第54話 七つの椅子と、帳簿の砂時計
大広間に、朝の光が、まっすぐ、差し込んでいた。
扉の前に並んだ、みんなの影が、長く、床に伸びている。ミレイが、僕を見つけて、ほっとしたように、唇を噛んだ。
「ケン、遅くなって、ごめん」
「ううん。ちょうどいいところに、来てくれたよ」
僕が、小さく笑うと、ミレイは、ぷいっと、そっぽを向いた。耳が、赤い。
「これは、これは」
オルセン卿の声が、二重に、響いた。
「罪人が、三人も、揃って、自ら、出頭とは。手間が、省けました。近衛兵、彼らを」
「お待ちください」
凛とした声が、遮った。
リヒトだった。
金色の髪を、きちんと整えて、胸には、アルディス家の、金の紋章。小さな体で、堂々と、一歩、前に出る。
「アルディス家の、リヒトです。王国商人組合の、監査権に基づいて、この場で、黒潮商会の、取引記録を、提出します」
「監査権? 子どもに、そんなものが」
「ございます」
リヒトは、胸を張って、羊皮紙の束を、掲げた。
「アルディス家は、代々、商人組合の、副会長職を、務めてきました。その、家督代理として、父が、委任状を、書いてくれました。……俺が、寝る間も、惜しんで、集めた帳簿です」
リヒトの目の下には、くまがあった。三日三晩、ミレイたちと、寝ずに、働いたのだろう。
壁際の、貴族たちが、ざわめいた。
リヒトは、帳簿を、ばさっと、広げた。
「黒潮商会の、七人の、取締役。全員の、名前と、役職、そして、私的な、取引先を、ここに、まとめました」
壇の下の、七つの椅子に、座る、黒い外套の人たちが、ぴくり、と、身じろぎした。
「第一の席、ハドリー・クロウ。穀物商。南の砂漠への、食料輸送を、独占。第二の席、イゾルデ・ベン。染料商。黒い油の、運搬を、請け負っていた」
名前を、読み上げられるたび、ひとりずつ、顔色を、変えていく。
「第三の席、マーカス・リール。海運商。第四の席――」
「でたらめだ!」
第一の席の、太った男が、立ち上がった。
「そんな、子どもの、作り話を」
「作り話では、ありません」
静かに、前に出たのは、カイラさんだった。
黒い外套を、ほどいて、船長の制服姿で、羊皮紙を、一枚、取り出す。
「黒潮商会の、船長、カイラ・ノーツです。この、通商記録は、私が、署名し、船に、積まれた、荷の、すべてを、記録したものです」
「船長が、会長を、裏切るのか!」
「会長は、もう、会長では、ありません」
カイラさんは、振り向いて、杖をついた、ゼノさんを、見た。
ゼノさんは、ゆっくりと、うなずいて、一歩、前に出た。
「ハドリー。覚えているか。俺の、船で、お前と交わした、最初の、密約を」
「ゼ、ゼノ会長……!」
「俺が、すべて、話す」
ゼノさんの声は、かすれていたけれど、大広間の、隅々まで、届いた。
「黒い油の、出どころは、南の砂漠。送り主は、砂の渦巻きの、署名をする、男。七人の、取締役は、その男から、金と、油を、受け取り、各地で、船員や、漁師を、縛りつけていた。……俺も、その、片棒を、担いでいた」
貴族たちが、息を、のんだ。
「そして、その男は、いまも、この広間に、いる」
ゼノさんの、骨ばった指が、まっすぐ、玉座の下の、オルセン卿を、指した。
「ガルヴィンの後任に、座った、その男だ」
大広間が、静まり返った。
オルセン卿は、微笑んだまま、動かなかった。
けれど、その足もとの、砂が、さらさらと、広がっていく。
* * *
「オルセン・ヘイル卿」
ヴォルフさんが、静かに、口を開いた。
「あなたは、三年前、王宮に、現れた。身元は、『辺境の、砂漠の民の、孤児で、王立学院を、首席で、卒業した、青年』と、記録されている」
「それが、何か」
「私は、薬師院の、元院長だ。当時の、卒業名簿を、すべて、確認した。……あなたの名前は、どこにも、ない」
ざわり、と、貴族たちが、揺れた。
「偽の、経歴で、宰相代理の、座に、就いたのですか」
「誰が、そんな」
「証拠は、これです」
ガルヴィンさんが、一枚の、古びた書類を、掲げた。
「私が、宰相時代に、保管していた、人事記録の、写しです。オルセン卿の、推薦状に、署名した、人物の、名前は――」
ガルヴィンさんは、苦しそうに、言葉を、切った。
「『ガルヴィン・ノーラン』。私の、署名が、偽造されていた」
「…………」
「私は、そんな推薦状を、書いた覚えは、ありません」
ガルヴィンさんは、まっすぐ、オルセン卿を、見据えた。
「私が、毒に、蝕まれて、意識が、朦朧としていた、あの、数か月の間に、勝手に、書かれたものでしょう」
陛下が、玉座から、ゆっくりと、立ち上がった。
「……なるほど」
低い、けれど、澄んだ、声だった。
「私は、友の、署名を、信じて、あの男を、重用した。……愚かだった」
「陛下」
オルセン卿が、穏やかに、微笑んだ。
「どうか、お鎮まりください。これらは、すべて、罪人たちの、でっち上げです」
「でっち上げ、ですか」
僕は、一歩、前に出た。
「オルセン卿。ひとつだけ、答えてください」
「何でしょう」
「あなたは、どうして、『砂の主の、器』なんですか」
大広間が、凍りついた。
オルセン卿の、笑顔が、ぴたり、と、止まった。
「……何を、言って」
「僕のスキルで、あなたを、見ました。名前も、状態も、読めなかった。でも、ひとつだけ、読めた」
僕は、胸元の、巻き貝を、握りしめた。
「『砂の主の、器』。……あなたは、あなた自身じゃ、ないんですね」
しばらく、誰も、動かなかった。
やがて、オルセン卿の、唇の端が、ゆっくりと、持ち上がった。
微笑みではない。もっと、冷たくて、乾いた、何か。
「……よく、見えるな、小僧」
声が、はっきりと、二つに、割れた。
青年の、声と、老いた、男の声。
「だが、それが、どうした」
オルセン卿の、足もとから、砂が、噴き上がった。
白い、細かい砂が、渦を巻いて、天井まで、伸びていく。
「ぎゃあっ!」
貴族たちが、悲鳴をあげて、壁際に、逃げた。
「みんな、下がって!」
僕は、叫んだ。
砂の渦の中心で、オルセン卿の姿が、ぼやけていく。美しい顔が、砂に、崩れて、その奥から、別の、顔が、浮かび上がってきた。
深い皺。ひび割れた、肌。そして、空洞のような、黒い、目。
『我は、砂の主』
大広間じゅうに、乾いた、声が、響いた。
『三千年、この砂の底で、眠り続けた。歌も、涙も、悲しみも、すべて、砂に、還した』
「砂に、還す……?」
『人は、苦しむ。ゆえに、苦しみを、取り上げる。心を、砂に、変えてやる。それが、慈悲だ』
砂の渦が、ごうごうと、うなる。
壇上の、玉座の、金の飾りが、ぼろぼろと、崩れて、砂に、変わっていく。
貴族たちの、足もとが、砂に、沈み始めた。
「たすけて!」
「足が、動かない!」
トマスさんが、必死に、貴族のひとりの、腕を、引っぱっている。ダリオさんも、剣を、床に、突き立てて、砂の流れに、抗っていた。
「ケン! 何とか、しなさいよ!」
ミレイが、叫んだ。
「うん!」
僕は、鞄から、水筒を、取り出した。
三草の茶の、最後の、一滴は、もう、ない。けれど、五つの草の、気配は、まだ、胸元に、ある。
(どうすれば、いい)
そのとき、ふと、ミレイの、ノートが、頭に、浮かんだ。
『ケンの、旅の、薬草ノート』
いちばん、最初のページに、書かれていた、ミレイの、字。
『薬は、強ければ、いいってものじゃ、ない。いちばん、大切なのは、飲む人の、「受け取る気持ち」』
「……そうか」
僕は、はっと、した。
「ミレイ! お願い! みんなに、お茶を、配って!」
「え、お茶?」
「僕が、淹れる! ミレイと、リヒトくんと、カイラさんと、みんなで、配って!」
「でも、どうやって」
「泡さん!」
『まかせて!』
僕の肩から、泡さんが、ぱあん、と、全身を、弾けさせた。
無数の、小さな泡が、大広間に、広がる。
その泡の、ひとつひとつに、僕は、水筒の、お茶を、ほんの少しずつ、注ぎ込んでいった。
月光草の、やさしい光。星影草の、静かな金色。氷涙草の、澄んだ青。朝露草の、透明な雫。潮泡草の、泡の香り。
五つの草の、気配が、お茶の、泡に、溶けて、淡い、虹色に、輝く。
泡は、ふわり、ふわり、と、貴族たちの、頭の上に、降りていった。
ぱちん。
泡が、弾けると、虹色の、しずくが、人々の、頬に、ふれた。
「……あ」
最初に、声をあげたのは、砂に、足を、取られていた、年配の、貴婦人だった。
「あったかい」
足もとの砂が、さらさらと、崩れて、元の、大理石に、戻っていく。
「動ける!」
「足が、動くぞ!」
貴族たちが、次々と、砂から、抜け出していく。
『なに……?』
砂の主の、声が、初めて、揺れた。
『これは、何だ。この、温かさは』
「お茶です」
僕は、まっすぐ、砂の渦に、向かって、言った。
「悲しいときも、苦しいときも、誰かが、そばで、お茶を、淹れてくれたら、それだけで、少し、救われる。……あなたは、そんな、気持ちを、忘れているんです」
『戯言を』
砂の渦が、ごおお、と、膨れ上がった。
『人の心は、移ろう。温もりは、すぐに、冷める。だから、我は、砂に、変えてやるのだ』
「それは、慈悲じゃ、ありません」
「ケン殿の、言うとおりだ」
低く、静かな、声が、響いた。
陛下だった。
玉座の、階段を、一歩、また一歩、下りてくる。
足もとの砂が、陛下の周りだけ、避けるように、道を、開けた。
「砂の、主よ」
陛下は、砂の渦の、真正面に、立った。
「私は、三日三晩、眠ったふりを、して、世の中を、見ていた。人は、確かに、愚かで、弱い。争い、傷つけ合い、裏切る」
陛下の目は、まっすぐ、渦の中心の、空洞のような、顔を、見つめていた。
「だが、同時に、ひとりの、少年が、敵の、船に、ひとりで、乗り込んで、お茶を、淹れた。私は、その、勇気を、知っている」
『…………』
「苦しみを、取り上げることは、慈悲ではない。苦しみを、分かち合うことが、慈悲だ」
陛下の声が、大広間に、凛と、響いた。
「私は、この国の、王として、宣言する。この国に、砂の、支配は、いらぬ」
砂の渦が、ぐらり、と、揺れた。
『ならば、見せてみよ』
声が、低く、うなった。
『人が、苦しみを、分かち合える、というなら。……砂漠へ、来い』
「砂漠へ……?」
『我の、本体は、そこに、眠っている。砂星草の、遺跡の、最深部だ。七日のうちに、五つの草を持って、来い』
砂の渦が、ゆっくりと、収束していく。
『さもなくば、七日後の、夜明けに、この王都を、砂に、還す』
「そんな、脅しには」
『来る、ことだ。月光の、継承者よ』
砂の主の、黒い目が、まっすぐ、僕を、射抜いた。
『ひとりの、少年の、茶が、三千年の、渇きを、癒せるのか。……見届けて、やろう』
最後に、乾いた笑い声を、残して、砂の渦は、ばさあっと、崩れ落ちた。
床に、積もった、白い砂の、山の中に、ひとりの、青年が、倒れていた。
オルセン卿だった。
意識は、ない。顔は、普通の、青年の、顔に、戻っていた。右手の指輪は、ひび割れて、砕けている。
トマスさんが、駆け寄って、脈を、取った。
「……生きてます!」
「よかった」
僕は、へなへなと、その場に、座り込んだ。
背中から、ミレイが、がしっと、抱きついてきた。
「ばか! ばか! 心臓、止まるかと、思った!」
「ごめん。でも、みんなの、おかげで」
「ばかばかばか!」
リヒトが、ふん、と鼻を鳴らして、手を、差し出した。
「立て。おかわりが、まだだ」
「うん」
僕は、リヒトの手を、取って、立ち上がった。
大広間では、近衛兵と、騎士団が、七人の取締役を、次々と、拘束していた。ダリオさんが、いつもの、大声で、叫んでいる。
「国王陛下の、命により、王国の、騎士団が、逮捕する!」
「声が、大きいです、ダリオさん」
「すみません!」
笑い声が、ほんの少しだけ、大広間に、戻ってきた。
* * *
夕方、王宮の、中庭で、僕は、ガルヴィンさんと、ヴォルフさんと、ゼノさんが、三人並んで、座っているのを、見つけた。
古い、石のベンチ。
その上に、三つの、白い杯が、置かれている。
僕は、足を止めて、遠くから、そっと、眺めた。
誰も、何も、話さない。
ただ、三人とも、同じ方向を、向いて、夕焼けの空を、見ていた。
しばらくして、ヴォルフさんが、ぽつりと、言った。
「……エレナが、いたら、笑っただろうな」
「ああ」
ガルヴィンさんが、うなずいた。
「『三人とも、不器用すぎる』と、な」
ゼノさんが、ふっと、笑った。
「違いない」
三人の、笑い声が、小さく、夕暮れの、庭に、溶けた。
僕は、そっと、その場を、離れた。
(よかった)
胸が、じんわりと、温かかった。
けれど、頭の隅では、砂の主の、最後の言葉が、何度も、響いていた。
『七日のうちに、五つの草を持って、来い』
南の砂漠。砂星草。
僕の旅は、次の、舞台へ、向かおうとしていた。
オルセンは、このあと、どうなると思いますか? ご感想を、教えてもらえるとうれしいです。
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――第55話へ続く――




