爪の手入れを楽にするため爪切りをつくるか
さて、21世紀の女性は爪の手入れに加えて、それを美しく見せることにも余念がない。
マニキュアやネイルアートなど、それ専門の店が成り立つぐらいなのはチョット驚きだ。
ではその前の時代に置いて爪の手入れをどうしていたかだが、旧石器時代や縄文時代などでは、様々な作業などにより爪が磨り減るスピードと伸びるスピードはあまり変わらなかっただろうから、あまり問題はなかったようだ。
弥生時代には農耕をする必要のない地位の高い者は、小刀で切ったり削ったりしていた可能性が高い。
江戸時代は武士は持っている短刀で、庶民は小型の鑿で爪を切っていたりする。
「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」ということわざは、江戸時代の明るくない照明で爪を切っていると怪我をしてそれがもとで死んでしまう危険があったからのようだ。
特に利き腕でない方で反対側の爪を切るのは大変だったんだろうな。
明治時代になると爪切り専用に作られた握りばさみが広く普及し、大正時代に開発されたニッパー式爪切りは爪のカーブに沿った斜め刃が使われたとても使いやすいもので、今でもニッパー式は使われている。
そして昭和になると一般的に21世紀でも使われてる、てこの原理を使った折りたたみ式爪切りが開発されたが、これははさみやニッパー式に比べ、利き手に関係なくじょうずにつめが切れ、小さいため収納にも便利であるために最も普及し、百均でもあるような手軽に買えるものになる。
「とはいえ折りたたみ式爪切りを作るのは今の技術じゃちょっと難しいか。
となるとニッパー式かな」
こういうときに頼りになるのが権兵衛親方だが、流石にニッパー爪切りは作れねえかな。
「とりあえず親方と相談してみるか」
俺は権兵衛親方に相談することにした。
ニッパー式爪切りの構造図のようなものを、手書きで書いて権兵衛親方に見せながら俺は言う。
「というわけでこういう構造のものを作れる職人を紹介してくれねえかな?」
権兵衛親方が苦笑して言う。
「こりゃ刀鍛冶の領分だと思うが、まあ腕のいい奴を紹介すればいいのか」
「ああ、それでかまわねえ。
そういえば鈴蘭と茉莉花の身請け金もそろそろ貯まる頃だな」
「これを作れるやつを紹介したら身請けをさせてもらえるかい?」
「ああ、それは構わねえぜ」
「なら間違いないやつを連れてくるぜ」
権兵衛親分はそう行って飛び出していった。
そしてしばらくして職人を連れて帰ってきた。
「こいつなら間違いないと思うぜ」
「なるほど、こういう物を作って欲しいんだができるかな?」
「へえ、なんとかやってみましょう」
刀鍛冶に図面を渡して暫く待ったら、ようやく出来上がったものを持ってきてくれた。
「こんなもんでどうでしょう?」
「ふむふむ、試しに切ってみるとするぜ」
「ええ、どうぞ」
実際に握って爪を切ってみたがなかなか使いやすい。
「よしこれを買うとする。
いくらぐらいなら妥当だと思う?」
「そうですなぁ、金二分(およそ5万円)ってとこでしょうか」
「うーむ結構たけえな」
「数打ちで作れるもんじゃありやせんからね」
「たしかにそうか」
この時代だと刀一本で5両から10両ぐらい、銘刀なら300両(およそ3000万円)から1000両(およそ1億円)までするし、21世紀でも本当にいい包丁は10万ぐらいはするんだけどな。
「わかったそれで買うからもっとたくさん作ってくれ。
金を持ってるやつはそれでも買うだろうし、その爪切りで爪の手入れを美人楼でやれば客も来るだろうしな」
「わかりやした」
というわけで俺は爪切りなども含めた爪の手入れを美人楼でやることにした。
ちなみにマニキュアというのは、本来はラテン語で「マヌス(手)」の「キュア(手入れ)」を意味するので爪に色を付けるのは本来ならネイルカラーとでも呼ぶべきものなんだがな。
江戸時代には紅花を使った染色技術が中国から渡来し紅花栽培が盛んになり、紅花が化粧にも利用されるようになる。
爪に紅を塗るのは「爪紅」唇に紅を濃く塗る化粧は「口紅」と呼ばれる。
美人楼ではまず爪の垢を洗い流し、綿で甘皮の表面にくっついている余分な部分を取り除き、爪を切って、砥草で軽く削って、油と皮で爪の表面を磨き上げて、爪紅をつかって赤く染め上げる。
後は手に荏胡麻や椿油に細かく砕いた貝殻を加えたものを塗ってハンドケアもする。
江戸時代は長くて小さく白い肌の手は美人の要素として重要なんだが、爪がきれいなことも大事だったし、どんなに顔や化粧がよくても、手足の肌が荒れていたり爪が伸びてそこに垢がたまっていては興ざめだと言われたりするからな。
とは言っても水仕事と針仕事が主な仕事である一般的な町民はそこまで手入れに気を使っていられないので、女中などがいる家の奥さんや娘、もしくは奥女中くらいしかやらないかもしれないけど。




