第46話 船長カイラの告白と、黒い糸の水槽
「私の、本当の目的、ですか」
リヒトが、低い声で聞き返した。
船長室の机の上には、黄ばんだページの、下半分。窓の外では、夕焼けが、海を赤く染めている。
「はい」
カイラさんは、机の向こうで、静かにうなずいた。
「その前に、ひとつだけ、お断りしておきます。ルルという子を、捕らえたのは、私の船の者です。けれど、私が、望んだことでは、ありません」
「……どういう意味ですか」
僕が聞くと、カイラさんは、灰色の目を、ゆっくりと、伏せた。
「ケン殿。私を、鑑定してみてください」
「えっ」
「あなたの、スキルのことは、知っています。隠さなくて、結構。……その代わり、嘘は、つきません」
リヒトが、ちらりと、僕を見た。僕は、小さく、うなずいて、心の中で唱えた。
(……雑草鑑定。状態鑑定)
【名称:カイラ・ノーツ】
【状態:慢性の黒油中毒。進行は、遅いが、確実】
【備考:幼少期、海の民に命を救われた者。体内に、海の民の「加護」が、わずかに残る】
「…………!」
僕は、思わず、息をのんだ。
黒油中毒。ルルちゃんを縛っている、あの網と、同じものだ。
「見えましたか」
「……はい。体が、黒い油に、蝕まれてます」
「ええ。この船の、乗組員は、みんな、そうです」
カイラさんは、苦く、笑った。
「黒潮商会の会長は、船員たちに、『特別な、栄養剤』と称して、黒い油入りの、薬を、飲ませているのです。逃げ出せないように。逆らえないように」
リヒトが、さっと、顔色を変えた。
「……そんな話は、聞いたことが、ない」
「表には、出ませんから」
カイラさんは、淡々と、続けた。
「私は、十年前、嵐で、船が沈んで、海に、投げ出されました。そのとき、助けてくれたのが、海の民の、ひとりの女性でした。ルルの、お母さんです」
「ルルちゃんの……」
「彼女は、私に、歌を、聞かせてくれた。その歌で、体が温まって、私は、浜辺まで、泳ぎ着けた。……それから、会長に、拾われて、この商会で、育てられたのです」
カイラさんの声が、少し、震えた。
「恩を、返したかった。けれど、気づいたときには、私は、会長の、右腕に、なっていた。会長の、本当の狙いを、知ったのは、つい、半年前です」
「本当の、狙い?」
「『歌の、灯台』を、乗っ取ることです」
カイラさんは、机の上の、ページに、指を置いた。
「海の民の歌が、灯台を、灯す。それは、海の民と、人間の、約束です。もし、その歌を、誰かが、操れたら」
「海の道が、操れる……」
ミレイなら、きっと、そう言っただろう。
僕は、言葉を、続けた。
「船の航路も、海の民の、行き来も、全部」
「ええ。会長は、海の、すべての、交易を、手に入れるつもりです。そして、潮泡草は、その『鍵』なのです」
カイラさんの灰色の目が、まっすぐ、僕を見た。
「ルルちゃんを、船に、閉じ込めたのは、会長の、直属の部下たち。黄色い目の、男たちです。彼らは、会長の、薬で、体を、作り変えられています。私の命令は、聞きません」
「でも、あなたは、船長でしょう」
「肩書きだけです」
カイラさんは、小さく、首を振った。
「私が、できたことは、ひとつだけ。ルルちゃんを、会長の旗艦に、移させないこと。この船の、中央に、とどめておくこと。……だから、あの網の、水槽に、入れたままに、しているのです」
「それは、つまり」
リヒトが、口を挟んだ。
「彼女を、守るために、閉じ込めている、ということか」
「そう、聞こえますか?」
カイラさんは、自嘲するように、笑った。
「言い訳です。本当は、私も、恐ろしかった。会長に、逆らう勇気が、なかった」
部屋の空気が、重く、沈んだ。
僕は、少し考えて、口を開いた。
「カイラさん。あなたの、お願いは、何ですか」
「ケン殿の、三草の茶を、いただきたい。この船の、乗組員のために。黒油の中毒を、抜くために」
「それが、お願いの、全部ですか」
「いいえ」
カイラさんは、深く、息を、吸った。
「もうひとつ。今夜のうちに、ルルちゃんを、解放してほしい。夜明けに、会長の旗艦が、この湾に、入ってきます。それまでに、ルルを、連れ出さなければ」
「……! 夜明け、ですか」
「はい。会長は、自ら、歌の、儀式を、行うために、来るのです」
窓の外では、夕焼けが、少しずつ、群青に、変わっていく。
リヒトが、小声で、僕に、囁いた。
「ケン。罠かもしれない」
「うん。わかってる」
「あの、船長が、嘘を、ついていないとは、限らない。お茶を、飲ませたら、何かを、仕込まれるかもしれない」
「うん」
僕は、頷いて、それから、カイラさんに、向き直った。
「カイラさん。ひとつ、お聞きしてもいいですか」
「何でも」
「もし、僕が、ここで、お茶を、淹れなかったら、どうしますか」
カイラさんは、一瞬、目を見開いた。
それから、静かに、答えた。
「……何も、しません。このまま、ページを、差し上げて、ルルを、渡します。そして、あなたたちを、見逃す」
「えっ」
「それでは、私の、船員たちが、助かりません。でも、あなたに、強要は、できません」
カイラさんは、小さく、微笑んだ。
「あなたの、お茶は、『誰かの気持ちを、運ぶもの』だと、聞きました。それなら、私の、気持ちも、ちゃんと、運んでいただけるかと」
その言葉が、胸に、ことんと、落ちた。
僕は、泡さんを、そっと、見た。
泡さんの大きな目が、ゆらゆらと、揺れていた。
『ケン。このひと、うみの、においが、する』
「海の、匂い?」
『うん。ルルの、おかあさんの、においと、にてる。うたの、においが、のこってる』
僕は、息を、深く、吸った。
「……お茶を、淹れます」
「ケン!」
リヒトが、小さく、叫んだ。
「ただし、条件があります」
僕は、カイラさんを、まっすぐ、見つめた。
「先に、ルルちゃんに、会わせてください。お茶は、そのあとで」
「……いいでしょう」
カイラさんは、静かに、立ち上がった。
* * *
船の中央の、船倉に、続く階段を降りた。
湿った空気。黒い油の匂い。壁には、赤黒い、錆びた鎖が、垂れ下がっている。
通路の、奥に、重たい鉄の扉があった。
カイラさんが、鍵を、回す。
ぎい……
扉が、開いた瞬間、淡い、青い光が、あふれ出した。
そこにあったのは、大きな、ガラスの水槽だった。
水槽の中は、透きとおった水で、満たされている。その水の中に、ひとりの、女の子が、浮かんでいた。
歳は、ナギと、同じくらい。海の色の髪。頬には、きらきら光る、小さな、銀色の鱗。足は、魚のような、尾びれに、なっている。
けれど、その口には、黒い、細い糸が、ぐるぐると、巻きついていた。
黒い油が、固まった、糸だ。
「ルルちゃん……」
僕が、水槽に、駆け寄ると、女の子は、ゆっくりと、目を開けた。
大きな、青い瞳。
その目が、僕を、じっと、見つめた。
そして、僕の首元の、青い石と、氷の結晶に、目を止めて、ぱちぱちと、まばたきした。
『……あ』
声は、出ていない。けれど、泡さんが、小さく、震えた。
『ルルの、こえ、きこえる。ぼくには』
『ルルちゃん、聞こえる?』
僕が、心の中で、話しかけると、ルルちゃんの目が、ぱあっと、見開かれた。
『……きこえる。おにいちゃん、だれ?』
『ケンっていうんだ。ナギちゃんから、頼まれて、助けに来たよ』
『ナギ……!』
ルルちゃんの目から、ぽろぽろと、涙が、こぼれた。
その涙は、水の中に、溶けて、小さな、銀色の粒に、なった。
「泣かないで。すぐ、出してあげるから」
僕が、水槽に、手を触れようとした、その瞬間。
ぐらり、と、船が、大きく、揺れた。
「うわっ!」
リヒトが、よろめいて、壁に、手をついた。
カイラさんの顔が、さっと、青ざめる。
「……早すぎる」
「えっ?」
「会長の、旗艦です。夜明けの、はずだったのに」
ごおおお……
低い、重たい音が、海の底から、響いてきた。
船倉の小さな窓から、外を、のぞくと、湾の入り口の、海面が、ぐるぐると、渦を巻いていた。
黒い、巨大な、渦。
その中心から、見たこともないほど、大きな、黒い船が、ゆっくりと、浮かび上がってくる。
帆は、真っ黒。船首には、白い、渦巻きの、巨大な彫像。
そして、その甲板の上に、ひとりの人影が、立っていた。
長い、黒い外套。顔は、見えない。
けれど、その人物が、こちらを見て、ゆっくりと、手を、上げた瞬間。
船倉の、黒い油の糸が、ざわざわと、うごめき始めた。
『……ケン』
ルルちゃんの声が、震えていた。
『あれが、かいちょう。うみを、ころした、ひと』
僕は、拳を、ぎゅっと、握りしめた。
窓の外で、黒い渦が、さらに、大きく、広がっていく。
夜は、まだ、始まったばかりだった。
ケンは、カイラさんを、信じてよかったと思いますか? 感想で、教えてもらえるとうれしいです。
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――第47話へ続く――




