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役者を弾左衛門から独立させるために幕府に提示できる利を中村勘三郎と話し合ってみようか。

 さて、すぐさまに認めてもらおうとするのは難しくとも歌舞伎、役者や浄瑠璃師、猿樂師、絡繰師などの演劇関係の非人の、弾左衛門からの独立に向けて幕府に働きかける手はずは整えておきたい。


 品川の客寄せにも使えるだろうし、そうすれば清花もきっと喜ぶだろう。


 理由が個人的なものだって、別に幕府に迷惑をかけるわけじゃないならいいんじゃねえのかな。


 そもそも江戸幕府というのは、あくまでも武家の棟梁であるだけなので、明治以降もしくは奈良時代のような中央集権的な政治機構ではない。


 江戸幕府の統治は、基本に戦国時代と同様に惣や町の自治に負うところがおおきく、江戸の町人地における治安維持に関わる人員の少なさも、あくまでも町の自治を越えて処理しないといけないものに限るという名目だったからだと思う。


 実際に与力、同心や岡っ引きに多く金を出しているのは、幕府そのものではなく吉原や豪商たちだったりもするし、岡場所の検挙を実際行っていたのが吉原だったりするあたり、町民のことは町民になるべく任せるというスタンスだったのだと思う。


 そして江戸の町奉行はお白州での犯罪裁きまでは行うし、重罪の判決は幕府上層部が判決を決定するが、その後の犯罪者の処理は基本的に弾左衛門に任せていたわけだ。


 同時に弾左衛門は江戸にある幕府や諸大名の厩などで馬が死んだり、農村でも牛馬犬猫などが死ねばそれは全て引き取って処理を行い、鎧具足の生産や太鼓・三味線の革張を行ったし、行灯灯りに必要な灯芯の制作も一手に引き受け、規定の量は幕府へは無料で納め、余った分は民間に販売した。


 更に門付け芸などの「きよめ」にかかわる仕事をすべて担当したということで、本来ならこれある程度は幕府が管理するべきことなんだけどな。


 正保2年(1645年)に移転した際の弾左衛門の屋敷の敷地は、なんと740坪もあり下手な大名屋敷よりずっと大きかった。


 ちなみに燈心の材料である燈心草は、家康公のお墨付きにより、弾左衛門が指定した場所に耕作を命じることができ、その村の名主は弾左衛門の命令を忌々しく思いながらも、幕府の威厳には逆らえず、渋々従ったが、稲を育てるはずの水田に燈心草を植え、収穫物は無料で弾左衛門に差し出さなければならなかったからそりゃ心象も悪くなるよな。


 井伊家や水戸藩の領地に燈心草の耕作を命じたときも、それぞれの藩と諍いが起こっていたりする。


 弾左衛門の権限ってのはそれだけ強かったんだな。


 まあとりあえずと俺は中村勘三郎と話をすることにした。


「なあ、お前さん達は結構複雑な立場だよな」


「そりゃどういう意味だい?」


「なに、江戸城内で猿若舞を見せるときは弾左衛門に櫓銭を払うわけじゃないのに、その他の場所だと櫓銭を払わなきゃならんわけだろ」


 中村勘三郎はうなずいた。


「ああそうなんだよ。

 ここ吉原でも払わなくていいからまあ助かるがな」


「猿楽の金剛太夫とか絡繰師の結城孫三郎、江戸肥前掾なんかもおんなじように思ってんのかね」


「まあそうだろうな。

 特に金剛太夫は何度も弾左衛門ともめてるし」


「結局は河原に桟敷席を作らにゃならんことが問題なんだよな」


「基本的にはそれなんだよな」


 単に河原に桟敷を敷いてそこを使って商売をするだけなら、茶屋などもやってることなんだが、阿国歌舞伎から発展した遊女歌舞伎は、京の四条河原で生まれたものであったから、その関係者はひろい意味で河原者のなかにふくめてかんがえられていたのだな。


 それが覆るのが宝永5年(1708年)の勝扇子の最終的な沙汰での”歌舞伎役者は則神楽として之在り候、又人形浄瑠璃も賤敷者(河原者)にて之無く”というものだったんだな。


 小林新助は、京都の歴史と地理の案内書である雍州府志から引用して、歌舞伎は名護屋三左衛門の妻の国がはじめて出雲の神楽のまねをしてはじめ今は歌舞伎神楽といい、浄瑠璃は治郎兵衛という者が、上総介の官職名をもらっており、河原者とする根拠はないとつよく主張したんだが、遊女歌舞伎や浄瑠璃は四条河原で興行を行ったのも事実だったりするんだよな。


「なら、将軍家が猿楽を楽しみ、大奥でも遊女の芝居が大事な娯楽になっていること。

 そして櫓銭を弾左衛門に支払わせるより、寺社奉行に支払わせたほうが幕府に利益があること。

 また江戸で芝居を行うときは勘定奉行に、それ以外の関八州で旅芝居を行うときは道中奉行に必ず届け出を行うことでそれぞれの行動を管理できることなんかを提示してみるか」


「結局金は払うのか?」


「ある程度はそうしたほうがいいのさ。

 誰でも彼でも簡単に芝居興業ができるようになればかえって全体が苦しくなるからな」


「そんなもんか?」


「そんなもんさ」


 実際に勝扇子による勝訴で櫓銭がなくなったことにより、江戸近辺での芝居興業への新規参入者が増え、お互いに客を奪い合うことになって興行に失敗し、借金にあえぎ始める座がその後増え始めた。


 更には享保の改革によってもたらされた不況の波により、森田座が破綻したりも実際しているしな。


 価格のつり上げを防ぐためにもある程度の競争は必要だが、ある程度の利益を確保するための適度な参入の規制も必要なんだよな。

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