第52話 金の鳥かごと、見張りの青年の母さん
馬車は、夜通し、街道を走り続けた。
窓の外を、流れていく景色は、暗くて、よく見えなかった。ときどき、遠くの農家の明かりが、ぽつんと、浮かんでは、消えていく。
向かいの席では、セドリックさんが、膝の上で、手を組んでいた。馬車の外には、近衛兵が六人。逃げようと思えば、逃げられなくはないけれど、そんなつもりは、なかった。
「ケン殿。本当に、申し訳ありません」
セドリックさんが、小さな声で、言った。
「謝らないでください。セドリックさんは、陛下の言葉を、伝えに来てくれたんでしょう」
「それでも、私は、あなたを、護送する側に、立っています」
セドリックさんは、眼鏡を外して、目頭を押さえた。
「王宮の中は、いま、二つに割れています。陛下を、支持する者と、『黒潮商会』の取締役たちに、従う者と」
「取締役たち……カイラさんが言っていた、七人の」
「はい。表向きは、王国の商人組合の、代表です。ですが、実際は、彼らが、宰相閣下の、後任人事を、裏から、動かしました」
「新しい宰相は、誰ですか」
「宰相代理に、オルセン・ヘイル卿が、就きました」
セドリックさんは、ためらうように、続けた。
「物腰は、穏やかで、誰にでも、親切です。ただ、私は、どうしても、あの方の笑顔が、苦手で」
「……ガルヴィンさんに、似てますか」
「いえ」
セドリックさんは、首を振った。
「ガルヴィン閣下の笑顔は、悲しみを、隠すためのものでした。オルセン卿の笑顔は、何も、隠していないのです。何も、感じていない顔、とでも、言うのでしょうか」
僕は、窓の外の闇を、じっと見つめた。
* * *
王都に着いたのは、翌日の昼過ぎだった。
大通りには、人が、あふれていた。けれど、馬車が通ると、人々は、ひそひそと、声を潜めて、道を空けた。
「あれが、『月光の薬師』か」
「陛下に、毒を盛ったという……」
「いや、救ったんだろう?」
「どっちだよ」
噂は、まだ、ばらばらだった。
王宮の、裏門から、馬車は、中へ、入っていった。
通されたのは、塔の、上の方の、部屋だった。
扉を開けると、意外にも、広くて、明るい部屋だった。ふかふかの絨毯。天蓋つきの寝台。大きな窓には、レースのカーテン。机の上には、果物と、焼き菓子まで、置いてある。
「……客室、ですか」
「形式上は、『保護』という扱いです」
セドリックさんが、苦い顔で、言った。
「ですが、扉の外には、近衛兵が、二人。窓には、鉄格子。……金の鳥かご、というところでしょう」
窓に、近づいてみた。
確かに、細い金色の格子が、はまっていた。装飾のように、美しいけれど、びくともしない。
「何か、ご入用のものは、ありますか」
「お湯を、いただけますか。お茶を、淹れたいので」
セドリックさんは、一瞬、目を丸くして、それから、ふっと、笑った。
「……かしこまりました」
* * *
夕方、お湯が、運ばれてきた。
運んできたのは、一人の、若い近衛兵だった。年は、十九か、二十歳くらい。茶色い髪に、そばかす。緊張した顔で、盆を、抱えている。
「お、お湯を、お持ちしました」
「ありがとうございます」
「こ、これで、失礼しま」
「あの」
僕は、思わず、声をかけた。
「お名前、教えてもらえますか」
「え、あ、自分は、トマス、と申します」
「トマスさん。ちょっと、座りませんか。お茶、淹れますから」
「い、いえ、自分は、見張りの、任務が」
「五分だけ。ね?」
トマスさんは、困ったように、扉の外を、ちらりと見た。それから、おずおずと、椅子の端に、腰かけた。
僕は、鞄から、月光草と、黄花草を、取り出して、小さな鍋に、入れた。
「いい、匂いですね」
「ありがとうございます」
「実は、自分、最近、ちゃんと、眠れなくて」
トマスさんが、ぽつりと、言った。
「母が、病気で、田舎の、家に、ひとりでいて。薬を、送りたいんですが、薬代が、高くて」
「お母さんは、どんな、症状ですか」
「咳が、止まらなくて。冬になると、ひどくなるんです。医者は、『肺が、弱っている』と」
僕は、お茶を、杯に、注いで、トマスさんに、手渡した。
「どうぞ」
トマスさんは、おそるおそる、口をつけた。
「……あ」
目が、ぱちくり、と、見開かれた。
「あったかい。……母さんの、スープの、味が、する」
「よかった」
僕は、トマスさんに、心の中で、そっと、使った。
(……雑草鑑定。状態鑑定)
【名称:トマス・ベイル】
【状態:慢性の睡眠不足。軽い栄養不足】
【備考:母親は、「冬咳症」。咳止め草と、夏空の花で、症状は、軽くなる】
「トマスさん、ちょっと、待ってくださいね」
僕は、鞄の中から、小さな、麻の袋を、取り出した。
「これは、咳止め草と、夏空の花を、乾かしたものです。お母さんに、送ってあげてください。煮出さずに、冷たい水に、ひと晩、浸して、飲むんです」
「えっ、そんな……お代は」
「いりません」
「でも」
「ミドリ村の、薬屋で、教わったことなんです。『効く薬は、困っている人に、渡すもの』って」
トマスさんの、顔が、くしゃりと、歪んだ。
「……ありがとう、ございます」
袖で、ごしごしと、目を、拭った。
「ケン殿は、噂と、全然、違いますね」
「噂?」
「『陛下に、毒を盛った、恐ろしい、薬師だ』と。……でも、そうじゃ、ない」
トマスさんは、小さく、笑った。
「自分は、ただの、近衛兵の、下っ端ですが、見る目は、あるつもりです」
「ありがとうございます」
「お困りのことが、あったら、言ってください。できる範囲で、お手伝いします」
僕は、にっこり笑って、うなずいた。
(味方が、ひとり、増えた)
* * *
夜になった。
窓の外の、空には、満月に近い、二つの月が、浮かんでいる。
僕は、寝台の上で、膝を抱えて、ぼんやり、考えていた。
(ミレイ、リヒトくん、ダリオさん……みんな、どうしてるかな)
そのとき、窓の格子の、向こうで、かすかな、物音がした。
こつ、こつ。
「……ん?」
窓に、近づく。
格子の隙間から、ふわふわの、銀色の、小さな顔が、のぞいていた。
『ケン!』
「ギン!?」
慌てて、小声で、声をかけた。
「どうして、ここに」
『ミレイが、よんだ! ケンに、てがみ!』
ギンは、格子の隙間から、器用に、首の袋を、突き出した。
中から、小さな、紙切れが、出てくる。
ミレイの、丸くて、きれいな字だった。
『ケンへ
あんたが、連れていかれてから、一日経ったわ。
こっちは、全員で、作戦会議中。
まず、報告。リヒトが、アルディス家の、権限で、王都の、商人組合の、帳簿を、調べてる。黒潮商会の、役員の、名前が、全部、わかりそう。
カイラさんが、会長の、取引記録を、全部、持ってきてくれた。
ダリオさんは、騎士団の、仲間に、連絡を、取って、陛下側の、人間を、集めてる。
ガルヴィンさんと、ヴォルフさんも、ミドリ村から、王都に、向かってる。ゼノさんの、ことも、含めて、三人で、陛下に、直接、話をする、って。
ケン、あと二日だけ、待って。
それまで、絶対、無茶、しないこと。
それと、小さな、クラゲ(泡さん)は、元気? ちゃんと、ご飯、食べさせてる?
ミレイより』
読み終えて、僕は、思わず、くすっと、笑った。
最後の、一行が、ミレイらしい。
『ミレイに、伝えて。僕も、泡さんも、元気だよって』
僕は、手近な、紙に、さらさらと、返事を、書いた。
『ミレイへ
手紙、ありがとう。とっても、心強いよ。
こっちは、思ったより、快適。ふかふかの、ベッドと、お菓子付き。見張りの、トマスさんっていう、いい人も、いる。
でも、僕も、少し、調べたことが、ある。新しい宰相代理は、オルセン・ヘイル卿。セドリックさんが、『何も、感じていない笑顔』って、言ってた。気をつけて。
それと、泡さんは、元気。いま、僕の、枕元で、ぷくぷく、寝てる。
あと二日、待ってる。
ケンより』
折りたたんで、ギンの、袋に、そっと、入れた。
『ケン、ぼく、いっしょに、いてもいい?』
ギンが、不安そうな、目で、僕を、見上げた。
「うん。ありがとう。でも、ギンは、ミレイを、手伝ってあげて。きっと、一番、助けになる」
『……わかった!』
ギンは、ぴょん、と、跳ねて、闇の中へ、消えていった。
寝台の枕元で、泡さんが、ふるふると、揺れた。
『ケン、ミレイ、いいこ』
「うん。とってもね」
僕は、泡さんの傘を、そっと、撫でた。
* * *
翌朝。
けたたましい、鐘の音で、目が覚めた。
「ケン殿! お目覚めですか!」
扉の外から、トマスさんの、緊張した声が、聞こえた。
「はい、起きてます」
「たったいま、宰相代理閣下から、お呼び出しが、ありました。『大広間で、聴聞会を、開く』と」
「聴聞会……」
「近衛兵が、お迎えに、参ります。どうか、お支度を」
僕は、深呼吸を、ひとつして、鞄を、肩にかけた。
セドリックさんも、廊下で、待っていた。顔色が、悪い。
「ケン殿。大広間には、取締役が、七人、全員揃っています。何を、言われても、動揺しないように」
「はい」
「それと」
セドリックさんは、声を、さらに、落とした。
「陛下は、同席されますが、発言は、制限されています。今日は、あなたが、ご自身の言葉で、乗り切るしかありません」
「大丈夫です。お茶、持ってますから」
「……お茶、ですか」
「はい。きっと、役に立ちます」
セドリックさんは、一瞬、目を丸くして、それから、ふっと、笑った。
「あなたは、本当に」
そして、扉が、開いた。
大広間は、あの夜と、同じ、天井の高い、立派な部屋だった。
けれど、空気が、まるで違っていた。
壁際に、ずらりと、並んだ、貴族たちの、冷たい視線。
奥の壇上には、金の玉座に、疲れた顔の、陛下が、座っている。
そして、その、すぐ下に、半円状に、並んだ、七つの椅子。
七人の取締役が、それぞれ、黒い外套を、まとって、座っていた。
その、中央の椅子に、ひとりの男が、座っていた。
銀色にも、金色にも見える、不思議な色の、髪。端正な顔立ち。穏やかな、微笑み。
「ようこそ、月光の薬師。お待ちしておりました」
男は、柔らかな声で、言った。
「私は、オルセン・ヘイル。宰相代理を、務めております」
その、声は、ひどく、きれいで。
そして、どこにも、温度が、なかった。
僕は、無意識のうちに、心の中で、唱えていた。
(……雑草鑑定。状態鑑定)
視界が、淡く、光る。
文字が、浮かび上がる。
【名称:オルセン・ヘイル】
【状態:――】
【備考:――】
「…………」
何も、読めなかった。
ゼノさんの時のような、「???」ですらない。ただ、真っ白な、空白。
そして、その空白の、いちばん下に、ぽつりと、一行だけ、浮かんだ。
【砂の主の「器」】
僕の背筋が、凍りついた。
「どうかなさいましたか、ケン殿」
オルセン卿は、にっこりと、笑った。
その右手の、薬指に、小さな、金色の指輪が、光っていた。
指輪の表面に、彫られていたのは、小さな、渦巻きの、紋様。
砂の渦巻き。
大広間の、天窓から、朝日が、まっすぐ、降り注いでいた。
けれど、その光は、オルセン卿の足もとだけ、まるで、避けるように、影を、落としていた。
ケンは、この聴聞会を、どう乗り切ると思いますか? ご感想を、教えてもらえるとうれしいです。
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――第53話へ続く――




