なずはうまい飯で客を呼ぼう
内藤宿で旅籠を買い取ってから、俺はさっそく新しい施設の準備に取りかかった。
以前、ここで出会った飯盛女たちが働いていた旅籠だ。主人と息子もそのまま雇い続け、これからは客を取れたかどうかに関係なく、きちんと食事ができ、決められた給金を受け取れるようにする。
吉原で遊女たちの暮らしを改善し始めたときも、まずは飯を食べさせるところから始めた。腹が減っていては、先のことを考える余裕もなくなる。何より、毎日働いているのだから、きちんと食べるのは当たり前のことだ。
今回も、その基本は変わらない。
ただし、従業員の待遇を改善するだけでは、宿場そのものの問題は解決しない。客が少ないのなら、わざわざ内藤宿へ立ち寄りたくなる理由を作る必要がある。
「まずは、何か目立つ施設を作りたいな」
俺は主人と息子、それに連れの者たちを集め、考えていた構想を説明した。
「湯屋と食事処、それに小さな舞台を備えた施設を作ろうと思っている」
「湯屋ですか。それはまた、面白そうですな」
「ああ。だが、ただ風呂を作るだけじゃない。風呂に入って疲れを癒やし、食事をして、時間があれば芝居や芸を楽しめる。そんな場所にしたいんだ」
江戸の町中まで行けば、湯屋を利用することもできる。四谷あたりにも、そうした商売があっておかしくはない。
しかし、内藤宿まで来た旅人が、わざわざ江戸の町中へ戻らなければ風呂に入れないのでは不便だ。ここに気軽に立ち寄って湯に浸かり、食事も楽しめる場所があれば、それだけでも商売になる可能性がある。
しかも、宿泊しない旅人にも利用してもらえる。宿泊客の数だけに頼らずに済むのは、大きな利点だった。
とはいえ、俺は風呂だけで客を集めようとは思っていない。
現代の宿泊施設でも、料理が評判になって客を呼ぶところがある。泊まることそのものより、そこで出される料理を楽しみに訪れるわけだ。
だったら、内藤宿でも同じことを考えていい。
風呂は旅の疲れを癒やすためにある。小芝居は食事の前後に楽しむ娯楽だ。そして、わざわざ食べに来たくなるような料理を用意できれば、それが客を呼び込む一番の理由になる。
「まずは、飯をうまくすることだな」
俺がそう言うと、主人と息子は少し意外そうな顔をした。
「湯屋を作るのに、まず食事でございますか?」
「そうだ。風呂に入れるだけなら、ほかにも湯屋はあるだろう。だが、ここでしか食べられないものがあれば、わざわざ立ち寄る理由になる」
吉原や品川のような豪華さを売りにするつもりはなかった。
そもそも、この街道を利用する大名は限られている。大名行列を主要な客として当てにするのは無理があるし、豪華な設備や高価な料理に金をかけても、それを利用する客が少なければ経営が成り立たない。
ここで目指すのは、安くてうまいものを食べ、気持ちよく風呂に入り、気軽に娯楽を楽しめる場所だ。
料理も、高級な食材を並べればいいというものではない。安い材料でも、調理の仕方や組み合わせを工夫すれば、十分に満足できるものを出せるはずだ。
「浴場は戸棚風呂でいこう。大きな浴槽に大量の湯を張る必要はない。水と薪の消費を抑えながら、旅人に疲れを癒やしてもらえるようにしたい」
「承知しました。では、湯釜と排水の設備を確かめながら、使いやすいように仕上げましょう」
職人たちも戸棚風呂のことは知っている。細かな説明をする必要はなかった。
大切なのは、実際に何人の客を受け入れられるか、水と薪をどれだけ使うか、毎日きちんと清潔に保てるかということだ。
湯を沸かせば、それだけで衛生面の問題がすべて解決するわけではない。洗い場を設け、汚れた水をきちんと排水できるようにし、設備の手入れを怠らない。営業を続けるためには、そうした管理の仕組みも必要になる。
俺は大工や桶職人、左官などを手配し、建物の改修と新築部分の工事を進めることにした。
今ある旅籠は、使える部分を残して営業を続ける。浴場は裏手の土地に設け、食事処と厨房を隣接させる。舞台は大きな芝居小屋にする必要はない。旅人が休みながら短い芝居や語り物、曲芸などを楽しめる程度のもので十分だ。
工事が始まると、職人たちは手分けして作業を進めていった。
江戸時代の建築は、本当に仕事が早い。もちろん、材料の手配や地盤の確認、浴場の設備工事など、時間のかかる作業はある。それでも、必要な職人を集めて作業を分担すれば、建物の骨組みが出来上がるのは驚くほど早かった。
俺が様子を見に行くたびに、柱が立ち、梁が組まれ、屋根が掛かっていく。
「昨日はまだ骨組みだけだったと思ったんだがな」
「職人たちも、段取りさえ決まれば早いものです」
連れの者が笑った。
俺は建物の進み具合を確認しながら、設備の配置や使い勝手について職人たちと相談を続けた。
浴場の隣には食事処を設け、その奥に厨房を作る。厨房と湯を沸かす設備は、火の扱いと火災の危険を考え、客の集まる場所から適切に分けることにした。
豪華な建材を使うよりも、掃除や手入れがしやすく、長く使い続けられることを優先する。
その一方で、俺は食事処の献立を考え始めた。
「品川から干物を仕入れる手配はできているか?」
「はい。鯵の干物を中心に、品物と値段を確認しながら運んでもらう予定です」
「よし。それなら、地元で手に入る魚も調べておこう」
鯵の干物なら、焼いて飯と一緒に出すだけでも立派な食事になる。品川から日本橋を経由して内藤宿まで運ぶことも、十分に現実的な距離だ。
ただし、何でも品川から仕入れればいいというわけではない。運搬費もかかるし、地元で手に入るものはなるべく近くから仕入れたい。
「鮒や鯉、泥鰌も使えるだろう。季節によっては鮎もいいな」
川魚を使った料理を用意できれば、干物とは違う楽しみを提供できる。
鮒や鯉は煮物や汁物にできるし、泥鰌は鍋にしてもいい。開いた泥鰌と牛蒡を煮て卵でとじる料理も試してみたい。うまくいけば、内藤宿の名物料理に育てられるかもしれない。
もちろん、最初から料理の種類を増やしすぎるつもりはない。仕入れ値や調理の手間を確認し、無理なく提供できるものから始める。
「それから、蕎麦も出そうと思う」
「蕎麦ですか。確かに、こちらのような街道沿いでは、よさそうですな」
「ああ。腹を満たせるし、手頃な値段で出せるように工夫したい」
蕎麦切りは、すでにこの時代にもある。だが、現代のように醤油とみりんを使った蕎麦つゆを当たり前のものとして考えるのは、まだ早い。
そこで、味噌を煮て漉した垂れ味噌や、鰹節を加えて作る煮貫を基本にしようと思う。
鰹節だけをたくさん使えば、材料費もかさむ。安くてうまい蕎麦を出したいのだから、だしの取り方にも工夫が必要だ。
「鰹節だけでなく、鰯も使えないかな」
「鰯でございますか?」
「ああ。魚を煮てから干せば、保存が利くようになるだろう。だしにも使えるかもしれない」
鰯を干したものは、すでに肥料として利用されている。だから、魚を干すこと自体は新しい発想ではない。食用にするなら、肥料用の干鰯をそのまま流用するのではなく、食べるための魚を選び、煮て干す方法を試してみればいい。
品川の魚商に相談し、小魚を使った試作品を作ってもらう。鰹節を使ったつゆと比べて、味と費用がどう変わるかを確かめるつもりだ。
うまくいけば、蕎麦の原価を抑えるだけでなく、加工した魚を使った新しい商売にもつながるかもしれない。
「それと、蕎麦には七色唐辛子が合うだろう。江戸から仕入れたものを使いつつ、蕎麦に合う配合も試してみたいな」
「それは、お土産にもできそうですな」
「ああ。気に入った客が家でも使えるよう、小さな包みにして売ればいい」
七色唐辛子は、すでに江戸でも売られている。今さら俺が発明したところで珍しくもない。だが、仕入れたものをそのまま出すだけでなく、蕎麦に合う味を工夫し、店独自の配合を作ることはできるはずだ。
評判がよければ、いずれ周辺の農家に唐辛子を試しに育ててもらうことも考えられる。今すぐ地元の名産になるとは限らないが、将来的には内藤宿ならではの薬味に育つかもしれない。
ただ、最初から料理の種類を増やしすぎるつもりはない。
普段の献立は、蕎麦切り、うどん、そうめんや冷麦を中心にする。そこに鯵の干物や、地元の川魚を使った料理を組み合わせる。まずは少ない品目をうまく作り、注文が増えても同じ味で出せるようにすることが先だ。
そのうえで、季節ごとの名物料理を用意したい。
「夏は冷たい麺、冬は温かい麺だな」
「季節に合わせて、料理を変えるということですか?」
「ああ。せっかくなら、季節ごとに食べに来る楽しみを作りたい」
夏なら、そうめんや冷麦がいい。
井戸水で冷やした麺をざるや器に盛れば、暑い日でもさっぱり食べられる。大量の氷を使う必要もない。茹でた麺を清潔な水で冷やし、長時間水に浸けたままにしないよう気をつければ、夏の名物にできるだろう。
つゆは味噌を基本にした煮貫などを工夫して用意する。薬味には浅葱や大根おろし、七色唐辛子などを添えればいい。
「夏の暑い日に、風呂で汗を流したあと、冷たいそうめんを食べられたら喜ばれるだろうな」
「それはよさそうですな」
「ああ。それに、うまい冷たい麺を食べられるなら、風呂に入るつもりがない客も食べに来てくれるかもしれない」
ここが大事だ。
湯屋を作ったからといって、風呂を利用する客ばかりを相手にする必要はない。食事だけを目的に来る客が増えれば、その人たちが風呂や舞台にも興味を持つかもしれない。
秋口になったら、少し特別な料理も加えたい。
「そうだな。温かいうどんに卵を一つ落として、月に見立てた料理を出すのはどうだろう」
「卵を入れるのですか?」
「ああ。黄身が月のように見えるだろう。秋の月見に合わせて出すんだ」
卵は安い食材ではない。だから、普段のうどんと同じ値段にする必要はない。新鮮な卵を一つ使う季節限定の料理として、少し高めの値段で出せばいい。
現代でいえば、秋になると売り出される季節限定の料理というところだ。毎年楽しみにしてくれる客ができれば、秋の名物として育てられるかもしれない。
もちろん、最初から「月見うどん」が広く知られているわけではない。俺が考えた新しい料理として売り出すことになるだろう。
「それなら、秋にはそれを目当てに来る客も出てくるかもしれませんな」
「そうなってくれればありがたいな」
冬は、温かい麺料理をさらに充実させたい。
普通のうどんを温かい汁で出すだけでもいいが、せっかく甲州街道沿いに店を構えるのだから、野菜をたっぷり使った味噌煮込みも考えたい。
小麦粉で作った幅広の麺を、大根や菜っ葉などの野菜と一緒に煮込む。甲州で食べられているような料理を取り入れれば、街道を通る客にもなじみやすいだろう。
さらに、客一人分ずつ小さな鍋で温かいうどんを出す方法も試してみたい。寒い日には、熱々の汁と麺を一緒に食べられるのはありがたいはずだ。
そして、冬にはもう一つ、少し特別な料理を用意したい。
「鴨と葱を使った蕎麦も、冬の名物にできそうだな」
「鴨でございますか?」
「ああ。鴨の肉と葱を一緒に煮て、温かい蕎麦に合わせるんだ。鴨の脂とうま味が汁に出れば、普段の蕎麦とは違った味になるだろう」
鴨が手に入る季節に限られるし、仕入れ値も考えなければならない。だから、毎日売るものではなく、冬の数量限定の料理にするのがよさそうだ。
つゆも、現代の醤油とみりんを使うものをそのまま持ち込むのではなく、味噌を基本にしたものを工夫する。鴨の脂や葱の風味を生かせれば、十分にうまい料理になるはずだ。
「普段の蕎麦より高くなりますが、それでもよろしいので?」
「ああ。普段の料理は安くしておく。その代わり、季節の特別な料理には、少し余分に払ってもらうんだ」
安いものだけを売ろうというわけではない。手頃な料理を基本にしながら、季節に一度は食べてみたいと思える品を用意するのだ。
「春は山菜うどんもいいな」
わらびやぜんまい、ふきなど、春に採れる山菜を使ったうどんだ。近隣で採れたものを仕入れ、その日の材料に合わせて作る。山菜がたくさん手に入れば、焼き饅頭の具にも使えるかもしれない。
こうして考えると、一年を通じて料理を変えていくことができる。
春は山菜うどん。夏は冷たいそうめんや冷麦。秋は月見うどん。冬は鴨と葱の蕎麦や、野菜たっぷりの味噌煮込み。
そこに普段から食べられる蕎麦切りとうどん、魚料理を組み合わせれば、季節ごとに違った楽しみを用意できるだろう。
ただし、最初からすべての料理をそろえるつもりはない。今の季節に合ったものから始め、仕入れや調理に無理がないかを確かめながら、順番に増やしていけばいい。
料理を看板にするなら、食べた客が誰かに話したくなるような名物も欲しい。
そこで考えたのが、蕎麦粉や雑穀の粉を使った焼き饅頭だ。
「生地に野菜や味噌などを包んで焼くんだ。焼きたてをここで食べてもいいし、持ち帰って食べられるように工夫してもいい」
俺が考えているのは、現代の信州のおやきに近いものだ。
もちろん、今の時代にある材料で作るのだから、同じ味になるとは限らない。まずは蕎麦粉や雑穀粉を練り、刻んだ菜っ葉や味噌などを包んで焼いてみればいい。材料の値段も安く抑えられれば、食事代わりにもなる。
さらに、芋がらも利用できるかもしれない。
里芋の茎を干した芋がらは、戻せば煮物や汁物に使える。これを縄状に編んだ芋がら縄にしておけば、持ち運びやすい保存食になる。湯屋で使う味噌汁の具にもできるし、道中用の食料として売ることもできるだろう。
「こうした品を作れる者が、この辺りにいないか調べてくれ。材料を用意できれば、周囲の農家や商家にも仕事を頼めるはずだ」
「承知しました」
湯屋の中だけで商品を作り、売る必要はない。地元の者たちにも製造や仕入れで参加してもらえば、施設の外にも商売が生まれる。
それから、もう一つ思いついた。
「そうだ。味噌玉も作れるんじゃないか?」
「味噌玉ですか?」
「ああ。味噌を一食分ずつ丸めて、乾かしたり焼いたりするんだ。旅先で湯に溶かせば、簡単に味噌汁が作れる」
味噌なら、すでにこの時代にもある。乾燥させた野菜や菜っ葉、細かくした干物などを混ぜておけば、わざわざ具を用意しなくても汁物を作れるはずだ。
もちろん、味噌の水分や具材の状態によっては傷みやすくなる。作ったものがどれくらい保存できるかは、試してみなければ分からない。
そこで、まずは少量を作り、十分に乾燥させたものを用意してみる。持ち運び方や保管方法も含め、実際に旅に持っていって確かめる必要があるだろう。
「それと、もう一種類だな」
「もう一種類と申しますと?」
「汁物にするためだけじゃなく、道中で少しずつ口にできる焼き味噌玉だ。味噌を小さくまとめて焼き、持ち歩けるようにする。飯に添えてもいいし、少しずつかじってもいい」
味噌玉は甘い菓子ではない。塩気とうま味のある食べ物だから、携帯食や飯のお供として考えるのがよさそうだ。
「つまり、湯に溶かして味噌汁にするものと、そのまま食べられるものを分けるんですね」
「そういうことだ。まずは試作品を作って、味や保存の具合を確かめよう。売るのは、それからでいい」
旅人にとって、温かい汁物を簡単に用意できるのはありがたいはずだ。焼き味噌玉なら、食事のときに飯に添えることもできる。
高価な土産ではないが、旅の途中で役に立つ。内藤宿で売るには、こういう品こそ向いていると思う。
さらに、食べてなくなるものだけでなく、旅の後も使える実用品をそろえたい。
「手拭いも置こう」
「手拭いですか?」
「ああ。汗を拭くにも、風呂に入るときにも使える。旅人なら、何枚あっても困らないだろう」
高価な染め物にする必要はない。丈夫で使いやすい布を用意し、まずは無地か簡単な印を入れたものを売る。店の印を染めれば、湯屋を利用した記念にもなるし、道中で使ってもらえば宣伝にもなる。
ほかにも、小さな巾着や包み布、荷物をまとめるための荷縄、草鞋の替え紐などが考えられる。
旅人が道中で必要になったとき、気軽に買い足せるものだ。
「店の入口近くに小さな売り場を設けよう。蕎麦を食べて気に入った者には七色唐辛子を、道中の食料が欲しい者には焼き饅頭や味噌玉を、実用品が欲しい者には手拭いや荷縄を売る」
「それなら、風呂に入らない旅人にも買ってもらえますな」
「ああ。だが、最初から品物を大量にそろえる必要はない。売れ行きを見て、売れるものを増やせばいい」
こうして、食事処で出す料理と土産物の構想も固まっていった。
湯屋で蕎麦を食べ、気に入った七色唐辛子を買う。旅の途中で使う手拭いや荷縄を買い足す。温かい汁物が欲しいときのために味噌玉を買っておく。
風呂に入るつもりがなくても、食事や土産物を目当てに立ち寄れる。そこから湯屋や舞台にも興味を持ってもらえればいい。
こうしている間にも、建物の工事は着々と進んでいった。
浴場の骨組みができ、屋根が掛かり、食事処や厨房の内装も形になっていく。湯を沸かす釜や排水設備の設置には手間がかかったが、職人たちが協力して作業を進めたおかげで、工事は順調だった。
着工から一か月ほど経つ頃には、建物の外観はほぼ出来上がっていた。
残るのは、湯を沸かす設備の調整や排水の確認、浴場の仕上げ、厨房の道具や食器の準備などだ。
「いよいよ形になってきましたな」
「ああ。ただ、実際に使ってみないと分からないこともある。まずは湯を沸かして確かめよう」
俺たちは試運転を始めた。
湯を沸かす釜に火を入れ、湯が温まるまでの時間を測る。戸棚風呂の使い勝手や湯気のこもり方、湯の温度、排水の具合なども確認した。
実際に動かしてみると、思ったより薪を消費するところや、湯の温度を調整しにくいところが見つかった。
「これは、実際に使ってみないと分からないな」
俺は職人たちと相談し、釜の扱い方や火加減、湯の入れ替えの手順を見直すことにした。
浴場を清潔に保つためには、利用が終わるたびに洗い場を掃除し、汚れた水を流し、浴場や設備の状態を確かめなければならない。
従業員たちにも、掃除や湯の管理の手順を覚えてもらった。
主人と息子には旅籠の営業を続けながら、新しい施設の運営にも加わってもらう。飯盛女たちにも、本人たちの希望や得意なことを聞き、食事処や接客などの仕事を割り振っていく。
仕事をきちんとこなしてくれるなら、客を取れなかったことを理由に食事を抜くような扱いはさせない。給金も、あらかじめ決めた額をきちんと支払う。
新しい施設を作るのは、建物を立派にするためではない。そこで働く者たちが安定して生活できる仕事を作るためでもあるのだからな。
着工からおよそ一か月半。
ようやく、湯屋と食事処、小さな舞台を備えた施設が営業できる状態になった。
俺は完成した建物を見回した。
決して豪華な施設ではない。だが、風呂で疲れを癒やし、手頃な値段でうまい飯を食べ、時間があれば小芝居を楽しめる。
食事処では、蕎麦切りやうどんを基本に、品川から仕入れた干物や地元の川魚を使った料理を出す。暑い時期には井戸水で冷やしたそうめんや冷麦を用意し、秋には卵を使った月見うどんを季節限定で出してみたい。
冬には野菜をたっぷり入れた味噌仕立ての煮込み麺や、鴨と葱を使った温かい蕎麦を試す。春には、近隣で採れた山菜を使ったうどんもいいだろう。
ただし、これらを最初からすべて並べるわけではない。今の季節に合った料理から始め、仕入れや調理の負担を確かめながら、順番に増やしていくつもりだ。
さらに、蕎麦や七色唐辛子、焼き饅頭、味噌玉など、道中に役立つ食べ物も買える。手拭いや巾着、荷縄といった実用品も用意する。
客に高価なものを買わせる必要はない。安くても満足できる食事を出し、気持ちよく風呂に入ってもらい、土産を買いたい者には手頃な品を用意する。
吉原や品川のように贅沢を楽しむ場所とは違う。ここは、庶民や商人、街道を行き来する旅人が気軽に立ち寄れる場所にしたい。
「まずは近くの者たちにも使ってもらおう。評判を聞いて、悪いところがあれば直していけばいい」
最初から大勢の客が押し寄せるとは思っていない。
だからこそ、小さく始めて、使い勝手や料金、料理の内容を確かめながら改善していく。
内藤宿に、わざわざ立ち寄りたくなる場所を作る。
そして、ここで働く人々にも、きちんと食べて暮らせる仕事を用意する。
そのための第一歩は、ようやく整った。
「さて、どれだけ客が来てくれるかな」
俺は、暖簾を掛ける場所を見上げた。
風呂があるから来る。芝居があるから来る。土産を買うために立ち寄る。そういう客もいるだろう。
だが、一番の目当ては、やはり料理にしたい。
「あそこの蕎麦はうまい」「春になったら山菜うどんを食べよう」「秋の月見うどんが始まったら、また行こう」「冬の鴨葱そばも試してみたい」――そんな評判が広がれば、内藤宿を通り過ぎていた人々も、わざわざ足を止めてくれるかもしれない。
うまい飯を中心に、風呂と娯楽、実用的な土産物を組み合わせる。
最初から大きく儲けようとするのではなく、客の声を聞き、売れたものを育て、必要なものを少しずつ増やしていく。
それが、この宿場で俺が始めようとしている商売だった。




