第58話 砂の渦の底と、十二歳の王さま
ナジュムの里を出たのは、昼を過ぎた頃だった。
ラヒマさんは、里に残ることになった。半身が砂になった体で、遠くまで歩くことは、できなかったからだ。
「サフラを、頼むよ」
別れぎわ、ラヒマさんは、僕の手を、左手で、ぎゅっと握った。まだ、人の体温が、残っている手だった。
「はい。必ず、里を、戻します」
「無理は、しなくていい。……だが、あの子の、お茶は、きっと、届く。ラシード王は、三千年、誰かに、お茶を、淹れてもらうのを、待っていたんだと、わしは思う」
その言葉が、胸の奥に、そっと、沈んだ。
サフラちゃんは、僕の馬の、前に座って、地図を、握りしめていた。
「ケンおにいちゃん、あっち。星の、いちばん、強く光る、方角」
「うん。道案内、お願いね」
「まかせて!」
小さな胸を、えへんと張る。その首で、星砂のペンダントが、淡く、瞬いていた。
* * *
砂漠の午後は、容赦がなかった。
太陽が、真上から、照りつける。砂は、熱を、はね返して、足もとから、じりじりと、焼いてくる。馬たちの足取りも、だんだん、重くなった。
「水を、飲んで。三十歩ごとに、一口」
ミレイが、先頭で、声をかけ続けてくれた。
「ミレイ、あんたも、飲んでよ」
「わかってるわよ! あんたに、言われなくても」
そう言いながら、ミレイは、僕の水袋を、無理やり、僕の手に、押しつけた。
「ほら、ケン! あんた、さっきから、一口も、飲んでないでしょ!」
「えっ、飲んだよ」
「嘘。ずっと見てたもの」
ばれていた。
僕は、苦笑いして、水を、ひとくち、飲んだ。
ぬるい水が、喉に、染みていく。
その様子を、リヒトが、後ろから、ぼそっと、言った。
「ミレイ、おまえ、ケンの、お母さんか」
「う、うるさいわね!」
「ふん」
笑い声が、乾いた風に、さらわれていった。
夕方になって、ようやく、風が、涼しくなった。
地平線の、向こうから、赤い夕日が、砂の海を、染めている。
そして、その、赤い光の中に、ぽつんと、大きな、黒い影が、見えた。
「……あれは」
カイラさんが、馬を止めた。
砂の海の、真ん中に、巨大な、すり鉢状の、くぼみが、ぽっかりと、口を開けていた。
直径は、里が、ひとつ、すっぽり入るほど。中心に向かって、砂が、ゆっくりと、渦を巻いて、吸い込まれていく。
渦の、いちばん、深いところに、ぼんやりと、青白い光が、揺れていた。
「砂の、渦……」
「ゼノさんの地図に、書いてあった。『渦の中心に、遺跡の入り口がある』って」
僕は、地図を、握りしめた。
『もし、迷ったら、「渦」を、探せ』
その、渦が、いま、目の前に、ある。
けれど、砂の斜面は、ほとんど、垂直に近いほど、急だった。足を踏み入れたら、流砂に、飲み込まれてしまう。
「どうやって、降りるの」
ミレイが、不安そうに、聞いた。
「縄を、使いましょう」
ダリオさんが、鞄から、長い、丈夫な縄を、取り出した。
「騎士団の、訓練用です! 長さは、五十メートル!」
「声が大きい」
「すみません!」
「ダリオさん、助かります」
僕は、縄の一端を、近くの、岩の、突起に、くくりつけた。リヒトと、カイラさんが、確認して、しっかりと、結び目を、締める。
「僕が、先に、降ります」
「ケン、また、ひとりで」
「ううん。今回は、みんなで。ただ、最初に、確かめるだけ」
ミレイは、ぎゅっと、唇を、噛んだ。
それから、腰の縄を、僕の腰に、自分の手で、きっちり、結んだ。
「……三十秒、ごとに、合図して」
「うん。わかった」
「返事がなかったら、引っぱり上げるから」
「うん。ありがとう」
僕は、泡さんを、肩に乗せ、砂の斜面に、一歩、踏み出した。
* * *
ざあああ……
砂が、足もとから、さらさらと、崩れていく。
縄を、握りしめて、一歩、また一歩、斜面を、下っていく。
『ケン、ケン』
泡さんが、僕の耳もとで、小さく、言った。
『したのほうから、うたが、きこえる』
「歌?」
『うん。ふるい、ふるい、うた。……かなしい』
耳を、澄ませた。
風の音に、混じって、かすかに、聞こえてきた。
遠い、遠い、少年の、歌声。
『……かえりたい……みんなと……いっしょに……』
背筋が、ひやりとした。
でも、同時に、胸が、きゅっと、締めつけられた。
その声は、あまりにも、小さくて、あまりにも、さみしかった。
十分ほど、降りたところで、足が、固い地面に、触れた。
砂の渦の、底。
そこには、巨大な、石の扉が、そびえていた。
高さは、十メートルを、超えているだろう。表面には、見たこともない、古い文字と、星の文様が、びっしりと、刻まれている。
扉は、わずかに、開いていた。
その隙間から、青白い光が、漏れ出している。
僕は、縄を、ぐいぐいと、二回、引いた。
『ケン! 大丈夫!?』
ミレイの声が、遠くから、響いてきた。
「大丈夫! 扉を、見つけた! みんな、降りてきて!」
しばらくして、ぞろぞろと、仲間たちが、降りてきた。
最後に、サフラちゃんが、ダリオさんの背中に、おぶさって、降りてくる。
「わあ……」
サフラちゃんは、巨大な扉を、見上げて、息をのんだ。
「おばあちゃんの、話と、同じ」
「これが、ラシード王の、城門だね」
「うん。『星の、城門』っていうの」
サフラちゃんは、首の、ペンダントを、握って、扉に、そっと、触れた。
その瞬間、扉の文様が、ぱあっと、青く光った。
ぎい……ぎい……
重たい音を、立てて、扉が、ゆっくりと、開いていく。
「開いた!」
「サフラちゃんの、ペンダントの、おかげだ」
「えへへ」
サフラちゃんは、少し、照れたように、笑った。
扉の向こうに、長い、長い、石の階段が、闇の中に、続いている。
壁の、ところどころに、青白い光の、結晶が、埋め込まれて、足もとを、淡く、照らしていた。
「行きましょう」
僕が、先頭に立って、階段を、降り始めた。
ミレイが、すぐ、後ろ。リヒト、カイラさん、ダリオさん、サフラちゃんと、続く。
百段、二百段、三百段。
降りるごとに、空気が、静かに、冷たくなっていく。
やがて、階段の、終わりが、見えてきた。
そこに、広大な、地下の、大広間が、広がっていた。
* * *
息を、のんだ。
天井は、星空だった。
本物の星空では、ない。けれど、無数の、小さな、光の結晶が、天井一面に、散りばめられて、夜空のように、輝いている。
床は、白い、大理石。左右には、太い柱が、何本も、並んでいる。
そして、その柱の、間に。
何百、何千という、人々の像が、立っていた。
みんな、砂の色。みんな、穏やかな微笑み。男も、女も、老人も、子どもも。三千年前の、ラシード王国の、民たちだ。
「……こんなに」
ミレイの声が、震えた。
『ケン』
泡さんが、僕の頭の上で、ふるえた。
『ここにいる、みんな、ないてる』
「えっ?」
『こえに、ならない、こえで。ずっと、ずっと』
胸が、ずきん、と、痛んだ。
僕は、広間の、奥を、見た。
赤い絨毯の、先。数段の、階段の、上に、小さな、玉座が、置かれている。
その玉座に、ひとりの、少年が、座っていた。
歳は、十二歳くらい。黒い、さらさらの髪。砂色の、古い、王の衣。頭には、小さな、金の冠。
けれど、その、顔は。
青白くて、頬は、こけて、目の下には、深い、くまが、浮かんでいた。
何百年も、眠っていない、子どもの、顔だった。
少年は、僕たちを、じっと、見つめていた。
黒曜石のような、深い、黒い瞳。
ゆっくりと、唇が、動いた。
「……おまえが、月光の、継承者か」
その声は、幼かった。
オルセンさんの口を借りた、あの、低くて、乾いた声とは、まったく、違っていた。
細くて、かすれた、十二歳の、少年の声だった。
「はい。ケンです」
僕は、一歩、前に出た。
「ラシード王さま、ですね」
少年の目が、わずかに、見開かれた。
「……その名で、呼ばれたのは、いつぶりだろう」
「三千年、ぶり、ですか」
「……そうか。そんなに、経つのか」
少年は、小さく、笑った。
けれど、その笑顔は、泣き顔にも、見えた。
「七日の、約束を、守ってくれて、ありがとう。……五つの草は、持ってきたか」
「持ってきました。でも、渡しません」
「…………」
「代わりに、お茶を、淹れさせてください」
少年の目が、きょとんと、丸くなった。
「……茶?」
「はい。僕の、仕事は、お茶を、淹れる、ことなんです」
僕は、鞄から、小さな鍋と、水筒を、取り出した。
そして、ゆっくりと、大広間の中央に、座った。
周りの像が、静かに、見守っている。
けれど、そのとき。
玉座の、少年の後ろの、暗がりから、ひとつの、影が、ゆらりと、揺れた。
黒い外套。背の高い、人影。
その人影が、少年の肩に、そっと、手を、置いた。
「ラシード。騙されては、いけない」
低い、穏やかな、男の声が、広間に、響いた。
「その子どもは、おまえから、すべてを、奪いに来たのだ」
少年の目が、びくり、と、揺れた。
僕の、胸元の、青い石と、氷の結晶と、巻き貝が、いっせいに、強く、光った。
黒い外套の人物の、フードの奥から、ゆっくりと、顔が、のぞいた。
その顔を、僕は、知っていた。
写真のように、鮮明に。
ヴォルフさんの、ノートの、挿絵。
エレナさんの、手紙に、書かれていた、四人目の、名前。
「……ありえない」
ミレイの声が、震えた。
王宮の、庭で、四つの杯を、並べて。
最初から、いなかったはずの、四人目の、友人が。
いま、少年の、肩に、手を置いて、微笑んでいた。
黒い外套の人物は、誰だと思いますか? ご感想を、教えてもらえるとうれしいです。
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――第59話へ続く――




