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第39話 エレナの手紙と、三十年ぶりの「おかえり」

薬屋の中は、静まり返っていた。

テーブルの上に、黄ばんだ封筒が、ひとつ。その両側に、二人の老人が、向かい合って座っている。

ヴォルフさんと、ガルヴィンさん。

三十年前、同じ庭で笑い合っていた二人は、いま、互いの目を、まともに見られないでいた。

ハンナさんが、僕の袖を、ちょいと引いた。

「ケン、ルカを、奥へ連れておいき。お菓子でも、食べさせておやり」

「はい」

ルカの手を引いて、奥の台所へ向かう。

「ケンにいちゃん、おじいちゃんたち、けんかするの?」

「しないよ。大事な手紙を、読むだけ」

「ふうん。……なら、いいや」

ルカは、母さんが焼いたかぼちゃパンの残りを、ほおばって、にっこり笑った。

僕は、戸の隙間から、そっと、居間をのぞいた。

* * *

最初に、口を開いたのは、ガルヴィンさんだった。

「……私が、開ける資格は、ない」

「ガルヴィン」

「この手紙は、エレナが、私たち二人に宛てたものだ。だが、私は、彼女を」

「開けなさい」

ヴォルフさんが、静かに、言った。

「エレナが、おまえの名前を、書いたんだ。おまえにも、読む権利が、ある」

「…………」

「それに」

ヴォルフさんは、苦く、笑った。

「私ひとりで読む、勇気が、ないのだよ」

ガルヴィンさんの肩が、ふっと、緩んだ。

「……そうか。では、一緒に」

セレナさんが、そっと、封筒を、二人の間に置いた。

ハンナさんが、ゆっくりと、封を切る。

中から、薄く、すきとおった紙が、三枚、出てきた。

細くて、まっすぐな、丁寧な字。

ハンナさんが、読み始めた。

『ヴォルフ、ガルヴィン。

この手紙を、あなたたち二人が、そろって読んでいるなら、私の願いは、半分、叶ったことになります。

まず、ヴォルフへ。

あなたに、何も言わずに、逝くことを、許してください。

私が、病ではなく、毒に蝕まれていたことは、早い段階で、気づいていました。そして、その毒が、誰の手によるものかも、わかっていました。

けれど、私は、言えませんでした。

あなたは、私のために、毎晩、研究室にこもって、薬を作ってくれた。その姿を見て、私は、「この人を、憎しみで、壊してはいけない」と思ったのです。

もし、真実を話せば、あなたは、きっと、復讐に、人生を捧げてしまう。

だから、私は、黙っていました』

ヴォルフさんの手が、膝の上で、拳を、固く握りしめていた。

ハンナさんの声が、わずかに、震える。

『次に、ガルヴィンへ。

あなたを、許します。

あなたが、苦しんでいたことを、知っています。あなたの病のことも、あなたの孤独も。

私は、あなたを、助けたかった。けれど、七つの草は、一人のために、使ってはならないという、ルナリアの誓いがありました。

あなたを、突き放してしまったこと、本当に、ごめんなさい。

あのとき、「みんなで、一緒に、方法を探しましょう」と、言えばよかった。

三人で、また、あの庭で、語り合いたかった。

それが、私の、いちばんの、後悔です』

ガルヴィンさんが、ぽつりと、声を漏らした。

「……エレナ」

両手で、顔を覆う。肩が、小刻みに、震えている。

『最後に、二人へ。

私には、娘がいます。名前は、セレナ。

あなたたちの、星のような子です。

私は、この子を、雪の民に、預けます。ルナリアの血を、七つの草から、守るために。

けれど、いつか、この子が、あなたたちのもとへ、帰る日が来たら。

どうか、二人で、その子を、迎えてください。

そして、お願いがあります』

ハンナさんが、一度、息を整えた。

『ヴォルフ。ガルヴィン。

もう一度、友達に、なってください。

私が愛した、二人の、あの庭の笑い声を、取り戻してください。

それが、私の、最後の、お願いです。

エレナ』

読み終えたハンナさんの手から、手紙が、ふわりと、膝に落ちた。

誰も、何も言えなかった。

ただ、窓の外で、虫の声が、ちりちりと、鳴いている。

やがて、ヴォルフさんが、ぽつりと、言った。

「…………ガルヴィン」

「…………」

「あの子は、最後まで、おまえを、友達だと、思っていた」

「……ああ」

ガルヴィンさんの声が、かすれた。

「私は、その気持ちを、毒で、返した」

「そうだな」

「許されることでは、ない」

「ああ。私も、そう思う」

ヴォルフさんは、ゆっくりと、手を、伸ばした。

その手が、ガルヴィンさんの、震える肩に、そっと、置かれた。

「だが、エレナが、望んだことだ。……一生をかけて、償うなら、そばで、見ていてやる」

「ヴォルフ……」

「おまえが、庭を、完成させる、その日まで。月見草が、咲く日まで。……それが、友達としての、私の、答えだ」

ガルヴィンさんの顔が、くしゃりと、歪んだ。

「ありがとう……ありがとう、ヴォルフ」

二人の老人は、しばらく、肩を寄せ合ったまま、動かなかった。

ハンナさんが、そっと、目頭を押さえた。

セレナさんも、静かに、涙を流していた。

僕は、戸の隙間から、そっと、顔を引っ込めた。

胸が、いっぱいだった。

* * *

しばらくして、居間から、ハンナさんの声が聞こえた。

「ケン、入っておいで」

居間に入ると、空気は、さっきよりも、ずっと、やわらかくなっていた。

テーブルの上に、お茶が、人数分、並んでいる。

「ケン、おまえさんにも、見てほしいものがある」

ハンナさんが、手紙の三枚目を、僕に差し出した。

「裏に、何か、書いてあるんだよ。私たちには、読めないんだ」

受け取って、裏返すと、そこには、不思議な、銀色の文字が、うっすらと、浮かんでいた。

でも、ぼやけていて、読めない。

「……雑草鑑定」

僕は、そっと、唱えた。

視界が、ふわり、と、淡く光る。

そして、新しい力が、勝手に、働いた。

(記憶鑑定……!)

手紙の紙から、小さな、あたたかい光が、立ちのぼった。

その光のなかに、一人の、女の人の姿が、ぼんやりと、浮かび上がる。

長い黒髪。やわらかな、まなざし。

エレナさんだ。

彼女は、庭の月見草の前に、立っていた。夕暮れの光に、金色に縁取られて、静かに、微笑んでいる。

『ケン、という名前の、薬師さん。

いつか、あなたが、これを読むと、信じています』

声が、頭の中に、直接、響いた。

「…………!」

『ルナリア家の、七つの草には、大切な秘密があります。

それは、七つ目の草、「天空草」が、「誰かが誰かを、想う心」に、咲く草だということ。

土にも、氷にも、海にも、咲きません。

ただ、六つの草が、すべて、揃ったとき、その真ん中に、心の花として、咲くのです』

「心の、花……」

『だから、七つの草は、一人では、集められません。

仲間が必要です。誰かのために、茶を淹れてくれる人。誰かの悲しみに、そっと、寄り添ってくれる人。

どうか、ケンさん。

あなたの周りにいる、たくさんの人たちと、一緒に、旅をしてください。

そして、最後に、天空草が咲いたとき』

エレナさんの姿が、すうっと、薄れていく。

『きっと、すべてが、ひとつに、つながるでしょう。

どうか、私の大切な人たちを、お願いします』

光が、ふっと、消えた。

僕の手の中の紙は、ただの、古い手紙に、戻っていた。

目の奥が、熱かった。

「ケン? 何が、見えたんだい」

ハンナさんが、心配そうに、僕の顔をのぞき込む。

「……エレナさんが、いました。庭で、笑ってました」

「エレナが……」

「それで、七つ目の草のことを、教えてくれました」

僕は、見えたことを、ゆっくりと、みんなに話した。

天空草は、「心」に咲く草だということ。

六つの草が、揃ったとき、仲間たちの想いが、結び合わさって、咲くのだということ。

話し終えると、居間の中が、しんと、静まりかえった。

最初に、口を開いたのは、ガルヴィンさんだった。

「……では、私が、この国の隅々で探していた、七つ目の草は」

「はい。探しても、見つからなかったと思います」

「そうか」

ガルヴィンさんは、苦く、笑った。

「ずっと、見当違いの場所を、探していたのだな。私は、人の心を、見ていなかったのだから」

「ガルヴィン」

ヴォルフさんが、静かに、言った。

「いまからでも、遅くはない。おまえにも、仲間は、いるはずだ」

「……仲間?」

「ここにいる、全員が、そうだろう」

ヴォルフさんが、居間を見回した。

ハンナさん。セレナさん。僕。そして、奥から、こっそり、顔をのぞかせているルカ。

ガルヴィンさんは、ぽかんと、口を開けた。

「私が……仲間?」

「ああ。もっとも、まず、あの庭を、きれいに、掃除してからだがな」

「…………」

ガルヴィンさんは、しばらく、黙って、それから、くつくつと、笑い出した。

「ははは。そうだな。草刈り鎌の、使い方から、習わねばなるまい」

その笑い声は、三十年ぶりの、やわらかさだった。

ヴォルフさんも、つられて、笑った。

ハンナさんも、セレナさんも、つられて、笑った。

僕も、気がつけば、笑っていた。

奥の台所から、ルカが、ひょこっと顔を出した。

「みんな、たのしそう! ぼくも、まぜてー!」

「おいで、ルカ」

ヴォルフさんが、手を広げた。

ルカは、一瞬、ためらって、それから、とてとてと、駆け寄った。

「……おじいちゃん?」

「ああ。おじいちゃんだ」

ヴォルフさんの腕が、小さな体を、そっと、抱きしめた。

その目から、また、ぽろりと、涙が、こぼれた。

「おかえり、ルカ。おかえり、セレナ。……三十年ぶりの、おかえりだ」

セレナさんが、ヴォルフさんの背中に、腕を回した。

親子三代が、ひとつに、重なる。

ハンナさんが、そっと、顔をそむけて、袖で、目元を、ぬぐっていた。

窓の外では、二つの青い月が、静かに、村を照らしていた。

* * *

その夜、にぎやかな夕食のあと。

僕は、ひとり、薬屋の縁側に、腰かけていた。

静かな夜風が、頬を、撫でていく。

ルカは、ヴォルフさんの隣で、すっかり寝入っている。セレナさんは、ハンナさんと、遅くまで、母親の昔話をしていた。

「ケン、起きてたのか」

声に振り向くと、ガルヴィンさんが、縁側に、そっと、腰を下ろした。

「少し、眠れなくて」

「私もだ」

しばらく、二人で、夜空を、眺めた。

やがて、ガルヴィンさんが、ぽつりと、言った。

「ケン殿。君は、不思議な子だ」

「え?」

「あれほどの、ことをした私に、お茶を、淹れてくれた。怒りもせず、責めもせず」

「……僕も、昔、追い詰められたことが、あったから」

僕は、小さく、笑った。

「そのとき、誰かに、お茶を淹れてもらえたら、救われたかなって、思ったんです」

「そうか」

ガルヴィンさんは、目を細めた。

「君が、いつか、七つの草を、すべて集めるとき。私に、できることがあれば、何でも、言ってくれ」

「ありがとうございます」

「約束する。……今度こそ、友のために、生きる」

その言葉は、静かで、まっすぐだった。

僕は、うなずいた。

そのときだった。

遠くの夜道から、ばたばたと、足音が、聞こえてきた。

「……ん?」

「誰か、走ってくる」

暗闇のなかから、小さな人影が、猛烈な勢いで、こちらに向かってくる。

薄手の外套。ほどけた、赤茶色の髪。乱れた、学院の制服。

「ケンーーーッ!」

聞き慣れた、きんきん声が、夜空に、響いた。

「…………ミレイ?」

僕は、思わず、立ち上がった。

ミレイは、息を切らして、縁側の前に、ざざっと、滑り込んできた。

肩で息をして、顔は真っ赤で、髪は、ぼさぼさ。手には、くしゃくしゃになった、一通の手紙が握られている。

「あ、あんた……! この手紙……!」

「ミレイ、どうして、ここに」

「どうしてじゃないわよ! ギンが、突然、寮の窓から、飛び込んできて! 『ケンから!』って、手紙を!」

ミレイは、手紙を、ぐいっと、突き出した。

「『セレナは、ヴォルフさんの娘で、ミレイの、いとこ』って、どういうことよ!!」

「えっと、それは、ちょっと、長い話で」

「長くてもいいから! 全部、説明しなさい!!」

ミレイの声が、夜の村に、響き渡った。

奥の部屋の窓が、ガラリと開く。

ハンナさんが、目を丸くして、顔を出した。

「……ミレイ? おまえ、学院は」

「おばあちゃん!! どういうこと!? 私に、いとこがいたの!?」

縁側が、一気に、賑やかになった。

ガルヴィンさんが、くすくすと、肩を揺らして、笑っている。

ギンが、ミレイの肩から、ひょこっと、顔を出した。

『ケン、てがみ、とどけたよ! えらい?』

「う、うん、えらいよ、ギン。でも、ちょっと、早すぎたかも」

夜空には、満天の星が、きらきらと、まばたいていた。

ミドリ村の夜は、いつまでも、にぎやかだった。

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――第40話へ続く――

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