第61話 かぼちゃパンと、砂漠のお土産
王都を経由して、ミドリ村に着いたのは、冬のはじまりの、朝だった。
橋のたもとの看板は、前より、少しだけ、色あせていた。
『ケン坊橋』
「……まだ、あるんだ」
「あたりまえでしょ」
後ろから、ミレイが、くすくすと、笑った。
「村の人たちが、毎朝、拭いてるって、ギンが言ってたわよ」
「ええっ」
「ケン坊橋、冬の観光名所、らしいわ」
「やめてよ……」
リヒトが、ぼそりと、つぶやいた。
「悪くない名前だと思うが」
「リヒトくんまで!」
笑い声が、冷たい朝の空気に、ふわりと、溶けた。
橋の向こうから、元気な声が、飛んできた。
「お兄ちゃーーん!」
小さな、赤いほっぺの女の子が、毛糸の帽子を揺らして、全力で、駆けてくる。
「リナ!」
僕が、腕を広げると、リナは、そのまま、胸に、飛び込んできた。
「おかえり、おかえり、おかえり!」
「ただいま。ちゃんと、帰ってきたよ」
「うん! マフラー、ちゃんと、使ってる?」
「うん。ほら」
首に巻いた、水色のマフラーを見せると、リナは、ぱあっと、笑った。端の、小さな花の刺繍が、少しだけ、ほつれている。でも、それが、かえって、うれしかった。
「いっぱい、あったかかったよ。砂漠でも、海でも」
「えへへ!」
その後ろから、ゆっくりと、母さんが、歩いてきた。
エプロン姿。手には、湯気の立つ、籠。
「ケン」
「母さん。ただいま」
母さんは、何も、言わずに、僕の顔を、じっと、見つめた。それから、そっと、両手で、頬を、包んだ。
「……少し、背が、伸びたかしら」
「そうかな」
「ええ。それに、目が、変わったわ」
母さんは、目を、細めた。
「ちゃんと、ごはん、食べてた?」
「うん」
「ちゃんと、寝てた?」
「うん。……たぶん」
「たぶん?」
「ちょっとだけ、徹夜も、した」
母さんは、ふっと、笑って、僕を、ぎゅっと、抱きしめた。
「おかえりなさい。お母さんのかぼちゃパン、焼いたわよ」
籠の布を、めくると、黄金色の、かぼちゃパンが、ずらりと、並んでいた。ふわっと、甘い香りが、立ちのぼる。
「……ああ」
胸の奥が、じんと、熱くなった。
「この匂い。ずっと、思い出してた」
「ほら、みんなの分も、あるわよ。ミレイちゃんも、リヒトくんも、ダリオさんも、カイラさんも。遠慮しないで」
「い、いえ、自分は、騎士ですので」
「ダリオさん、顔が、緩んでますよ」
「す、すみません!」
みんなで、橋のたもとに、座って、かぼちゃパンを、頬ばった。
「おいしい……!」
ミレイが、目を、まん丸にした。
「ケンが、毎回、自慢する理由が、わかったわ」
「でしょ」
「うむ。悪くない」
リヒトは、いつもの、そっけない口調で、言いながら、二つ目に、手を伸ばしていた。
カイラさんは、静かに、一口ずつ、噛みしめて、小さく、つぶやいた。
「……温かい味ですね」
「ありがとうございます、カイラさん」
母さんが、にっこりと、笑った。
* * *
村に入ると、あちこちから、声が、かかった。
「ケン坊、おかえり!」
「砂漠は、どうだった?」
「どでかい、冒険、したんだってな!」
ゴードンじいさんが、杖を、振り回して、大声で叫んだ。
「ケン坊、あとで、広場に来い! 冒険の話を、聞かせてくれ! おじいさん連合が、全員、待ってる!」
「は、はい!」
「それから、いいか、ひとつだけ、言っておく」
じいさんは、じろりと、僕を、睨んだ。
「橋の名前は、変えないからな!」
「ええっ」
「変えないからな!」
「……はい」
ミレイが、肩を震わせて、笑っていた。
薬屋の前に、着くと、ハンナさんが、腕を組んで、待っていた。
「やっと、帰ったかい」
「ばあちゃん、ただいま」
「まったく、いつも、心配ばかり、かけて」
ハンナさんは、ぶっきらぼうに、言ったけれど、目は、うるんでいた。
「ミレイ。あんたも、大変だったろう」
「おばあちゃん!」
ミレイは、ハンナさんに、飛びついた。ハンナさんは、よろよろと、よろめきながらも、しっかりと、抱き止めた。
「こらこら。年寄りを、潰す気かい」
「だって、会いたかったんだもの」
店の奥から、ヴォルフさんが、のっそりと、顔を出した。
「ケン殿。無事で、何より」
「ヴォルフさん。ただいま戻りました」
「ゼノは、王都で、リハビリ中だ。時々、手紙が来る。『あのガルヴィンの、庭いじりを、見てると、笑えてくる』と」
「ふふ。ゼノさんらしいですね」
「ガルヴィンも、まだ、ぶつぶつ、言っているがな。『俺は、鎌が、苦手だ』と」
「でも、毎日、通ってるんでしょう?」
「ああ。毎朝、日の出前に、起きて、水やりに、行ってる」
ヴォルフさんは、少しだけ、笑った。
「月見草は、もう、小さな、蕾を、つけたそうだ」
「え、もう? 早いですね」
「星影草の、肥料を、ケン殿が、残して、いってくれたからな。あれが、効いたらしい」
「……そういえば」
星影草の、種。星の母が、ガルヴィンさんの庭の、すぐ隣に、植えたまま、にしておいた、あれだ。
「あとで、見に行ってみます」
* * *
午後、僕は、丘の上の、庭を、訪ねた。
村のはずれの、日当たりのいい、小さな丘。そこに、ガルヴィンさんの庭が、広がっていた。
冬の、乾いた風の中でも、庭は、きれいに、手入れされていた。丁寧に耕された、畝。木の杭で、仕切った、花壇。
そして、真ん中に、小さな、白い、蕾が、いくつも、揺れていた。
「……きれい」
「ケン殿か」
声に振り向くと、ガルヴィンさんが、灰色の上着の袖を、まくり上げて、鍬を、握っていた。
額には、汗。手には、土。以前の、青白い、宰相の姿とは、まるで、別人だった。
「おかえり」
「ただいま、ガルヴィンさん」
ガルヴィンさんは、鍬を、置いて、ゆっくりと、僕の前に、立った。
「いろいろ、話は、聞いた。砂漠で、大変な、ことになったらしいな」
「はい。でも、なんとか」
「六つ目の草を、手に入れたと」
「はい」
僕は、鞄から、ゆっくりと、砂星草を、取り出した。
淡い、砂色の、花びら。中心に、小さな、星のような、光。
ガルヴィンさんは、じっと、それを、見つめて、小さく、息をのんだ。
「……見事だ。これで、六つ」
「あと、ひとつです」
「天空草、か」
ガルヴィンさんは、庭の、月見草を、見やった。
「エレナの手紙には、『心に咲く』と、あったな」
「はい。そして、あの、影は、『仲間の、誰かの心を、奪う』と」
ガルヴィンさんの、眉が、ぐっと、寄った。
「……影は、そう言ったのか」
「はい。僕は、守ります。絶対に」
「ケン殿」
ガルヴィンさんは、ためらうように、一度、口を閉じて、それから、静かに、言った。
「君に、ひとつだけ、伝えておきたいことが、ある」
「何ですか」
「アルドゥス先生のことだ」
胸が、どくん、と、鳴った。
「先生は、四十年前に、亡くなった。だが、あの人は、死ぬ前に、ひとつの、遺言を、残している」
「遺言……」
「『もし、私の、死後、薬師院に、黒い影が、現れたら、地下書庫の、奥の、七番目の、棚を、探せ』と」
ガルヴィンさんは、懐から、一枚の、古い、黄ばんだ紙を、取り出した。
「これが、その、遺言の、写しだ。私は、先生の死後、ずっと、これを、持っていた」
受け取った紙には、震える、細い字で、こう書かれていた。
『影は、悲しみを、喰らう。だが、悲しみを、分かち合う者には、近寄れない。
もし、私の、弟子たちが、また、迷ったら、七番目の棚の、「灯の、書」を、読ませよ。
――A・M』
「七番目の、棚……」
「そうだ。そして」
ガルヴィンさんの目が、鋭く、光った。
「その、書庫は、ラベル薬師学院の、地下に、ある」
ミレイと、泡さんが、見つけた、あの、波の音のする、書庫。
そして、その、さらに、奥に。
「……学院に、戻る、理由が、増えましたね」
「ああ」
ガルヴィンさんは、静かに、うなずいた。
「頼んだぞ、ケン殿。君の、旅が、あの子たちの、未来に、つながると、信じている」
僕は、遺言の紙を、そっと、胸にしまった。
夕暮れの丘の上で、月見草の蕾が、風に、揺れている。
遠くの、森の方から、ギンの、小さな遠吠えが、聞こえてきた。
「……ただいま、みんな」
僕は、小さく、つぶやいた。
のんびり、暮らしたい。その気持ちは、今も、変わらない。
でも、今は、その「のんびり」を、守るために、もう少しだけ、頑張りたかった。
次は、学院の、冬学期が、始まる。
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――第62話へ続く――




