吉原七福神巡りは大盛況だったぜ
そして、七福神巡りの開催日を迎えた。
朝早くから吉原の町には、普段とは違う空気が流れていた。
大門近くの三河屋の引手茶屋では、幇間と芸者、それに何人かの禿が朝から客を迎える準備をしている。
机の上には吉原細見と七福神巡りの札が整然と並べられ、その脇には、七つの印を集め終えた客へ渡す土産も用意されていた。
「こちらが吉原細見でございます」
「そして、こちらが七福神巡りの札でございます」
客が来るたびに、幇間や芸者が笑顔で声を掛ける。
「まずは弁財天様へお向かいくださいまし。こちらの札をご覧になれば、その先の順路も分かります」
「最後の布袋様まで巡られましたら、またこちらへお戻りくださいな」
その横では禿が札を差し出し、細見を揃えて客へ手渡している。
「なくさないようにしてくださいね」
「ありがとう」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
客は細見と札を受け取ると、大門をくぐって町へ入っていった。
通りのあちこちには必要なところだけ案内札が立ち、社の前では係の者たちが参拝客を迎える準備をしている。
福車も通りの端に並べられ、御者たちが最後の確認をしていた。
その一方、弁財天へ向かう道の途中には、早くもいくつかの屋台が開いている。
「団子はいかがですかい!」
「焼き餅もありますぜ!」
「水はこちらでどうぞ!」
棒手振りが声を掛け、屋台では女郎たちも客へ品を勧めていた。
「お一ついかがでありんす?」
「じゃあ、二つもらおう」
「ありがとうござんす」
普段とは違う場所で働く彼女たちの姿に、俺は少し目を細めた。
「本当に祭りらしくなったな」
藤乃も周囲を見回して微笑む。
「ええ。皆さん、楽しそうにお働きでありんすねぇ」
「客だけじゃなく、売る側も楽しめればいい」
俺がそう言っていると、門のほうから人の声が聞こえてきた。
「旦那様、もう来ておりんすよ」
「え?」
俺が振り返る。
すると、大門から三河屋の引手茶屋へ向かう客が次々と入って来るのが見えた。
「七福神巡りはこちらですか?」
「ええ。まずは三河屋の引手茶屋へどうぞ」
「こちらで細見と札をお渡しいたします」
案内されて客が三河屋の引手茶屋へ入っていく。
「初めてなんですが、どう回ればいいんです?」
「こちらの札をご覧ください。まず弁財天様へお向かいくださいませ」
「七つ全部?」
「ええ。最後まで回られますと、七つの印が揃います。その札を三河屋の引手茶屋へお持ち帰りいただければ、お土産をお渡しいたします」
「へえ、面白いねぇ」
客が楽しそうに札を受け取る。
その後ろでも、別の客が細見を覗き込んでいた。
「まずは弁財天か」
「芸事の神様なら、吉原らしくていいねぇ」
「その次が毘沙門天様か」
「そこから大黒天、恵比寿と続くのか」
客は札と細見を手に、弁財天へ向かって歩き始めた。
大門からしばらく進めば屋台が見えてくる。
「団子を一つくれ」
「へい、毎度あり!」
「水ももらおうか」
「どうぞ」
客は買ったものを手に、また次の道へ進んでいく。
弁財天へ向かう道の途中では、別の客も屋台の前に足を止めていた。
「焼き餅、まだあるかい?」
「ええ、まだございますよ」
「じゃあ二つ」
「毎度あり!」
昼前になるころには、朝に用意していた団子や焼き餅のいくつかが早くも売り切れ、屋台の者が慌てて追加の品を運ばせるほどになっていた。
「思ったより売れるな」
少し離れたところから様子を眺めていた俺に、藤乃が笑う。
「お客様の足が止まっておりんすもの」
「ああ。食べながら歩けるってのは、やっぱり強いな」
切見世から出てきた女郎たちの屋台にも次々と客が立ち寄り、普段なら人通りの少ない場所まで人が流れている。
「今日は随分とお客さんが多いねぇ」
「ええ。いつもの仕事とは違って、次から次へと人が来てくれます」
売り子の女郎が嬉しそうに顔を綻ばせる。
その声を聞きながら、俺は少しばかり安心した。
弁財天へ辿り着けば、その先は吉原の区画や四隅にある社が目印になる。
最初の社への道だけ少し丁寧に案内しておけば、後はそれほど迷うこともない。
最初の客が弁財天の社の前へ到着する。
社へ手を合わせ、その後で係の者から最初の印を受ける。
「これで一つ目ですね」
「ありがとう」
客は受け取った札を嬉しそうに眺めると、次の毘沙門天の社へ向かって歩き出した。
その途中では、また別の屋台から声が掛かる。
「焼き餅はいかがですかい!」
「こっちには甘いものもありますぜ!」
客は足を止め、何を買おうかと品を眺めている。
そのうちに、最初の客の中から七つすべての印を集めて三河屋の引手茶屋へ戻ってくる者も出始めた。
「お帰りなさいませ。七つ、揃っておりますね」
「いやあ、楽しかったよ」
「それは何よりでございます。では、こちらをどうぞ」
禿が土産を手渡す。
「ありがとう。また来たいねぇ」
そんな声が一つ、また一つと聞こえてくる。
七つの印を集め終えた客が実際に土産を受け取り、「また来たい」と言って帰っていく。
それを見た幇間や芸者の顔にも、自然と笑みが浮かんでいた。
その姿を見ながら、俺は胸の中で小さく息を吐いた。
これまで何度も考えた。
道を整え、人を雇い、祠を建て、奉加を募り、店にも協力してもらった。
俺が考えたことを町の者へ渡し、そこからさらに皆が自分たちのやり方を加えていった。
そして今、実際に人が動いている。
人が吉原へやって来る。
細見を片手に町を歩く。
社へ参り、屋台で買い物をし、飯を食い、芝居を楽しむ。
そして七つの印を集めて、最後には三河屋の引手茶屋へ戻り、土産を手に帰っていく。
そうして一日町を歩いた人たちに、「また来たい」と思ってもらえれば、それでいい。
「……よし」
俺は気合を入れ直した。
「俺たちも動くぞ」
「はい、旦那様」
藤乃が扇子を閉じる。
その直後にも、大門から新しい客がまた入ってきた。
「こちらで細見と札をお渡しいたします!」
三河屋の引手茶屋から声が響く。
その先では、屋台が客を呼び、棒手振りが道を行き交い、福車がゆっくりと通りを進んでいる。
整えたばかりの道の上を、人々が笑いながら歩いていく。
弁財天から始まり、毘沙門天、大黒天、恵比寿、福禄寿、寿老人、そして最後に大門近くの布袋。
七つの社を巡った客は、最後にまた三河屋の引手茶屋へ戻ってくる。
新しくお迎えした七福神の祠。
昔から信仰されてきた稲荷の社。
奉加した町の人々の名前。
道の途中で客を迎える屋台や棒手振り。
そして、大門から客を迎え入れ、最後には見送る三河屋の引手茶屋。
そのすべてが、一つの景色として吉原の中に並んでいる。
俺はその光景を眺めながら、ようやくここまで来たのだと思った。
「七福神巡り、開催だな」
藤乃にそう告げると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「ええ。ここからが、本番でありんすねぇ」
俺も頷いた。
七つの社を巡る人の流れは、こうして吉原の町へと広がり始めていた。
そして、その日の昼を過ぎるころには、思わぬところから声が掛かり始めた。
「旦那、ちょいとよろしいですかい?」
別の大見世の者が、俺のところへやって来た。
「どうした?」
「三河屋さんの引手茶屋のやり方、うちでもやらせてもらえませんかね」
俺は一瞬だけ藤乃を見る。
藤乃も、やっぱりという顔で微笑んでいた。
「別に構わない。ただ、三河屋の引手茶屋と同じにする必要はないぞ」
「といいますと?」
「自分の引手茶屋で何を見せたいか、何を勧めたいかは、それぞれで考えればいい」
「そいつぁありがてえ」
男は嬉しそうに頭を下げる。
それから少し考えた様子で、こんなことを言った。
「うちは、大門から裏門まで大通りを歩いてもらうのを勧めようと思ってまして」
「大門から裏門まで?」
「へえ。七福神巡りの道とは別に、吉原の表通りを歩いてもらうんです。せっかく遠くから来てもらったんですから、仲之町の賑わいも見てもらいてえ」
俺は少し考えた。
確かに、それも悪くない。
七福神巡りの客が大見世へ入るわけではない。
大名や旗本、御家人、豪商が利用するような大見世と、今回新しく呼び込もうとしている客では、そもそも客層が違う。
だから、この客がそのまま大見世の客になるとは考えにくい。
「大見世の客を増やすつもりなら、あまり期待しないほうがいいぞ」
「分かってますよ」
男は苦笑した。
「うちだって、そのくらいは承知しております。ですが、引手茶屋に客が立ち寄って、細見を受け取ってくれる。それだけでも違いますし、途中で飯を食ったり土産を買ったりしてもらえりゃ、町は賑わう」
「ああ。それでいい」
俺も頷いた。
「七福神巡りの客を無理に大見世へ引っ張り込む必要はない。吉原を歩いて、見て、食べて、買って、楽しんで帰ってもらえれば十分だ」
「へい」
「ただ、大門から裏門まで歩いてもらうなら、道中に何があるのか細見にも分かるようにしておくといい」
「なるほど。じゃあ、おすすめの店や見物できるところも書いておきます」
「それなら面白いだろ」
その男が帰った後も、別の引手茶屋から次々と声が掛かってきた。
「うちは甘味を増やしたい」
「こっちは福車を何台か回してほしい」
「うちは芸事の案内を強く出したいんですがね」
「うちは大門から裏門までの道を売りにしようと思ってまして」
同じ七福神巡りでも、引手茶屋ごとに少しずつ考え方が違う。
俺はそれを見て、むしろ笑ってしまった。
「皆、自分たちなりにやり始めたな」
藤乃が扇子の陰でくすりと笑う。
「最初は旦那様の真似でありんしたのに、もうご自分の色を出しておいででありんす」
「ああ。それでいい」
俺は頷いた。
「全部同じにする必要なんてないからな。基本の順路と七つの印だけ共通にして、あとは好きにやればいい」
そうすれば、客のほうも一度で終わらなくなる。
「前はこっちの引手茶屋から回ったから、今日は別のところから行ってみよう」
そんな楽しみ方ができるようになればいい。
そして、その流れが広がれば、自然と別の仕事も増えていく。
そんなことを考えていたところへ、また一人の職人が駆け込んできた。
「旦那、福車の追加が来てますぜ!」
「もうか?」
「へい。別の引手茶屋から二台。それから、もう一軒からも三台欲しいって話が来てやす」
俺が呆れている横で、藤乃が楽しそうに笑った。
「職人さんは、さぞお喜びでありんしょうねぇ」
「ああ。最初は三河屋の分だけだったのにな」
さらにその翌日には、
「屋根付きのものも欲しい」
「こちらは二人乗りを増やしてくれ」
「うちは高齢の客が多いから、乗り降りしやすいようにしてほしい」
と、注文が次々に増えていった。
最初に作った福車が実際に人を乗せて走ったことで、それを見た者が自分のところでも使いたいと思い始めたらしい。
「なるほどな」
俺はその話を聞いて、思わず笑った。
「七福神巡りだけじゃなく、福車まで商売になってきたか」
「皆さん、上手く商いに繋げておいででありんすねぇ」
「ああ。それでいい」
俺は遠くで走っていく福車を眺めた。
「一つの仕掛けを作ったら、それを見た人間が自分で工夫して、さらに別の仕事を生む。そういうのが一番強いからな」
七福神巡りは、三河屋の引手茶屋だけの催しではなくなり始めていた。
引手茶屋ごとに案内の仕方が違い、店ごとにおすすめする品も変わる。
ある店では甘味を前面に出し、別の店では芸事を勧める。
また別の店では大門から裏門までの大通りを歩かせ、吉原の表通りそのものを楽しませる。
さらに福車を多く用意するところもあれば、土産物を充実させるところもある。
同じ七福神巡りなのに、引手茶屋ごとに少しずつ違った楽しみ方ができる。
それでも、弁財天から始まり、毘沙門天、大黒天、恵比寿、福禄寿、寿老人、最後に布袋へ至るという基本の流れは変わらない。
大見世の客が増えるわけではない。
それでも、引手茶屋が客を迎え、町の店や屋台へ人を流し、道の上を福車が走る。
それだけで、今までとは違った金の流れが吉原の中に生まれている。
「三河屋の引手茶屋から始めて正解だったな」
俺がそう呟くと、藤乃が微笑んだ。
「ええ。最初の一歩を作ったからこそ、皆さんもご自分で歩き始めたのでありんす」
「ああ」
俺も笑った。
「俺一人であれこれ考え続けるより、こうして他の見世の連中が知恵を絞ってくれたほうが、ずっとありがたいな」
俺は賑わい始めた吉原の通りへ目を向けた。
一つの仕掛けを作っただけなのに、それを見た人間が自分なりの工夫を加え、新しい仕事や商売まで生み始めている。
これなら、俺が全部を考えなくても、吉原そのものが勝手に面白くなっていく。
七福神巡りは、いつの間にか三河屋の引手茶屋一軒の企画ではなく、吉原の人間それぞれが育てていく催しへと変わり始めていた。




