まずは吉原七福神巡りから着手したよ
翌日から、俺は七福神巡りの準備に取り掛かった。
まず手を付けたのは、道の整備だった。
七つの社を巡るなら、そこまでの道が歩きにくければ話にならない。まして福車を走らせるなら、ぬかるんだ道や大きな石が転がったままの道では使い物にならない。
俺は藤乃とともに、七つの社を繋ぐ道を実際に歩いて回った。
「ここは雨が降ると、水が溜まりやすいな」
俺が道の端に残った轍を指差すと、隣を歩いていた藤乃も裾を少し持ち上げながら足元を見た。
「ええ。女衆が歩くには、少々難儀でありんすねぇ」
「ああ。ここは先に土を入れて、少し高くしたほうがいい」
さらに進むと、今度は道の真ん中に大きな石がいくつか埋まっていた。
「これは車が通るなら邪魔だな」
「福車だけでなく、荷車も通りやすくなりそうでありんす」
「そうだな」
俺は頷きながら、周囲を見回した。
「七福神巡りのためだけに整えるんじゃない。普段から使う道なんだから、そこはちゃんとしておきたい」
そうして七つの社を繋ぐ道を一つずつ確認しながら、どこからどこまでを整備するかを決めていった。道幅を広げられるところは少し広げ、低いところには土を入れてかさ上げし、水が流れにくい場所には浅い溝を設ける。その上で、よく人が通る場所には砂利を入れて踏み固め、社の前や人が立ち止まるところは三和土で仕上げる。もちろん、福車を走らせる道は特に念入りに整えるつもりだった。
「問題は人手だな」
帳面に必要な仕事を書き出していくと、思った以上に数が多かった。
「土を運ぶ人、砂利を運ぶ人、道を掘る人、ならす人。それに三和土を作る職人も必要だ」
「かなりの人足が要りんすねぇ」
藤乃が帳面を覗き込みながら、少し目を細める。
「ええ。ですが、町の者だけで何とかしようとせず、外から人足を雇ったほうがよろしゅうござんしょう」
「ああ。そのつもりだ。短期間で仕上げるなら、人手は多いほうがいい。仕事を作ることにもなるしな」
そこで俺は、吉原で普段から工事や荷運びを請け負っている者を何人か呼んでもらった。
ほどなくして、数人の頭が俺の前へやって来る。
「七福神巡りの道を整えたい」
俺がそう切り出すと、集まった男たちは顔を見合わせた。
「七福神巡り、ですかい?」
「ああ」
俺は地図を広げ、七つの社を指で順番に追った。
「ここからここまでを歩きやすくしたい。特にこの道は福車も通す」
「福車ってのは、旦那が考えてる新しい乗り物ですかい?」
「そうだ」
俺が頷くと、年嵩の男が地図を覗き込んだ。
「こりゃあ、道をかなり直さねえと難しいですぜ」
「だろうな」
「土を入れて、石をどけて、それから踏み固める。場所によっちゃあ水の逃げ道も作らにゃならねえ」
「必要なことは全部やってくれ。無理に一晩二晩で終わらせる必要はない。ただ、七福神巡りを始める日までには間に合わせたい」
男たちは顔を見合わせたあと、もう一度地図へ目を戻した。
「それなら、仕事としてはかなりありますぜ」
「だから、ちゃんと賃金を出す」
俺がそう言うと、何人かの顔つきが変わった。
「人足だけじゃない。土を運ぶ荷車も必要になる。石を扱える者も要る。三和土の仕事は職人に頼む。福車を作る職人も別に探す」
「つまり、あちこちに仕事が出るわけですかい」
「ああ。七福神巡りの準備そのものが仕事になる」
俺が笑うと、男たちも少しばかり顔を緩めた。
「そいつぁ、ありがてえ話で」
こうしてまず、人足を集めることになった。
だが、工事だけを始めても七福神巡りにはならない。肝心のお迎えを済ませなければならなかった。
「次は、七福神のお迎えだな」
俺がそう言うと、藤乃は少し姿勢を正した。
「はい。そこは、きちんとお願いしたほうがよろしゅうござんしょう」
「ああ。勝手に名前だけ借りるわけにはいかないからな」
俺は七つの社の配置を書いた帳面を開いた。
「それぞれをお祀りしているところへ願い出て、こちらへお迎えする。吉原で末長くお祀りするなら、その筋道はちゃんと通しておきたい」
そこで俺たちは、それぞれの神様と縁の深い社寺へ話を通していくことにした。
恵比寿なら恵比寿をお祀りしている社へ、大黒天や毘沙門天ならその尊像をお祀りしている寺へ、弁財天なら弁財天をお祀りする社寺へ、と、それぞれの縁を辿って願い出る。
七福神といっても、その由来も祀られ方も同じではない。だからこそ、一つの型にはめるのではなく、それぞれに縁のあるところへ話を通して、吉原へお迎えすることにした。
まずは人を通じて事情を説明し、吉原で七福神巡りを始めたいこと、そして既存の稲荷の信仰を大切にしたうえで、その社の傍らへ新しい祠を設けたいことを伝える。
やがて話が進み、それぞれのお迎えについて了承を得ることができた。
「これでようやく、本当にお迎えできるな」
俺がそう言うと、藤乃もほっとしたように笑った。
「はい。あとは、お祀りする場所を整えなければなりんせんねぇ」
「ああ。祠を建てよう」
俺たちは、五つの稲荷社を一つずつ見て回った。
どの社も大きなものではない。だからといって、そのすぐ横へ適当に小屋を置くような真似をするわけにもいかなかった。
「ここならいいんじゃないか?」
俺は吉徳稲荷の脇にある、少し空いた場所を指差した。
「既存のお稲荷様のお社を邪魔しない。けれど、並んでお参りできる」
「確かに、よろしゅうござんす」
藤乃も周囲を見回した。
「これなら、お稲荷様へお参りしたあと、そのまま毘沙門天様へもお参りできますねぇ」
「ああ。隣に並んでいるからこそ、『一緒にお参りする』って感じになる」
同じように他の稲荷社でも場所を決めていく。それぞれの社の横に、小さな祠を一つずつ建てることにした。
華美にはしない。あくまで既存のお稲荷様を引き立て、その横に新しい神様をお迎えするための場所にする。
「これなら、お稲荷様を押し退けるような形にもならんでしょう」
工事を見ていた古くからの吉原の者が、安堵したように呟いた。
「もちろんだ」
俺は頷いた。
「今までここにあったお稲荷様は、そのまま大切にしてもらう。七福神をお迎えすることで、これまでの信仰を変えるつもりはない」
その言葉を聞いた者たちも、少しずつ頷いていった。
やがて大工たちが入り、祠の土台を作り始めた。
まず地面を整えて石を据え、その上へ小さな基礎を作る。そこへ木材を組み、屋根を載せていく。道の工事と並行して、吉原のあちらこちらで新しい祠が形になっていった。
「思ったより早いな」
俺が建ち始めた祠を眺めていると、藤乃が嬉しそうに扇子を開いた。
「道の工事も人が入り、祠の仕事も大工さんが入り、皆さん忙しそうでありんすねぇ」
「ああ。勧進した金が、こうやってすぐ町の中へ戻っていってる」
だが、祠をいくつも建てるとなると、どうしても吉原の中だけでは足りないものが出てくる。
「材木は、江戸の問屋に頼むか」
俺は帳面を見ながら呟いた。
「この数の祠を建てるなら、必要な材木もかなりの量になる。そこは材木問屋に声を掛けて、まとめて買おう」
「その折に、少しばかり融通していただけるようお願いするのでありんすねぇ」
「ああ。全部をただで出してもらおうとは思わない。まとまった量を買う代わりに、少し値を勉強してもらえれば十分だ」
外から必要なものを買い入れ、その金は職人や人足の賃金として吉原へ戻す。
その一方で、町の中では奉加を募る。
俺は今回のために、吉原の中で奉加帳を用意することにした。
「吉原の中だけで募るのでありんすか?」
藤乃が聞く。
「ああ。これは江戸中の人間に頼むような話じゃない。吉原の町を良くするためのものなんだから、まずはここで商いをしている人たちに声を掛ける」
ただ、俺たちだけで勝手に銭を集めるのも違う。
そこで、御分霊をお願いした社寺にも話を通し、勧進を担う僧に吉原まで来てもらって、奉加をまとめてもらうことになった。
江戸中を回ってもらうつもりはない。
勧進を担う僧には奉加帳を持って吉原の中を回ってもらい、遊女屋や引手茶屋、食堂、商店などに、この七福神巡りの趣旨を説明してもらう。
「それなら、皆さんにも筋が通りやすうござんすねぇ」
「ああ。何に使う金なのかも、ちゃんと分かるようにする」
俺は奉加帳を開いた。
「それと、帳面に名前を書いて終わりっていうのも味気ないな」
「何か考えておいででありんすか?」
藤乃が首を傾げる。
「ああ。せっかく町のために力を貸してもらうんだ。完成した社の横に、奉加してくれた人たちの名前を掲げよう」
「お名前を?」
「ああ。誰がどれだけ力を貸してくれたのか、一目で分かるようにする」
俺は帳面の端へ、いくつかの文字を書いてみた。
「多く奉加してくれた者は大きな字。そこまで出せない者は、その分の大きさで書く。ただし、銭だけじゃない。材木を出した者、砂利を出した者、荷車を出した者、職人として手間を出した者も、相応の形で名前を残す」
藤乃は帳面を覗き込みながら、少し目を細めた。
「まあ……それなら、銭をたくさん出せぬ方のお名前も、ちゃんと残るのでありんすねぇ」
「ああ。それに、皆が見えるところに名前があれば、『自分もこの町を作った』って思えるだろ」
「それに、隣の方が名前を出しておいでなら、自分も少し出そうと思う方もいそうでありんす」
藤乃が悪戯っぽく笑った。
「そこも狙いの一つだな」
俺も笑いながら頷いた。
「無理に競わせるつもりはない。ただ、町のために力を貸したことが目に見える形で残れば、次に何かするときも協力してもらいやすい」
「なるほど。奉加帳は記録として残し、社の横には皆さんの名前を掲げるのでありんすねぇ」
「ああ。そうすれば、後から吉原へ来た人にも、この社がどうやって建てられたのか分かる」
奉加を募り始めると、少しずつ声が返ってきた。
「うちはこれだけ出しましょう」
「銭は難しいが、砂利なら何車か出せますぜ」
「荷車なら使ってくれ」
「大工を一人、何日か手伝わせましょう」
そうして集まった奉加が、人足の賃金や祠の建立費へと回されていく。
やがて、それぞれの社の横には、奉加した者たちの名前を記した額が取り付けられていった。
大きな奉加をした者の名は大きく、その下には少し小さな文字で、同じように町のために力を貸した者たちの名が並ぶ。銭だけではない。材木や砂利、荷車、大工の手間まで、それぞれがどんな形で力を貸したのかも分かるようになっている。
完成した額を眺めていた一人の商人が、照れくさそうに頭を掻いた。
「こうして名前が残るとなると、もうちょい出してもよかったかもしれませんな」
「欲が出たか?」
俺が笑うと、商人も苦笑する。
「へえ。隣の店が俺んところより大きな字になってるもんで」
それを聞いた藤乃が、扇子の陰で楽しそうに笑った。
「旦那様のお考え通りでありんすねぇ」
「だから、競争させるつもりはないって言ってるだろ」
「でも、皆さん嬉しそうでありんすよ」
「ああ」
俺も額へ目を向けた。
奉加した者の名前が、そこに残っている。
これなら、この社が誰か一人の金だけで建ったものではなく、吉原の人間が一緒になって作ったものだと分かる。
祠が完成した日には、それぞれの場所でお迎えの儀が行われた。
まず既存の稲荷社を清め、その隣に新しく建てた祠も整える。お願いしていた社寺から人が訪れ、静かに祭事が進んでいく。
神様をお祀りするところでは祝詞が奏され、仏様をお祀りするところでは僧が経を唱える。それぞれの作法に従って儀礼が執り行われ、最後に縁のある社寺からお受けした御分霊を、新しい祠へお迎えしていく。
「……これで、ここにお迎えできたんだな」
俺は静かに完成した祠を見つめた。
さっきまでそこには何もなかった。それが今は、昔からある稲荷社の隣で、新しい福の神をお祀りする場所になっている。
その横には、奉加した者たちの名前を記した額まで掲げられていた。
藤乃も隣で手を合わせたあと、額へ目を向けた。
「ええ。ようやく、この吉原へお迎えできたのでありんすねぇ」
「ああ」
俺も額を見上げる。
「それに、これを見れば、ここを建てたのが誰なのかも分かる」
五つの稲荷社の横には、それぞれ七福神の祠と奉加者の額が並んだ。
残る弁財天については、別に新しい社を建てる。こちらは芸事と結び付ける場所でもあるから、祠だけではなく、周囲に人が集まれる小さな場所も作るつもりだった。
そして裏門前には、お酉さまをお迎えするための社を新しく建て、そこへ最後の七福神をお祀りする。こちらもまた、土地を整え、地を清め、社を建て、それぞれのお迎えの準備を進めていった。
そうしている間にも、道の工事は進んでいた。
人足たちが土を運び、荷車が何度も往復する。低いところへ土を入れ、石を取り除き、地面をならしていく。別の場所では砂利が撒かれ、それを何度も踏み固めていた。
さらに人がよく通る場所では、三和土を仕上げる職人たちが黙々と仕事をしている。
奉加で集まった銭も、材木問屋から買い入れた木材も、職人の手間も、少しずつ一つの形になっていった。
「なんだか、祭りを始める前から祭りみたいだな」
道の工事と新しい祠、そして社の横に並ぶ奉加者の額を眺めながら俺がそう言うと、藤乃は扇子の陰でくすりと笑った。
「ええ。町の者が皆で手を掛けているのでありんすもの」
「そうだな」
俺も笑った。
「七福神をお迎えするために、まず人が動いた。人が動けば仕事が生まれて、仕事が生まれれば金も動く」
「そして、その先にはお客様が歩く道ができる」
「ああ」
俺は新しく整えられた道へ目を向けた。
「七福神巡りが始まるころには、今よりずっと歩きやすい町になってるはずだ」
そして、その道の先には新しく建てられた祠がある。その隣には、昔から吉原で信仰されてきた稲荷の社があり、その横には町の人々の名前を記した額が掲げられている。
新しいものと、これまであったもの。
それを一緒に残していく。
それが、今回の七福神巡りで俺がやりたかったことでもあった。
「さて、次は弁財天様の社だな」
俺が帳面を開くと、藤乃が楽しそうに覗き込んだ。
「その次は、お酉さまのお社でありんすねぇ」
「ああ。それから福車だ」
俺はまだ何も描かれていない帳面の頁を開いた。
「こっちはこれからが本番だな」
七福神をお迎えする準備が整えば、いよいよ客を呼ぶための仕掛けを作らなければならない。
道を歩いてもらう。店を覗いてもらう。芝居や芸を楽しんでもらう。そして最後には、集めた七つの印と吉原土産を手に帰ってもらう。
そのための町が、少しずつ出来上がり始めていた。




