↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/65

第30話 のんびりの、はじまりの朝

王都での日々は、思っていたよりも、あっという間に過ぎていった。

宰相さまの裁判は、三日後に開かれた。

広間には、前と同じ貴族たちが並んでいたけれど、空気は、まるで違っていた。誰もが、静かに、宰相さまの言葉に、耳を傾けていた。

宰相さまは、すべてを、自分の口で語った。エレナさんのこと。黒月花のこと。陛下への毒。そして、村を脅した罪。

言い訳は、ひとつもなかった。

「私は、友を裏切り、国を欺き、無辜の民を、傷つけました。いかなる罰も、受けます」

陛下は、長い沈黙のあと、静かに、判決を告げた。

「ガルヴィン・ノーラン。そなたの宰相の職を、解く。王都からの追放を、命じる」

広間が、ざわめいた。軽すぎる、という声も、あった。

「ただし」

陛下は、続けた。

「そなたには、ひとつの務めを、課す。ミドリ村の郊外に、小さな庭を設け、エレナ・ルナリアの愛した月見草を、育てなさい。毎日、村の者に、水を、分けてもらいながら。……残りの一生をかけて、償いなさい」

宰相さまは、深く、深く、頭を下げた。

「……ありがたき、お言葉」

その肩が、小さく、震えていた。

ヴォルフさんは、その背中を、黙って、見つめていた。

そして、裁判が終わったあと、ふたりは、広間の隅で、何か、短く言葉を交わした。何を話したのかは、わからない。けれど、ヴォルフさんの横顔は、穏やかだった。

ヴォルフさん自身にも、罪は問われた。五年間、毒を作り、井戸に毒を入れた事実は、消えない。けれど、陛下は、「ケン殿の村での、一年の奉仕」を、条件に、赦しを与えた。

「薬屋で、働きなさい。人を救う薬を、作りなさい」

「……はい。命にかえても」

ヴォルフさんは、涙を、ぬぐわなかった。

* * *

そして、僕への、褒美の日が、来た。

大広間の壇の上で、陛下が、僕に、尋ねた。

「ケン。何が欲しい? 望むものを、言ってごらん。金でも、領地でも、爵位でも」

「えっと……」

僕は、少し、考えた。

金貨は、母さんと、リナのために、十分すぎるほど、もらっている。領地や爵位なんて、もらっても、きっと、持て余す。

だから、僕は、正直に、答えた。

「村に、橋を、かけてほしいです」

「橋?」

「はい。ミドリ村の南に、小さな川があって、雨が降ると、渡れなくなるんです。そうすると、お医者さんも、薬も、届かなくなって」

陛下は、目を丸くした。

「それだけで、いいのか?」

「あと、できれば、ミレイの学院の、学費を」

「ケン!?」

隣に立っていたミレイが、慌てて、僕の袖を引っぱった。

「そ、そんなの、頼んでないわよ!」

「だって、ミレイは、いい薬師になるから。学院で、もっと勉強したいって、言ってたでしょ」

「それは、そうだけど……自分で、何とかするわよ!」

「じゃあ、ミレイが、一人前になったら、僕に、返してくれればいい」

「……っ」

ミレイは、真っ赤になって、ぷいっと、そっぽを向いた。

陛下は、声をあげて、笑った。

「よかろう。橋も、学費も、約束する。……しかし、ケン」

陛下は、少し、真剣な顔になった。

「それは、私が、勝手に、与えるものだ。そなた自身への、褒美は、何も、ないのか?」

僕は、しばらく、考えて、それから、にこっと、笑った。

「村に、帰りたいです。母さんの、ごはんを食べて、リナと、遊んで、薬屋で、お茶を淹れて。……のんびり、暮らしたいんです」

陛下は、しばらく、僕を、見つめていた。

やがて、目を細めて、ゆっくりと、うなずいた。

「……なるほど。それが、そなたの、一番の望みか」

「はい」

「ならば、せめて、称号だけでも、受け取ってくれ」

陛下は、壇から降りて、僕の肩に、手を置いた。

「『月光の薬師』。国王の名において、そなたに、この名を、授ける。何の義務も、ない。ただ、困ったとき、王宮の扉は、いつでも、そなたに開かれている、という印だ」

「……ありがとうございます」

胸の奥が、じんわりと、あたたかくなった。

「それと、もうひとつ」

陛下は、懐から、古びた羊皮紙を、一枚、取り出した。

「これは、ガルヴィンが、持っていた、七つの草の、古い地図だ」

「地図……?」

「三つは、すでに、そなたが見つけた。残るは、四つ。月光、星影、朝露。そして」

陛下の指が、地図の上を、なぞる。

「北の氷山に眠る『氷涙草』。南の砂海に咲く『砂星草』。西の海底に揺れる『潮泡草』。そして、最後の一つ、『天空草』は、どこにあるのか、誰も、知らない」

僕は、息を、のんだ。

「いつか、そなたが、その気になったとき。この地図を、役立ててほしい。急がなくていい。何年先でも、構わない。……ただ、ガルヴィンの病は、あの草が揃わなければ、完治しないのでな」

「……はい」

僕は、地図を、両手で、受け取った。

けれど、そのとき、不思議と、重くは、感じなかった。

僕は、もう、知っているからだ。

一人で、全部を、背負う必要は、ないことを。

* * *

王都を発つ日の朝、陛下は、自ら、城門まで、見送りに来てくださった。

「ケン。またいつか、お茶を、淹れてくれ」

「はい。夏風茶、おいしいですよ」

「それは、楽しみだ」

陛下は、小さく、手を振った。

その隣では、セドリックさんが、深々と、頭を下げている。

「ケン殿。私は、王宮に残り、陛下をお支えしながら、薬師院の改革を、進めます。二度と、同じ過ちが、起こらないように」

「頑張ってください、セドリックさん」

「ええ。……また、お会いしましょう」

眼鏡の奥の目は、もう、疲れていなかった。

ダリオさんは、騎士団の正式な一員に、取り立てられたらしい。

「ケン殿! 自分は、必ず、村の守護騎士に、なってみせます!」

「ダリオさん、声が大きいです」

「申し訳ありません!」

笑い声が、朝の空に、溶けていった。

帰りの馬車には、ミレイと、ヴォルフさんと、銀牙さんと、ギンが、乗り込んだ。伯爵さまは、領地へ、別の馬車で戻る。

馬車が、動き出す。

王都の城壁が、少しずつ、遠ざかっていく。

窓から身を乗り出して、僕は、いつまでも、手を振っていた。

* * *

ミドリ村に着いたのは、十日後の夕方だった。

村の入り口には、なぜか、村じゅうの人が、集まっていた。

「ケン坊ーっ!」

ゴードンじいさんが、涙を流しながら、駆け寄ってくる。その後ろには、おじいさん連合の面々が、ずらりと、並んでいる。

「無事で、よかった! 本当に、よかった!」

「ゴードンさん、ただいま」

「おう、おかえり、おかえり! 約束の、夏風茶、用意しといたぞ!」

おじいさんは、僕の頭を、ごしごしと撫でた。

その向こうから、小さな影が、ぱたぱたと、走ってきた。

「お兄ちゃーん!」

リナだった。僕の胸に、ぽんと、飛び込んでくる。

「おかえり、おかえり、おかえり!」

「ただいま、リナ。ちゃんと、帰ってきたよ。約束、守ったでしょ」

「うん!」

リナの顔は、涙で、ぐしゃぐしゃだった。

僕は、ポケットから、四つ葉のお守りを、取り出した。

「これ、ありがとう。ずっと、持ってた。おかげで、帰ってこられたよ」

「えへへ」

そして、その後ろに。

「……ケン」

母さんが、立っていた。

エプロン姿のまま。手を、ぎゅっと握りしめて。

「母さん、ただいま」

「……おかえり」

母さんは、何も言わずに、僕を、抱きしめた。

あたたかくて、少し、かぼちゃの匂いがした。

「ごはん、できてるから」

「うん」

「かぼちゃパンも、焼いたわよ」

「うん」

僕は、母さんの肩に、顔をうずめて、小さく、笑った。

「……ただいま、母さん」

薬屋の前では、ハンナさんが、腕を組んで、待っていた。

「やっと、帰ってきたね」

「ばあちゃん、ただいま」

「おや、顔つきが、少し、変わったじゃないか」

ハンナさんは、僕の頭を、ぽんぽんと、撫でた。

それから、僕の後ろに、立つ人を、見た。

「……ヴォルフ」

「義姉さん。ただいま、戻りました」

「ずいぶん、遅かったね」

「申し訳ありません」

「でも」

ハンナさんは、目に、そっと、涙を浮かべて、笑った。

「ちゃんと、帰ってきた。それだけで、十分だよ」

ヴォルフさんの背中が、小さく、震えた。

そして、ミレイが、ハンナさんに、飛びついた。

「おばあちゃーん!」

「こらこら、危ないよ!」

「だって!」

ミレイは、泣き笑いの顔で、ハンナさんに、抱きついていた。

僕は、その光景を、そっと、見守っていた。

ギンが、僕の肩に、ちょこんと、乗って、頬に鼻を、すり寄せてくる。

『ケン。にぎやかだね』

「うん。にぎやかだ」

『すき?』

「……うん。大好きだ」

* * *

その夜、僕は、久しぶりに、自分の部屋の、藁のベッドに、寝転がった。

窓の外には、二つの青い月が、静かに、浮かんでいる。

枕元には、陛下から受け取った、古い地図。

七つの草の、残りの、四つ。

氷の山。砂の海。海の底。そして、まだ誰も知らない、空の、どこか。

(……いつか、行く日が、来るのかな)

きっと、来る。

でも、それは、いまじゃない。

僕は、地図を、そっと、枕の下に、しまった。

そして、目を閉じた。

もう、あの夜の夢は、見ない。

かわりに、母さんの、かぼちゃパンの匂いと、リナの笑い声と、ミレイの、怒ったような、照れた顔が、浮かんでくる。

(今度こそ、のんびり、暮らせるかもしれない)

あの日、あぜ道で、思ったことを、もう一度、胸の中で、つぶやいた。

窓の外から、涼しい風が、吹き込んでくる。

夏が、終わりかけていた。

明日は、薬屋で、夏風茶を、仕込もう。ミレイと、ヴォルフさんと、ハンナさんと。みんなで、いつもの朝を、迎えよう。

僕は、小さく、笑って、眠りに落ちた。

ミドリ村の朝は、いつもと、変わらない。

けれど、僕の「のんびり」の日々は、ここから、本当に、はじまるのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。