇った艦隊は、忠誠心に欠ける。
だが、自国の艦隊が育つまでの時間を買うには役に立つ。
「よかろう。商会長たちへ話を通せ」
「御意にございます」
「ただし、傭兵のみに頼ってはならぬ。自前の中小の戦闘艦艇の建造も続けよ。大型艦を造れぬなら、哨戒艇、輸送艦、魚雷艇を数多くそろえるのだ」
「はっ」
「それから、各地に動員兵制度を布告せよ。惑星地上軍を新設し、主要都市と宇宙港を守れるよう訓練を進める」
「承知いたしました」
「艦隊戦で勝てぬなら、敵が地上へ降りた後も戦える国を作らねばならぬ」
ラヒームは深く頭を下げると、早足で回廊の奥へ去っていった。
教皇は、その背中をしばらく見送った。
熱心に働き、現実をよく理解している将軍である。
実に頼もしい。
だが同時に、教皇は思った。
戦功をあげ続ける者には、民や兵から名声が集まる。
頼もしい者ほど、いつか危険な存在にもなり得るのだ。
「余も、油断はできぬな」
ハディード教皇は誰にも聞こえぬ声で呟き、再び暗い回廊を歩き始めた。




