第57話 砂の像になった村と、おばあさんの昔話
夜明け前、サフラちゃんは、僕の毛布の中で、すうすうと眠っていた。
目を覚ましたのは、東の空が、うっすら、白んだ頃だった。
「……あ」
「おはよう、サフラちゃん。気分は、どう?」
「だいじょうぶ。……おなかが、すいた」
その声に、ミレイが、くすっと笑って、焚き火の脇から、干し肉と、固いパンを、差し出した。
「ゆっくり、食べなさい。水は、こっち」
「ありがとう、おねえちゃん」
サフラちゃんは、パンを、両手で抱えるようにして、はぐはぐと、食べ始めた。
その様子を見ながら、リヒトが、小声で、僕に言った。
「ケン。この子の村は、どのあたりだ」
「聞いてみるよ」
僕は、サフラちゃんの隣に座って、ゼノさんの地図を、広げた。
「サフラちゃん。村は、どっちの方角か、わかる?」
サフラちゃんは、パンを、口に、くわえたまま、地図を、じっと、見つめた。それから、小さな指で、赤い岩山の、すぐ南を、ぐるりと、指さした。
「ここ。『ナジュムの里』。星の、見える、里」
「ナジュム……星、という意味ですね」
カイラさんが、地図をのぞき込んだ。
「赤岩の宿場から、半日、といったところです。ちょうど、砂の渦の、遺跡の、手前に、あたります」
「じゃあ、通り道ね」
ミレイが、立ち上がった。
「朝のうちに、出発しましょう。昼の暑さが来る前に」
* * *
馬の背で揺られながら、サフラちゃんは、僕の前に、ちょこんと座っていた。
「ケンおにいちゃん、あれ」
「うん?」
「あの、岩の向こう。もうすぐ、見えるよ」
岩山の、赤い影を、抜けると、視界が、ひらけた。
そこは、すり鉢のような、窪地だった。
底に、小さな、石造りの家々が、寄り添うように並んでいる。中央には、かつて、井戸だったらしい、丸い石組み。まわりには、枯れたヤシの木。
けれど、人の気配は、まるでなかった。
「…………」
誰も、何も、言わなかった。
風が、さらさらと、砂を、巻き上げる音だけが、響いている。
馬を降りて、村に、足を踏み入れた。
最初に、目に入ったのは、家の戸口に、立っている、人影だった。
背の高い、おじさんの姿。片手を、戸にかけて、中に、入ろうとしている途中の姿勢で、止まっている。
けれど、その体は、肌も、服も、髪も、すべて、白っぽい、砂の色に、なっていた。
「……像」
ダリオさんが、かすれた声で、つぶやいた。
「人間が、砂の像に」
通りの、あちこちに、同じような、像が、立っていた。
水桶を、抱えた、おばさん。走っている途中の、小さな男の子。籠を背負って、立ち止まった、おじいさん。みんな、動きを、途中で、止めたまま、砂に、変わっている。
そして、どの像の顔も、なぜか、穏やかな、微笑みを、浮かべていた。
「トムくん……」
サフラちゃんが、ぽつりと、つぶやいた。
通りの角で、男の子の像が、片手を、挙げた姿で、固まっていた。年は、サフラちゃんと、同じくらい。
「一緒に、星を、数える約束、してたのに」
「サフラちゃん」
僕は、そっと、サフラちゃんの肩に、手を置いた。
「大丈夫。まだ、間に合うって、おばあさんが、言ったんでしょう」
「……うん」
「ちゃんと、確かめてみよう」
僕は、トムくんの像に、近づいて、心の中で、唱えた。
(……雑草鑑定。状態鑑定)
視界が、淡く、光る。
【名称:トム(砂像化)】
【状態:生存。心と記憶を、砂に預け、眠っている】
【備考:砂の主の、「慈悲」により、苦しみを、感じない状態。ただし、このまま三日が経つと、心が、砂に溶け、戻れなくなる】
「…………三日」
僕は、息を、のんだ。
「ケン、何て、書いてあった?」
「みんな、生きてる。でも、あと三日で、戻れなくなる」
「三日……」
ミレイの顔が、さっと、青ざめた。
「砂の主が、言ってた期限は、七日。つまり、遺跡に着くのが、遅れたら」
「間に合わないかも、しれない」
僕は、握った拳に、力を込めた。
* * *
「お客さん、かい」
しゃがれた声が、通りの奥から、聞こえた。
振り向くと、杖をついた、小さな、おばあさんが、よろよろと、歩いてくるところだった。
けれど、その、右半身は、すでに、砂色に、変わっていた。腕も、足も、頬も、半分、白く、ひび割れている。
「おばあちゃん!」
サフラちゃんが、駆け寄った。
「サフラ。無事で、よかった」
おばあさんは、左手で、サフラちゃんの頭を、撫でた。その手は、まだ、人間の、温かさを、保っていた。
「おばあさんが、サフラちゃんの、おばあさん」
僕が、一歩、前に出ると、おばあさんは、黒い瞳を、細めた。
「あんたが、月光の、薬師かい」
「はい。ケンです」
「……ほう。思ったより、小さいねえ」
おばあさんは、くつくつと、笑った。
「わしの名は、ラヒマ。この里の、星読みだ。……すまんが、座って、話しても、いいかい。足が、もう、限界でね」
僕は、水袋と、毛布を、持って、近くの、石の段差に、ラヒマさんを、座らせた。
そして、水筒から、冷たい月光草のお茶を、注いで、手渡した。
「どうぞ」
ラヒマさんは、杯を、受け取って、ひとくち、飲んだ。
しばらく、目を閉じて、ゆっくり、味わっている。
「……ああ。昔、ルナリアの、娘さんが、淹れてくれた、茶と、同じ味だ」
「えっ」
「百年前、この里にも、ルナリアの、人が、来たことがあるんだよ。わしの、祖母の、そのまた、祖母の、時代の話だがね」
ラヒマさんは、杯を、膝の上に、置いた。
「あんたが、聞きたいのは、砂の主の、ことだろう」
「はい。……どんな、人なのか、知りたいんです」
「ふむ」
ラヒマさんは、空を、見上げた。
朝の空は、青かった。けれど、その青の端に、薄い、砂の霞が、かかっている。
「三千年前の、話だよ。ここは、砂漠じゃ、なかった」
その声は、ゆっくりと、語り始めた。
「肥えた、土地だった。川が流れ、果樹園が茂って、『ラシードの王国』と、呼ばれていた。若くて、優しい、王様が、治めていた」
「ラシード……」
「ああ。まだ、十二歳の、少年だった。先代の王が、早くに、亡くなってね」
十二歳。ちょうど、僕と、同じ歳だ。
「あるとき、疫病が、広がった。次々と、民が、倒れた。薬も、効かず、医者も、手を、尽くせなかった」
ラヒマさんの目が、遠くを見つめた。
「ラシード王は、毎晩、泣いていた。『みんなを、助けたい。苦しませたくない』と。……そして、ある夜、砂漠の、精霊に、願いをかけた」
「願い……」
「『どうか、民が、もう、苦しまないように』と」
僕は、胸が、ずん、と、重くなった。
「精霊は、願いを、叶えた。ただし、その方法が、悪かった。『苦しみを、取り上げる』ために、人々の心を、砂に、変えた。痛みも、悲しみも、感じない、砂の像に、してしまった」
「…………」
「王国は、一夜にして、砂に、埋もれた。そして、ラシード王だけが、生き残った。自分の、願いが、民を、像に、変えてしまったことに、気づいたときには、遅かった」
ラヒマさんの声は、静かだった。
「彼は、民を、元に、戻そうと、した。けれど、できなかった。あまりにも、深く、砂に、溶けてしまっていたからね。以来、三千年。ラシード王は、ひとり、砂の底で、民が、目を覚ます日を、待っている」
「待って、いる……」
「そう。だから、砂の主は、悪では、ない。ただ、優しすぎた、少年なんだよ」
風が、ふうっと、吹いた。
さらさらと、砂が、舞った。
「でも、どうして、いまの、人々まで、砂に」
ミレイが、ぎゅっと、拳を握って、聞いた。
「それは、砂星草の、せいだよ」
ラヒマさんは、サフラちゃんの、首に、かかった、小さなペンダントを、指さした。
「砂星草は、ラシード王の、涙から、生まれた草だ。悲しみを、吸って、砂に、変える。普通は、小さな、悲しみしか、吸わないが、誰かが、それを、無理やり、掘り起こして、大量の、力を、解き放ってしまった」
「誰か……」
「あの、黒い油の、男だよ」
ラヒマさんの、顔が、苦しそうに、歪んだ。
「何年か前から、砂漠の、遺跡の周りを、荒らしていた。わしらが、止めようとしたが、追い払われてしまった。そして、半年前、とうとう、砂星草を、掘り出した」
「黒い油の、男……ゼノさんが、言っていた」
「そう。そいつが、砂の主を、眠りから、叩き起こして、器を、与えた。それが、あの、青年だね」
「オルセンさん……」
「その、青年は、ただの、犠牲者だよ。砂の主を、操っていたのは、もっと、別の、誰かだ」
僕は、息を、のんだ。
「別の、誰か?」
「わしにも、わからん。ただ、毎晩、夢に、見るんだ。黒い外套の、背の高い、影を」
ラヒマさんの目が、遠くで、揺れた。
「その影は、ラシード王に、囁く。『もっと、砂を、広げろ。世界を、静かに、しろ』と」
背筋が、ぞくりと、した。
(黒潮商会の、会長は、ゼノさん。砂の主の、器は、オルセンさん。……でも、その、さらに、後ろに、誰かが)
ミレイが、僕の腕を、つかんだ。
「ケン、どうするの」
「…………」
僕は、少し、考えた。
そして、ゆっくりと、水筒の蓋を、開けた。
「まず、この人たちに、お茶を、淹れてみる」
「でも、お茶は、砂に」
「うん。オルセンさんの、お茶は、砂に、変わった。でも、オルセンさんは、砂の主の、器だった。この人たちは、違う」
僕は、トムくんの像の前に、膝をついた。
そして、氷涙草の花びらを、一枚、取り出した。
「悲しみを、ほどく、お茶を」
花びらを、水筒の、お茶に、浮かべる。
青白い光が、ふわりと、広がった。
その、お茶を、小さな杯に、注いで、トムくんの、砂の唇に、そっと、触れさせた。
最初は、何も、起こらなかった。
お茶は、さらさらと、砂に、吸い込まれていく。
でも、そのとき。
トムくんの、砂の頬に、ぽつりと、一粒の、水滴が、浮かんだ。
「……あ」
水滴は、ゆっくりと、頬を、伝って、落ちた。
それは、涙だった。
トムくんの指が、ぴくり、と、動いた。
「…………さむい」
かすれた、小さな、声が、漏れた。
「トムくん!」
サフラちゃんが、叫んだ。
「さむい……あったかい、もの……」
トムくんの、砂色の唇が、かすかに、動いた。
けれど、次の瞬間、ぱさり、と、乾いた音がして、また、元の、砂の像に、戻ってしまった。
「…………!」
「戻っちゃった……」
ミレイが、唇を、噛んだ。
「でも、反応は、あった。……ケン、お茶は、効くわ」
「うん」
僕は、杯を、握りしめた。
「ただ、一人ずつじゃ、間に合わない。もっと、大きな、お茶を」
そのとき、里の、全ての像が、ゆっくりと、同じ方向を、向いた。
ぎ、ぎ、ぎ、と、乾いた音を、立てて。
砂の像たちの、顔が、揃って、南の、地平線を、向く。
そして、小さな、小さな、声が、風に乗って、あちこちから、響いてきた。
『ラシードさま、が……よんでいる……』
『かえりたい……いっしょに……』
ラヒマさんが、苦しそうに、体を、縮めた。
「始まった。……夜が、近づくと、いつも、こうなる」
遠く、地平線の、砂の渦が、さっきよりも、大きく、速く、回っていた。
あと、二日と、半日。
砂の主は、本当に、ただの、優しすぎた少年なのでしょうか? ご感想を、教えてもらえるとうれしいです。
続きが気になる方は、ブックマークと評価をお願いします。
――第58話へ続く――




