品川の方もうまく行ったな
品川の七福神巡りと朝市の開催に向けて、俺たちはそれぞれが持ち帰った仕事を進めていた。
数日後、再び宿場の年寄のもとに集まると、まず朝市の準備について報告があった。
「近隣の農家には、何軒か参加してもらえることになりやした。最初ですから、持ってこられる分だけになりますがね」
青物商がそう告げると、魚商も頷いた。
「魚のほうも、知り合いに声を掛けておきやした。朝に届く品を中心に、売れ残りが出すぎねえ程度には用意できそうです」
「それなら、最初の市としては十分だな。無理に品物を集める必要はない。実際の売れ行きを見て、次から調整していけばいい」
俺が答えると、宿場の年寄が一枚の図を広げた。
「朝市の場所についても、候補を絞っておきました。街道から一本入った空き地ですが、海側からも品物を運び込めます」
以前、魚商は海に近い場所を、旅籠の主人は街道を通る旅人が立ち寄りやすい場所を希望して、意見がぶつかっていた。そこで、街道から客を誘導でき、海側からの荷運びにも都合のよい場所を探すことにしていたのだ。
「実際に見てきましたが、広さもある程度確保できます。街道側から客に入ってもらい、海側から品物を運び込めば、荷車と人の流れを分けられそうです」
宿場の年寄が図の入口を指で示すと、魚商も納得したように頷いた。
「それなら、魚を運ぶ手間も減らせそうでさあ」
「街道側に案内を出しておけば、旅人にも気づいてもらえるでしょうな」
旅籠の主人も、今度は反対せずに頷いた。
「では、まずはその場所で始めてみよう。実際に人が集まったときに問題が出たら、次から直せばいい」
俺がそうまとめると、宿場の年寄が図を畳みながら答えた。
「承知しました。荷車の搬入場所と客の入口を分け、街道側には朝市の案内を出しておきます」
七福神巡りのほうも、準備が進んでいた。
寺社の世話役によれば、各寺社の間を実際に歩いて順路を確認し、迷いやすい分かれ道には案内札を置くことになった。印を渡す場所も、参拝客が門前に溜まりすぎないように決めてある。
「こちらも、各寺社の世話役に協力してもらえることになりました。最初は人手を多く用意できませんが、参拝客の様子を見ながら案内役を配置していこうと思います」
「それで十分だ。最初から完璧にしようとするより、実際にやってみて、必要なところを直していけばいい」
籠の手配についても、旅籠の主人が籠屋と話をつけてくれていた。必要な客がいれば旅籠から籠屋へ連絡し、手配してもらう形になったらしい。街道沿いに籠を何台も並べて客を待つ必要はなく、普段の往来を妨げずに済む。
こうして、朝市の場所と出店者、七福神巡りの順路、籠の手配について一通り見通しが立った。
最後に、宿場の年寄や商人、寺社の世話役たちと相談して、最初の開催日を決めた。品物を用意する側にも準備の時間が必要だし、寺社のほうも案内札や印を整えなければならない。そこで、無理なく準備を進められる日を選び、まずは一度試してみることになった。
吉原のように最初から大きな催しにするつもりはない。まずは小さく始めて、どれだけ人が集まるのか、品物がどれくらい売れるのかを確かめる。それが今回の方針だった。
そして、品川の七福神巡りと朝市の開催日を迎えた。
まだ朝日が昇りきらないうちから、品川宿の街道には旅人の姿が見え始めていた。海側からは魚を運ぶ者たちがやって来て、朝市の会場では青物商が野菜を並べ、魚商たちが木箱から品物を取り出している。
会場は、街道から一本入った場所に設けられていた。街道側には朝市の案内が立てられ、買い物に来る客はこちらから入る。一方、海側から品物を運ぶ者たちは別の道を使い、荷車が客の通り道を塞がないようにしていた。
「よし、こっちの魚はこれで全部だな。あとは客が来てくれるかどうかだ」
魚商が並べ終えた品物を見渡しながら、そわそわした様子で呟いた。
「心配しなさんな。朝早くから荷を運んできたんだ。売れるように声を掛けていきましょうや」
青物商が笑いながら声を掛けると、魚商も苦笑した。
「そうは言っても、初めての市ですからね。どれだけ人が来るか分からねえじゃありませんか」
「それはうちも同じですよ。けど、こうして品物を並べる場所ができたんです。まずはやってみなけりゃ始まりません」
俺は少し離れたところから二人の様子を眺めていた。
「皆、張り切っているな」
隣にいた藤乃が、並べられた品物を見ながら微笑む。
「ええ。朝早くから準備をなさっておいででありんした。これでお客様が来てくだされば、もっと活気が出るのでありんしょうねぇ」
「ああ。俺たちも様子を見ていこう」
そのとき、街道側から威勢のいい声が響いた。
「朝市はこちらです! 朝に届いた魚や野菜を取り揃えておりますよ!」
旅籠の主人が、街道を歩く旅人たちに声を掛けていた。案内を見た者たちが足を止め、朝市の場所を確かめている。
「朝市だってさ」
「この先で何か売っているのかい?」
「海の近くなら魚もあるんじゃねえか。ちょいと覗いてみよう」
旅人たちは案内に従って街道から外れ、朝市の会場へ入っていった。
「おっ、魚があるぞ。こいつは今朝届いたのかい?」
「へい。今朝届いたばかりでさあ」
「なら、これをもらおうか」
魚商が嬉しそうに品物を包み始める。その隣では、青物商の前にも客が集まり始めていた。
「こっちの野菜はどうだい?」
「近くの農家から持ってきたものでさあ。今朝、こちらへ運んできたばかりですよ」
「そうかい。じゃあ、家で使う分を少しもらおう」
地元の客が野菜を選び始め、青物商の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
さらに、朝市の賑わいを見て、品川で暮らす人々も集まり始めた。近隣の農家や漁師が品物を持ち寄る市は、地元の者にとっても便利なものだったらしい。
「こんなところで野菜が買えるなら、わざわざ遠くまで行かずに済むねぇ」
「魚もあるなら、今日はうちの分も買っていこうか」
地元の人々が品物を選び始めると、魚商も青物商も忙しくなった。
ところが、人が増えるにつれて、街道側の入口に客が集まり始めた。案内を見た旅人がその場で立ち止まり、後ろから来た人も立ち止まってしまったのだ。
「おっと、こりゃいけねえ」
宿場の年寄が気づき、すぐに旅籠の主人へ声を掛けた。
「入口のところに人が溜まり始めています。街道まで広がる前に、少し中へ誘導しましょう」
「そうですな。皆さん、案内を見たら中へお進みください! こちらに品物を並べておりますよ!」
旅籠の主人が声を張り、入口から少し入った場所へ客を誘導する。青物商も、通り道を空けるために野菜を入れていた籠の位置を直し始めた。
「こっちの籠は少し奥へ動かしましょう。入口を広くしておけば、客も入りやすいはずです」
「そうだな。魚を運ぶ道も塞がないようにしておこう」
魚商も応じ、品物を運ぶ者たちへ声を掛けた。
だが、そこへ海側から追加の魚を積んだ荷車がやって来た。客の一人が魚を見ようと搬入路の近くまで寄っていたため、荷車を引く男が足を止める。
「すいやせん、そっちは荷を運ぶ道なんで、ちょいと空けてくだせえ!」
声を聞いた客が慌てて横へ避けたものの、今度は近くにいた別の客が品物を覗き込もうと立ち止まった。
「お客さん、魚はこっちに並べてありやす。荷車が通るんで、そっちは空けてくだせえ!」
魚商が声を掛けると、客は慌てて売り場へ戻った。
俺は様子を見ていた宿場の年寄に声を掛けた。
「荷車の通り道が、客の売り場と近すぎるんじゃないか?」
「そうですな。場所を決めたときには分けたつもりでしたが、客が魚を見ようとして、こちらまで入ってきてしまうようです」
宿場の年寄が周囲を見渡すと、旅籠の主人も事情を察したように頷いた。
「入口から入ってすぐのところに魚が見えるんで、客がそちらへ寄っていくんでしょう。案内の仕方も少し変えたほうがよさそうですな」
魚商は困った顔で荷車を見た。
「荷を運ぶたびに客に避けてもらうんじゃ、いつかぶつかりかねません。こっちの品物を少し内側へ動かして、荷車の道をもう少し広くしてもらえませんかね」
「それなら、青物の籠を少し移しましょう。入口も広くなりますし、こちらの野菜も見やすくなるはずです」
青物商が自分の籠を動かし始めると、旅籠の主人も手を貸した。
「では、私は入口でお客様に声を掛けて、こちらの通路へ案内するようにしましょう。荷車が来るときには、先に声を出してもらえば、客にも分かりやすいでしょう」
「それなら助かりやす。荷を運ぶときには、こちらからも声を掛けるようにしやす」
魚商も納得し、荷車を引いてきた男と一緒に、搬入路の位置を確認した。
最初からすべて上手くいくとは限らない。だが、誰か一人の指示を待つのではなく、皆が問題に気づき、それぞれの立場から対策を考え始めている。
俺はその様子を見て、小さく頷いた。
「こういうところは、実際にやってみないと分からないな」
隣で見ていた藤乃も、ほっとしたように笑う。
「ええ。でも、皆さんで相談してすぐに直せたのでありんす。これなら大きな混乱にはなりそうもありんせんねぇ」
入口の混雑も、荷車の通り道も、ほどなく落ち着いた。街道の通行を妨げることなく、海側からの品物の搬入も続けられている。
朝市が落ち着き始めたころ、今度は七福神巡りの参拝客が姿を見せた。
「すみません。七福神巡りはこちらで札をいただけるんですか?」
案内をしていた世話役が、笑顔で応じる。
「はい。こちらで札をお渡ししております。順路も記してありますので、初めての方でも巡っていただけますよ」
「どれくらい掛かるんです?」
「道のりにもよりますが、途中で休みながらでも回れるようにしております。お急ぎにならず、ゆっくりお参りください」
客は札を受け取り、そこに記された順路を確かめた。
「七つも回るのか。これは楽しみだな」
「お参りのあとに、朝市も覗いてみようか」
「そうだな。せっかく来たんだから、何か土産も買っていこう」
参拝客たちは連れ立って歩き始めた。
分かれ道では案内札が目印になり、道が狭くなる場所では世話役が客の流れを見ながら案内していた。各寺社でも、参拝客が門前に固まらないように声を掛け、札に印を押して渡している。
最初の参拝客が次の寺社へ向かうころには、別の客たちも札を受け取りに来ていた。
「この順番で回ればいいんですね?」
「はい。こちらの印を集めながら、次の寺社へお進みください。途中で道が分からなくなりましたら、案内札をご覧くださいませ」
「ありがとう。これなら迷わずに済みそうだ」
参拝客は札を懐にしまい、案内された方向へ歩いていった。
朝市のほうでも、参拝を終えた客が立ち寄り始めていた。
七福神巡りをしていた旅人の夫婦が、魚商の前で足を止めた。店先には鮮魚のほか、持ち帰りやすい干物や海産物も並べられている。
「せっかく品川まで来たんだ。何か土産になるものはないかねぇ」
「それなら、こちらの干物はいかがです? 持ち帰りやすいように包みますぜ」
「それはいいね。家に帰ってから食べられそうだ」
女が品物を選んでいる間、連れの男は隣の青物商の前に目を向けた。
「野菜も売っているのか。帰る前に少し買っていこうかな」
「ありがとうございます。近くの農家から持ってきたものですよ」
青物商が答えると、男は少し考えて首を振った。
「いや、野菜は持ち歩くにはかさばるからな。今日は魚の土産だけにしておこう」
「そうですか。またお近くにお越しの際には、ぜひ」
二人は干物を買い、朝市を見て回ってから食事処へ向かっていった。
「お参りの帰りに買い物もできるのはいいねぇ」
「ええ。朝市があると聞いて来たけれど、七福神巡りまで楽しめるとは思わなかったよ」
二人は楽しそうに話しながら、温かい朝飯を食べられる店を探していた。
俺はその様子を眺めながら、藤乃に声を掛けた。
「朝市を開いたことで、七福神巡りの客にも立ち寄る場所ができたな」
「ええ。それに、朝市を目当てに来た方々が、七福神巡りにも興味を持ってくださっておりんすねぇ」
「ああ。どちらか片方だけを目当てに来た人が、もう片方にも足を運んでくれる。それが狙いだったからな」
七福神巡りで町を歩く人が増えれば、朝市にも客が来る。朝市に買い物に来た人が寺社の案内を見れば、せっかくだからと参拝することもある。
それぞれを別々に開くのではなく、組み合わせたことで、人が品川の町に滞在する理由が増えているのだ。
旅籠の主人も、朝市を覗いた旅人に声を掛けていた。
「お買い物のあと、よろしければうちで朝飯もどうです? 温かいものをご用意しておりますよ」
「おっ、そいつはありがたい。ちょうど腹も減ってきたところだ」
旅人が笑って応じると、主人は嬉しそうに頭を下げた。
「では、こちらへどうぞ。朝市で買ったものを持ってきていただいても構いませんよ」
それを聞いた別の旅人も、食事処のほうへ足を向けていった。
朝市を目当てに来た地元の人々だけでなく、七福神巡りの客や、街道を通っていた旅人までが品川の町に足を止めている。
昼前になるころには、魚商の店先で売り切れた品が出始めた。
「すいやせん、こちらの魚はもう売り切れでさあ。残っているのはこっちになります」
「そうかい。それじゃあ、残っている分をもらおう」
魚商は注文を受けながら、嬉しそうに笑っていた。
一方、青物商のところにはまだ品物が残っていたが、地元の客が少しずつ買い足してくれている。
「最初はどれだけ売れるか分からなかったが、これなら持ってきてもらった分も、かなり売れそうだな」
「ええ。魚のように早く売らなきゃならねえものもありますが、野菜は種類によってはもう少し様子を見られますからね。次は品物の量を考えて持ってくることにしやしょう」
「そうだな。今日の売れ行きを見て、次に何をどれくらい用意するか考えればいい」
二人は、すでに次の市のことまで話し始めていた。
そのころ、七福神巡りから戻ってきた客の中に、札の七つの印を集め終えた者が現れた。
「いやあ、思ったより楽しかったよ。案内も分かりやすかったし、途中で買い物もできたからな」
世話役が嬉しそうに応じる。
「それは何よりでございます。品川の町も楽しんでいただけましたか?」
「ああ。朝市で土産も買えたし、飯も食べていける。これなら、また来てもいいな」
その言葉を聞いて、世話役の顔にも笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます。ぜひまたお越しくださいませ」
客が去っていくのを見送っていると、魚商と旅籠の主人が連れ立って俺たちのところへやって来た。
「旦那、今日はなかなかの手応えでしたぜ。ただ、入口のところは、もう少し考えたほうがよさそうですな」
魚商がそう切り出すと、旅籠の主人も頷いた。
「魚のほうも思ったより売れました。次はもう少し品物を増やせそうですが、今日のように荷車が来るときは、客を誘導する者がいたほうがよさそうでさあ」
「なら、次は荷を下ろす時間を決めておきましょう。客が増える前に運び込めるものは先に運び込んで、残りは荷車が来るときに、こちらから声を掛けることにしやす」
魚商が提案すると、旅籠の主人もすぐに応じた。
「案内役も一人増やせるか、宿場の年寄に相談してみますよ。客が増えるなら、それくらいは必要でしょうな」
二人はもう次回に向けた相談を始めていた。
「いいじゃないか。今日の経験を活かして、次はもっと上手くやればいい」
俺が笑ってそう言うと、魚商は力強く頷いた。
「へい。せっかく始めた市ですから、続けられるよう工夫してみやす」
二人が次の市について相談を続けるのを見て、俺は藤乃に目を向けた。
「まずは成功と言ってよさそうだな」
「ええ。皆さん、もう次のことを考えておいででありんすねぇ」
「ああ。俺たちが最初から何もかも決めなくても、皆が自分たちで考えてくれる。そういう形にできたのは大きいな」
藤乃は、朝市で買い物をする客や、札を手に次の寺社へ歩いていく参拝客を眺め、嬉しそうに目を細めた。
「品川も、これからますます賑やかになりそうでありんすねぇ」
「ああ。吉原とは違った形で、品川らしい商いが育ってくれるといいな」
俺たちは次回に向けて相談を続ける人々に声を掛けてから、その場を後にした。
品川の新しい賑わいは、こうして動き始めていた。




