第8話 月夜の庭に来た、小さなお客さん
星影草を見つけてから、三日が過ぎた。
ハンナさんの薬屋の裏庭には、小さな畑がある。僕とミレイは、そこに月光草の株をいくつか植え替えた。いつでも安全に薬を作れるように、というハンナさんの考えだ。
「ケン、水やりは朝と夕方よ。やりすぎると根が腐るから、気をつけなさい」
「はい、先生」
「せ、先生はやめて! ミレイでいいわよ!」
顔を赤くして、そっぽを向く。この三日間で、僕はミレイの照れ方にも、だいぶ慣れてきた。
星影草の小さな苗は、ハンナさんの部屋の窓辺で、静かに育てている。
あれから、木箱の中の草は、毎晩ほんのり金色に光るようになった。まるで、夜空の星のようだった。
* * *
その夜、僕は夜中にふと目が覚めた。
(……なんだろう。外で、物音がした気がする)
薬屋の二階の小さな部屋。窓の外では、二つの青い月が、庭を明るく照らしている。
そっと窓を開けて、裏庭をのぞき込んだ。
月光草の畑の真ん中に、小さな影が、ぽつんと丸まっていた。
「……猫?」
いや、違う。
銀色の毛並み。ふわふわの大きな尻尾。ぴんと立った三角の耳。
(これは、子ぎつね、かな?)
僕は、足音を立てないように階段を下りて、庭に出た。
子ぎつねは、僕に気づくと、びくりと体を震わせた。でも、逃げようとして、そのままぱたりと倒れてしまう。
「だ、大丈夫!?」
駆け寄ると、体は氷のように冷たかった。目は、うっすらと開いているけれど、焦点が合っていない。
(そうだ、新しい力……)
僕は心の中で、唱えた。
(……雑草鑑定。状態鑑定!)
子ぎつねの上に、文字が浮かぶ。
【名称:銀尾の子ぎつね】
【状態:衰弱(魔力欠乏)】
【備考:魔の森から迷い出た。星影草の香りに引き寄せられた模様】
「魔力欠乏……」
(月光草なら、効くかもしれない)
僕は、畑から、月光草の葉を二枚だけ摘んだ。そしてハンナさんの薬屋の台所へ走り、小さな鍋でぬるめの湯を作る。
(少しずつ、少しずつ)
湯が淡い月色にゆらめいたとき、子ぎつねを抱えて、そっと、小さな匙で口もとに運んだ。
「ほら、飲んで。苦くないから」
こくり。
こくり。
三匙ほど飲んだとき、冷たかった体に、じんわりと温かさが戻ってきた。ふわふわの尻尾が、ぴくりと動く。
ゆっくりと、大きな金色の瞳が開いた。
「……きゅう」
小さな声が、僕の腕の中でこぼれた。
* * *
翌朝。
「ケン! どこに行ってたのよ! ……って、その子、何!?」
台所に降りてきたミレイが、僕の膝の上のものを見て、目を丸くした。
子ぎつねは、僕の膝の上で丸くなって、すうすうと眠っている。
「夜中に、庭に来てたんだ。弱ってたから、月光草のお茶を飲ませた」
「銀尾の子ぎつね……! 魔の森にしかいない、珍しい魔獣よ!」
ミレイが、ごくりと唾をのんだ。そして、そーっと指を伸ばして、ふわふわの背中に触れる。
「……かわいい」
声が、とろけていた。
「ミレイ、顔、ゆるんでるよ」
「う、うるさいわね!」
そこへ、ハンナさんが降りてきた。子ぎつねを見ると、目を細めて、小さくため息をついた。
「やれやれ。今度は、お客さんかい」
「ばあちゃん、どうしよう。この子、飼ってもいい?」
「飼う、というよりね」
ハンナさんは、子ぎつねの頭を、そっと撫でた。
「この子は、自分で、ここに来たんだ。おまえさんを選んだのさ」
子ぎつねが、ぱちりと目を開けた。金色の瞳が、まっすぐ僕を見つめる。
そして、次の瞬間。
頭の中に、小さな、ふるえる声が響いた。
『……たすけて。もりが、ねむれないの』
「え?」
『ほしの、くさを、さがしてるひとが、いる。もりの、ぬしさまが、おこってる……』
僕は、息をのんだ。
「いま、しゃべった?」
「は? 誰が?」
ミレイが、首をかしげる。
「この子が、頭の中に……」
ハンナさんが、静かに目を見開いた。
「……『念話』だね。魔獣が心を許した相手にだけ、使える力だ」
子ぎつねは、僕の指に、ちょこんと鼻先をこすりつけた。
『なまえ、つけて。ケン』
僕は、思わず笑ってしまった。
(のんびり暮らしたかっただけなのに、どんどん、にぎやかになっていくな)
でも、不思議と、悪い気はしなかった。
「……じゃあ、『ギン』はどうかな? 銀色だから」
子ぎつねの尻尾が、ぱたぱたと嬉しそうに揺れた。
――第9話へ続く――




