愚者の後進
(だから、僕は、ダメなんだよ)
手の中の紙の感触が七岡勇人にとって、酷く自分を惨めにさせた。それを慰めるかのような夕日すらも、自分を責めているようにしか思えない。
晴れている夕日を映した瞳は、雨に濡れていた。
*****
七岡勇人は自分が嫌いだ。
どうしてなのかと問われれば彼の口からは溢れるほどの理由を聞くことが出来るだろう。聞いた人間は聞いてしまった事を後悔する。実体験をした人間は少なくはないが、多くは語りたがらない。それを反するのはひどく躊躇われ、悲壮感に浸ってしまう。
自分が大好きな人間もいる。自分を好きになれる事は素晴らしい事だ。でも、謙虚なのか、自分が好きだと聞くのは少ない。
七岡勇人は謙虚なのか。いや、彼は違う。人の気持ちを気にして自分が嫌いと言っているわけではない。
「あのさ、暗い」
七岡勇人の周りだけ異様に負の空気が濃くなっている。
「僕はこんな自分が嫌いだ」
一層濃くなる負の空気に、何とか励まそうとしていた七岡勇人の友人である新塚宗司が頭を抱える。新塚宗司としては、こんな事初めてではない為、慣れてしまったが、慣れてしまったにしろ、こうも暗くては鬱陶しいのだ。
「いい加減、飯でも食えよ。で、シャキッとしろ。ったく、好きな人の前で転んだくらいでよぉ」
「た、ただ転んだら別に良かったよ! なのに僕はさぁ……」
そして、ついに七岡勇人は机に突っ伏す。新塚宗司は七岡勇人の前の空いている席に座って、腕組みしてその様子をじっと伺う。
新塚宗司はそうして、先ほどの事を思い出していた。彼の引っ込み思案で勇気が出せない友人は、残念な事に転んでしまったのだが、それが丁度好きな女子の目の前だった。転んだのは、日直であった彼女が持っている提出ノートを持とうと、やっと決意したとき。生まれたての小鹿のような足取りで向かった七岡勇人は、案の定転び、さらに、彼女の持っていたノートにぶつかり、廊下にぶちまけた。手伝いに行ったはずなのに、厄介を増やしてしまった彼を見て、哀れに思った新塚宗司だった。
「決心したなら、しっかりした足取りで行けよ」
「だ、だ、だ、だ、だって!」
思い出して、思った事を言った新塚宗司に、がばっと起き上がって七岡勇人は反論する。反論、と言うにはかなり乏しいが。
「だって? お前さ、勇人のくせに、勇気なさすぎ。手伝いに行った事は、やるなぁ、と思ったのによ」
「名前の事は言うなよ!」
「名は体を表す、って嘘じゃないのか」
「そーじはそうやってさぁ。いいよなぁ」
言い合いを始めたのはいいが、新塚宗司に勝てる気がしなくなり、とたん、七岡勇人は友人が羨ましくなる。新塚宗司は思った事をズバッと言うタイプだ。しかも、七岡勇人とは反対の性格である。よって、男子からだけでなく、女子からも頼られる男だった。
七岡勇人は羨ましいと呟くと、新塚宗司は彼を睨む。
「他人を羨むくらいなら、自分をどうにかした方が現実的だぞ」
「だってさ」
「だいたい、他人を羨むって事は自分を見限っている事になる。そうだろう? そんなんじゃ、羨む性格になったとしても、結局は何にも変わんねぇよ」
新塚宗司はそう、強く言った。
そうは言われても、七岡勇人はそんな新塚宗司が羨ましくて仕方がなかった。自分がそんな性格で会ったら、どれだけ楽だったのだろうかと、そう考えてしまって仕方がない。そんな事を考えているのが新塚宗司には見て取れたのか、七岡勇人の頭を鷲掴む。
「俺になりたけりゃ、なればいい。真似すればいいだけだ。してみろよ」
「……っ。お、俺にさわんじゃ、ねぇ、ぞ?」
七岡勇人なりに真似をしてみたつもりだったが、後半になるにつれ、声は小さくなり、果ては疑問符までついてしまう有様だった。
「つまんねぇ。とんだ、バカかよ」
「つまんないって、だってそーじが」
「何でもかんでも俺かよ。お前は結局それがお前なんだから、羨んだって仕方がねぇじゃん。俺みたいにって言って、それで好かれてお前嬉しいわけ?」
ずっと言い負かされている気がしてならないが、七岡勇人は何となく、新塚宗司が言わんとしている事が分かって、やっぱり、羨ましくなった。こんな自分は愚者だろうかと思う。羨ましいのは事実、でも、それ以上に思う事があると、七岡勇人は感じ始める。
「ごめん。そんで、ありがとう、そーじ」
「今日、行くんだろ? 頑張れよな、結果聞くの楽しみにしてっから」
七岡勇人は手に力を込める。朝、下駄箱に入れた呼び出しの手紙。散々な事をしてしまった、と言う大きなミスをしてしまったが、朝の時点で、七岡勇人は後戻りできない。
放課後はあっという間に来てしまう。
部活動に励む、声が聞こえてくる中、そんな声や音よりも、七岡勇人の心臓は高く鳴り響いていた。傾き始める夕日が照らす教室、気持ちを落ち着け、屋上に行こうとする、愚者がいる。新塚宗司はそんな様子を気にしていないかのように、出された課題に取り組む。
「よ、よ、よ、よし! 行ってくる、よ!」
声が裏返りながら、七岡勇人は課題に取り組む新塚宗司の背中に言う。
「いってらー……って、おい、何だその手に持っているのは」
「え? 手紙、だけど?」
「直接会うのに、手紙かよ」
新塚宗司は呆れたが、直接渡しに行くだけいいかと、考え直す。
「だ、ダメかな……」
「いや、いいんじゃないか。早く行って来いよ」
七岡勇人は震える足を前に進ませた。
そして、冒頭に戻る。
*****
屋上に着いた、七岡勇人は彼女を見つけた。しかし、結局、手紙は彼の手の中に納まったまま。
「……ごめん、それは受け取れない」
呼び出しをもらった時点で、彼女は何となくその理由を察していた。だから、七岡勇人の手紙は受け取らなかったのだ。グレーの靄が目の前にかかった気がして、とぼとぼと歩く。
七岡勇人は肩をがっくり落として、教室に戻ってくる。
「……ダメだったのか」
「あははは……」
新塚宗司は励まそうと、立ち上がったが、その時に七岡勇人の手に握られている手紙を見て表情を変える。
「何だよそれ」
「受け取ってもらえなかった……」
「で、のこのこ帰って来たのか」
「だって」
「根性なしが」
新塚宗司が冷たく言い放つと、七岡勇人はその言葉に怒りが沸き起こる。
「相手は気が付いていたんだ、僕が何のために呼び出したのか。手紙も受け取れないって言った、それ以上どうすればいいんだ。僕はバカな愚か者なんだよ!」
「本当にな。受け取らなかったから、言わなかったのか。自分の気持ちを伝えに行くんじゃないのか」
「だって!」
新塚宗司は七岡勇人から手紙を奪い取る。
「お前はまだ伝えてない。それでいいのかよ」
「良くは、ない」
「じゃあ、言っちまえばいいんだよ。まどろっこしいことすっからそうなる」
七岡勇人の目の前に手紙を突き出す。
「後ろ向きなお前なら、後ろに進めば前に進む。お前だって進める」
「……」
新塚宗司の手から、七岡勇人は手紙を奪い取って、破り捨てる。
「ちょっと、行ってくる!」
「玉砕して来いよ」
走り出して、七岡勇人は思う。それでは自分だけ、皆と逆方向ではないかと。しかし、歩く道は同じ方角でなくてもいいのではないかと、思った自分がいた。それが可笑しくて、笑う。グレーの靄がかった視界が晴れる気がした。
「名は体を表す、ね。まんざら嘘でもなくなってきたよな、勇人」
新塚宗司は何を奢ってやろうかと、財布の中身確かめた。
愚者の後進
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