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第44話 学院長の許可証と、西へ続く潮の道

「海へ、行きたい?」

翌朝、学院長室で、マルグリット先生は、僕たちの顔をぐるりと見回した。

大きな窓から、朝日が差し込んでいる。机の上には、泡さんが、ふわふわと浮かんで、ご機嫌に揺れていた。

「はい。潮泡草を、探しに行きたいんです。灯台が、海の民が、待っているって」

「ふむ」

先生は、指先で、こつこつと、机をたたいた。

「ミレイ嬢。あなたは、冬の学期まで、まだ、日があります。リヒト君も、同じ。けれど、ケン殿は、正式な入学前。みなさん、学院の外で、勝手に動く立場では、ありません」

「そ、そんな」

ミレイが、むっとした顔で、口を開きかけた。

先生は、片手を上げて、それを止めた。

「ですから、こうしましょう」

先生は、引き出しから、古い羊皮紙を、一枚取り出した。

「『薬草の野外調査』という名目の、学院長特別許可証です。期間は、一か月。成績の評価対象として、扱います。ただし」

先生は、じろりと、三人を見た。

「毎週、手紙で、報告すること。危険を感じたら、すぐに、引き返すこと。いいですね?」

「はい!」

三人の声が、そろった。

先生は、ふっと、表情をゆるめた。

「……ミレイ嬢。あなたは、よく、ケン殿を、支えてあげなさい。リヒト君。あなたは、ケン殿の、盾になりなさい。けれど、命を、粗末にしないこと」

「わ、わかりました」

リヒトが、ぎこちなく、うなずいた。

最後に、先生の目が、泡さんに、向いた。

「……泡さん」

『なあに、まるぐりっと』

「ケン殿を、お願いします。そして、あなた自身も、無事で、帰ってくること」

『うん、まかせて。こんどは、ぜったい、ねないから』

先生は、くすりと笑って、少しだけ、目頭を押さえた。

* * *

出発の準備は、昼までに、整った。

学院の門の前に、一台の、地味な馬車が、停まっている。

「この馬車、ずいぶん、古いわね」

ミレイが、車輪を、つついた。

「学院の、備品です。見た目は、悪いですが、丈夫ですよ」

御者席から、手を振ったのは、見覚えのある、騎士の人だった。

「ケン殿ー! お待たせしました!」

「ダリオさん!?」

「はい! 陛下から、『ケン殿の護衛に、つくように』と、命を、受けました!」

ダリオさんは、胸を張って、敬礼した。鎧は、相変わらず、少しずれている。

「声が、大きい」

リヒトが、小さく、ぼそりと言った。

「す、すみません!」

ダリオさんが、慌てて、声を、小さくした。

「でも、ちょうどよかったです。道は、僕、知らないので」

「お任せください! 西の海岸道は、騎士団の訓練で、何度も、通っています!」

荷物を積み終えると、僕は、ふと、自分の鞄から、小さな紙を、取り出した。

「ちょっと、待ってて。母さんに、手紙を、書くよ」

「あ、私も、おばあちゃんに、書かなきゃ」

ミレイが、鞄から、ペンを、取り出した。

僕は、馬車のステップに、腰かけて、さらさらと、書き始めた。

『母さんへ

学院の、入学試験に、合格しました。冬から、通うことになります。

それで、少しだけ、旅に出ます。海の、近くまで。

薬草の、野外調査です。ミレイも、一緒です。新しい友達も、できました。リヒトくんって、ちょっと、素直じゃないけど、いい人です。

ごはんは、ちゃんと、食べています。夜も、ちゃんと、寝ています。

リナの、マフラー、とても、あったかいです。残りの、半分も、楽しみにしています。

三日に一度、必ず、手紙を、書きます。

ケンより』

読み返して、僕は、思わず、笑った。

(母さん、きっと、「ちゃんと食べてる?」って、心配するだろうな)

最後に、「追伸:ギンに、よろしく」と、書き足した。

書き終えた手紙を、折りたたんで、封をする。

「これ、どうやって、届けるの?」

リヒトが、首をかしげた。

「ええと、ギンが、来てくれれば、一番、速いんだけど」

僕が、そう言いかけた、そのとき。

ひらり、と、頭の上に、何かが、舞い降りた。

『ケン、ケン!』

「……ギン!?」

僕の肩に、ふわふわの、銀色の子ぎつねが、ちょこんと乗っていた。

「どうして、ここに!?」

『ミレイが、よんだの! 『ギンが、ケンの、ところに、くるなら、てがみ、はこんで』って!』

「えっ」

僕が、振り向くと、ミレイが、ぷいっと、そっぽを向いた。

「べ、別に、呼んでないわよ。ただ、昨日の夜、窓の外に向かって、ひとりごと、言っただけ」

「……それ、呼んでるよね」

「うるさいわね!」

ミレイの耳が、真っ赤だった。

僕は、笑いながら、手紙を、ギンの首の、小さな袋に、そっと入れた。

「お願いね、ギン。母さんに、届けて」

『まかせて! ひゅーん!』

ギンは、風のように、駆け出していった。

その背中を見送りながら、ミレイが、ぼそっと言った。

「……あの子、速くなったわね」

「うん。森の、主さまに、鍛えられたんだって」

「ふうん」

そのとき、リヒトが、ふと、興味深そうに、つぶやいた。

「あの、小さな狐、さっき、学院の、屋根を、飛び越えて、いったぞ」

「ほんとだ。さすが」

馬車に、四人と、一匹が、乗り込んだ。

ダリオさんが、鞭を、ぴしりと、鳴らす。

「それでは、西の海岸へ、出発します!」

馬車が、石畳を、ごとごとと、進み始めた。

* * *

町を出て、二日目。

馬車は、起伏のある、丘陵地帯を、走っていた。

窓の外には、一面の、黄金色の麦畑。遠くに、白い風車が、ゆっくりと、回っている。

「いい景色ね」

ミレイが、窓枠に、頬杖をついて、ぼんやりと、眺めていた。

「あのさ、ミレイ」

「何よ」

「学院の、おもしろい話、聞かせてよ。冬までに、少し、知っておきたいんだ」

「おもしろい話ねえ」

ミレイは、にやりと、笑った。

「たとえば、薬草学の、ガルダ先生。毎回、授業中に、居眠りするの」

「えっ、先生が?」

「そう。でも、起きると、必ず、黒板に、難しい公式を、書くのよ。誰も、読めないけど」

「すごいな」

「それから、寮の食堂の、おばさん。毎晩、同じ、スープを、出すんだけど、日によって、味が、全然、違うの。みんな、今日は、当たりか、はずれか、賭けてるわ」

「賭け……」

「私は、いつも、はずれよ」

ミレイは、肩をすくめた。

リヒトが、反対側の席から、ぼそっと、口を挟んだ。

「……去年は、俺が、三連続で、当たった」

「えっ、本当に?」

「ああ。寮のスープは、実は、塩の量で、味が、決まるんだ。おばさんの、機嫌が、いいときは、塩が、控えめで、いいスープになる」

「……あんた、そんなところまで、観察してたの」

ミレイが、じとっと、リヒトを見た。

「観察は、貴族の、嗜みだ」

「ただの、食いしん坊でしょ」

「違う!」

リヒトが、ふくれっつらで、そっぽを向いた。

僕は、くすくす笑いながら、その様子を、眺めていた。

(こういう旅も、いいな)

のんびり、おしゃべりをして、景色を見て。ときどき、お茶を、淹れて。

七つの草の旅は、重たい使命のはずなのに、不思議と、胸が、軽かった。

* * *

三日目の夕方。

馬車の窓から、潮の香りが、ふわりと、流れ込んできた。

「……海だ」

僕は、窓から、身を乗り出した。

丘の向こうに、青い、きらきらした水平線が、見える。夕日が、水面を、橙色に、染めていた。

「うわあ……!」

ミレイも、窓から、身を乗り出した。

「はじめて、見たわ! こんなに、広いのね!」

「僕も、はじめてだ」

前世でも、今世でも、ちゃんと、海を見たことは、なかった気がする。

坂道を下ると、小さな、港町が、見えてきた。

白い壁の、低い家々。波止場に並ぶ、小さな漁船。夕焼けに、照らされて、屋根の瓦が、きらきら光っている。

「あれが、ミナト村、です」

ダリオさんが、手綱を引きながら、言った。

「人口は、二百人ほどの、小さな漁村です」

けれど、近づくにつれ、様子が、おかしいことに、気づいた。

「……静か、すぎないか」

リヒトが、眉をひそめた。

夕方の、漁村なら、網を引く声や、子どもたちの、笑い声が、聞こえるはずだ。

けれど、通りには、ほとんど、人影が、ない。家々の、窓は、ぴたりと、閉ざされている。

波止場に、漁船が、ずらりと、繋がれたまま、動いていなかった。

そして、その、奥の、沖合に。

「……あれは」

ミレイが、指をさした。

湾の入り口に、三隻の、大きな、黒い船が、並んでいた。

帆は、黒。マストの、先端には、同じ旗が、はためいている。

黒地に、白い、渦巻き。

「黒潮商会の、旗だ」

リヒトが、低く、つぶやいた。

「湾を、封鎖してる……」

その、船の向こう。

遠くの岬の、先端に、細長い、灯台が、そびえていた。

けれど、その灯は、消えている。

夕焼けのなか、灯台は、ただ、黒い影になって、立っていた。

『ケン』

泡さんが、僕の肩で、ふるふると、震えた。

『あのとうだい。ひかり、きえてる』

「泡さんが、言ってた、灯台だよね」

『うん。ずっと、ひかってた。でも、いま、きえてる』

泡さんの大きな目が、じっと、沖の黒い船を、見つめていた。

『あのふね、いやなにおい。くろい、あぶらと、……ないてる、こえ』

「泣いてる、声?」

『うみの、たみの、こども。あのふねのなかに、いる』

僕は、息を、のんだ。

そのとき、馬車の、すぐ近くの路地から、小さな影が、ふらりと、飛び出してきた。

「あっ!」

ダリオさんが、慌てて、馬を止める。

飛び出してきたのは、日に焼けた、八歳くらいの、女の子だった。裸足で、髪は、ぼさぼさ。手には、割れた、小さな桶を、抱えている。

「おにいさん、おねえさん! おねがい!」

女の子は、目に、涙を、いっぱいためて、叫んだ。

「うみの、おともだちを、たすけて!」

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――第45話へ続く――

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