第40話 ミレイの大騒ぎと、学院からの手紙
「だから、全部、説明しなさいって言ってるでしょ!」
薬屋の居間に、ミレイの声が響いた。
夜中だというのに、居間にはみんなが集まっていた。ハンナさん、ヴォルフさん、セレナさん、ガルヴィンさん。眠そうなルカは、ヴォルフさんの膝の上でうとうとしている。
ミレイは、くしゃくしゃの手紙を握りしめたまま、仁王立ちしていた。制服は砂ぼこりだらけで、髪には、小枝がひっかかっている。
「ミレイ、とりあえず、座ろうよ。お茶、淹れるから」
「お茶なんかで、ごまかされないわよ!」
「じゃあ、いらない?」
「……いる」
ミレイは、むすっとした顔で、どすんと椅子に座った。
僕は、鍋に湯を沸かして、冷めてもおいしい夏風茶を、杯に注いだ。ミレイは、ひとくち飲んで、ほっと肩の力を抜いた。
「……おいしい」
「でしょ」
「べ、別に、ごまかされたわけじゃないんだからね!」
僕は、苦笑いしながら、北の谷であったことを、順番に話した。
白い狼のこと。ルカの涙のこと。氷の中で眠っていたセレナさんのこと。そして、鞄の中の刺繍が、すべてをつないだこと。
話し終えるころには、ミレイの目は、まんまるになっていた。
「…………」
「ミレイ?」
「……ちょっと、待って。頭が、追いつかない」
ミレイは、額を押さえた。
「つまり、あの人が、おばあちゃんの妹の、娘さんで」
「うん」
「大叔父さんの、娘で」
「うん」
「私の、いとこ、ってこと?」
「そうなるね」
「で、その子が、私の、いとこの、子ども」
「うん。いとこおじ……じゃなくて、はとこ、かな」
「ややこしいわね!」
ミレイが、がしがしと、頭をかいた。
その横で、セレナさんが、そっと立ち上がった。
「ミレイさん。はじめまして」
「あ……」
ミレイは、はっと顔を上げた。
セレナさんは、少し緊張した面持ちで、深く頭を下げた。
「突然のことで、驚かせてしまって、ごめんなさい。私は、あなたの、いとこにあたります」
「……いえ、その」
ミレイは、さっきまでの勢いが、どこかへ消えて、そわそわと、指をいじり始めた。
「あの、私こそ、夜中に、大声を出して、ごめんなさい」
「いいのよ。驚くのも、当然だもの」
セレナさんは、微笑んだ。その笑顔が、ハンナさんの笑顔に、どこか、よく似ていた。
ミレイは、まじまじと、セレナさんの顔を見つめた。
「……おばあちゃんに、似てる」
「そうかしら」
「うん。笑ったときの、目が」
ミレイの顔が、ふにゃりと、ゆるんだ。
そのとき、ヴォルフさんの膝の上で、ルカが、もぞもぞと、目を覚ました。
「……ん? だあれ?」
「ルカ。この子は、ミレイ。ルカの、おねえちゃんみたいな、人だよ」
僕が言うと、ルカは、眠そうな目で、ミレイを見上げた。
「……おねえちゃん?」
「あ……」
ミレイが、固まった。
「ミレイ、おねえちゃん?」
「…………」
「ミレイおねえちゃん、きれいなかみ」
「…………!」
ミレイの顔が、ぼっと、赤くなった。
「ど、どこでそんな言葉を覚えたのよ!」
「ケンにいちゃんが、ミレイは、やさしいひとだって、いってた」
「ケン!!」
「えっ、僕、本当のこと、言っただけだよ」
「そういうのを、本人に言わないで!」
ミレイは、両手で顔を覆って、ぷるぷる震えた。
ルカが、ヴォルフさんの膝から、ぴょんと降りて、ミレイの前に、とてとて歩いてきた。
「おねえちゃん、だっこ」
「え」
「だっこして」
ミレイは、しばらく、固まっていた。
それから、おそるおそる、両手を伸ばして、ルカを、ぎゅっと抱き上げた。
「……軽い」
「えへへ」
「ちゃんと、ごはん、食べてる?」
「ケンにいちゃんの、おちゃ、のんだ!」
「お茶だけじゃ、だめでしょ。明日から、私が、おいしいものを、食べさせてあげる」
ミレイの声は、いつのまにか、やさしくなっていた。
ハンナさんが、そっと、目を細めた。
「……ミレイ。おまえは、いいお姉ちゃんに、なるよ」
「おばあちゃん、からかわないで!」
居間に、あたたかい笑い声が、広がった。
* * *
その夜、ミレイは、ハンナさんに、こっぴどく、叱られた。
「学院を、勝手に抜け出すなんて、何を考えているんだい!」
「だって、ケンの手紙が!」
「手紙一通で、学院を飛び出す子が、どこにいる! 特待生の資格を、取り消されたら、どうするんだ!」
「うっ……」
ミレイは、しゅんと、小さくなった。
「で、でも、ちゃんと、寮長さんには、言ってきたもの。『家族に、緊急事態です』って」
「そりゃあ、緊急事態だけど、勝手に決めるんじゃないよ」
「はい……」
ハンナさんは、はあ、と、ため息をついた。
「……まあ、明日、私から、学院に手紙を書いておくよ。『孫が、無事に、到着しています』とね」
「おばあちゃん……!」
「ただし、三日後には、学院に戻ること。いいね?」
「はい!」
ミレイが、ぱあっと、顔を明るくした。
僕は、その様子を見て、ほっと胸をなでおろした。
けれど、そのとき、僕の頭に、ひとつの疑問が浮かんだ。
(……学院に、行く約束、どうしよう)
北の旅に出て、すっかり、先延ばしになっていた。
ミレイが、先に、学院に戻る。僕も、後から、行くと約束した。
でも、いま、村には、たくさんのことが、起きている。セレナさんとルカのこと。ガルヴィンさんの庭のこと。ヴォルフさんの、償いの旅。
(いま、僕が、離れて、いいんだろうか)
ふと、ミレイが、僕の袖を、くいっと引いた。
「ケン」
「ん?」
「ちょっと、外、行かない?」
縁側に出ると、夜風が、涼しく、頬をなでた。
二つの月が、空の高いところで、青く、まるく、浮かんでいる。
ミレイは、縁側に腰かけて、足をぶらぶらさせた。
「……私ね」
「うん」
「正直、ちょっと、怖かったの」
「何が?」
「ケンが、北に行ったまま、帰ってこないんじゃないかって」
ミレイは、膝の上で、指を、ぎゅっと握った。
「ギンが、窓から入ってきて、手紙を見たとき、真っ先に、頭に浮かんだの。『無事だった』って。それで、気づいたら、走ってた」
「ミレイ……」
「学院の門は、夜中は、閉まってるのに、塀を、よじ登ったのよ。スカートは、破けるし、靴は、片方、なくすし」
「えっ、靴が?」
「そう! ほら!」
ミレイが、足を、ひょいと上げた。
左足は、ちゃんと、靴を履いている。けれど、右足は、いつのまにか、靴下だけだった。
「……ほんとだ」
「笑わないでよ!」
「笑ってないよ」
「口、笑ってる!」
僕は、慌てて、口を押さえた。
ミレイは、ぷんと頬をふくらませたあと、ふっと、息を吐いて、小さく、笑った。
「……でも、よかった。ケンが、無事で」
「うん。ただいま、ミレイ」
「……おかえり」
ミレイの声が、少しだけ、かすれた。
しばらく、二人で、黙って、夜空を見上げていた。
やがて、ミレイが、口を開いた。
「ねえ、ケン」
「うん」
「学院のこと、無理しなくていいからね」
「え?」
「あんた、いま、すごく、忙しいでしょ。セレナさんたちのことも、あるし、七つの草のことも、あるし」
ミレイは、まっすぐ、前を向いたまま、言った。
「でも、もし、学院に来る気があるなら、私は、待ってるから。一年でも、二年でも」
「ミレイ……」
「だから、焦らなくていいの。あんたの、タイミングで」
その横顔が、月明かりの下で、とても、きれいに見えた。
僕は、少し考えて、答えた。
「ありがとう。……でも、僕、行くよ」
「え?」
「冬の学期から。少し、準備して」
ミレイが、こっちを向いた。目が、まんまるだった。
「いいの? 村のことは?」
「うん。ヴォルフさんも、ハンナさんも、セレナさんも、ガルヴィンさんも、いるから。それに」
僕は、胸元の、青い石と、氷の結晶を、握った。
「エレナさんが、言ってたんだ。『仲間と一緒に、旅をして』って。だから、学院に行って、もっと、知識を身につけたい。仲間を、ちゃんと、助けられるように」
ミレイの目が、ゆっくりと、潤んだ。
「……ばか」
「また、ばか?」
「ばか、ばか、ばかよ! そんなこと言われたら、私、泣いちゃうじゃない!」
ミレイは、ぷいっと顔をそむけて、袖で、ぐいっと目をこすった。
「……約束、だからね。ちゃんと、来なさいよ」
「うん。約束」
僕は、小指を、差し出した。
ミレイは、ちらりと、その小指を見て、それから、耳まで真っ赤になって、自分の小指を、絡めてきた。
「……もう、何回目よ、これ」
「たぶん、十回くらい?」
「数えてるの!?」
「うん」
「…………ばか」
夜風が、そっと、二人の間を、吹き抜けていった。
* * *
翌朝。
僕は、薬屋の前の、掃き掃除をしていた。
朝の光が、石畳に、やわらかく、降り注いでいる。
「ケン殿ー!」
遠くの街道から、馬の蹄の音と、聞き覚えのある、大きな声が、響いてきた。
「あ、ダリオさん」
馬から飛び降りた若い騎士は、いつもの、ずれた鎧のまま、勢いよく、駆け寄ってきた。
「ケン殿! 王都から、急ぎの、お手紙です!」
「えっ、王都から?」
「はい! 陛下と、セドリック殿からです!」
受け取った封筒は、二通あった。
ひとつは、金の封蝋の、国王陛下の手紙。もうひとつは、見慣れた、几帳面な字の、セドリックさんの手紙。
まず、陛下の手紙から、開いた。
『ケン殿。
北の旅の、無事を、祈っている。
ガルヴィンの件は、そなたの、お茶に、感謝するばかりだ。
さて、本題だが、そなたの、「月光の薬師」としての、学院入学を、正式に、推薦させてもらった。
入学試験は、三日後。
形式的なものだ。心配はいらぬ。
ただし、ひとつだけ、そなたに、伝えねばならぬことがある。
学院の地下には、古い、書庫がある。
そこに、「七つの草」に関する、最古の記録が、眠っていると、噂されている。
それが、真実かどうかは、私にも、わからぬ。
だが、調べる価値は、あるだろう。
――アルフレッド』
「学院の、地下……」
僕は、もう一通の、セドリックさんの手紙を、開いた。
『ケン殿へ。
先日は、本当に、ありがとうございました。
私は、いま、王宮の薬師院で、改革を進めています。
それとは別に、お伝えしたいことがあります。
学院の地下書庫に、「潮泡草」の手がかりがあるという話を、私は、薬師院の古い文書で、読んだことがあります。
ただし、その書庫は、もう、五十年間、誰も、入ったことがないそうです。
扉が、開かなくなっているとか。
学院に入学された暁には、どうか、慎重に、お調べください。
それと、もうひとつ。
ミレイ嬢に、「いつも、先走らないように」と、伝えておいてください。
――セドリック』
僕は、思わず、くすりと、笑った。
「ミレイ、先走ったの、もう、バレてるみたい」
「えっ? 何の話ですか?」
ダリオさんが、きょとんと、首をかしげた。
「ううん、何でもない」
僕は、手紙を、そっと胸にしまった。
学院の、地下書庫。
五十年間、誰も入ったことのない、開かない扉。
そして、潮泡草。
空を、見上げた。
高く、澄んだ、青い空。
遠くの海の方角に、一羽の白い鳥が、すうっと、飛んでいった。
(のんびり、暮らしたい)
その気持ちは、いまも、変わらない。
けれど、僕の前には、また、新しい扉が、ゆっくりと、開こうとしていた。
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――第41話へ続く――




