第30話 のんびりの、はじまりの朝
王都での日々は、思っていたよりも、あっという間に過ぎていった。
宰相さまの裁判は、三日後に開かれた。
広間には、前と同じ貴族たちが並んでいたけれど、空気は、まるで違っていた。誰もが、静かに、宰相さまの言葉に、耳を傾けていた。
宰相さまは、すべてを、自分の口で語った。エレナさんのこと。黒月花のこと。陛下への毒。そして、村を脅した罪。
言い訳は、ひとつもなかった。
「私は、友を裏切り、国を欺き、無辜の民を、傷つけました。いかなる罰も、受けます」
陛下は、長い沈黙のあと、静かに、判決を告げた。
「ガルヴィン・ノーラン。そなたの宰相の職を、解く。王都からの追放を、命じる」
広間が、ざわめいた。軽すぎる、という声も、あった。
「ただし」
陛下は、続けた。
「そなたには、ひとつの務めを、課す。ミドリ村の郊外に、小さな庭を設け、エレナ・ルナリアの愛した月見草を、育てなさい。毎日、村の者に、水を、分けてもらいながら。……残りの一生をかけて、償いなさい」
宰相さまは、深く、深く、頭を下げた。
「……ありがたき、お言葉」
その肩が、小さく、震えていた。
ヴォルフさんは、その背中を、黙って、見つめていた。
そして、裁判が終わったあと、ふたりは、広間の隅で、何か、短く言葉を交わした。何を話したのかは、わからない。けれど、ヴォルフさんの横顔は、穏やかだった。
ヴォルフさん自身にも、罪は問われた。五年間、毒を作り、井戸に毒を入れた事実は、消えない。けれど、陛下は、「ケン殿の村での、一年の奉仕」を、条件に、赦しを与えた。
「薬屋で、働きなさい。人を救う薬を、作りなさい」
「……はい。命にかえても」
ヴォルフさんは、涙を、ぬぐわなかった。
* * *
そして、僕への、褒美の日が、来た。
大広間の壇の上で、陛下が、僕に、尋ねた。
「ケン。何が欲しい? 望むものを、言ってごらん。金でも、領地でも、爵位でも」
「えっと……」
僕は、少し、考えた。
金貨は、母さんと、リナのために、十分すぎるほど、もらっている。領地や爵位なんて、もらっても、きっと、持て余す。
だから、僕は、正直に、答えた。
「村に、橋を、かけてほしいです」
「橋?」
「はい。ミドリ村の南に、小さな川があって、雨が降ると、渡れなくなるんです。そうすると、お医者さんも、薬も、届かなくなって」
陛下は、目を丸くした。
「それだけで、いいのか?」
「あと、できれば、ミレイの学院の、学費を」
「ケン!?」
隣に立っていたミレイが、慌てて、僕の袖を引っぱった。
「そ、そんなの、頼んでないわよ!」
「だって、ミレイは、いい薬師になるから。学院で、もっと勉強したいって、言ってたでしょ」
「それは、そうだけど……自分で、何とかするわよ!」
「じゃあ、ミレイが、一人前になったら、僕に、返してくれればいい」
「……っ」
ミレイは、真っ赤になって、ぷいっと、そっぽを向いた。
陛下は、声をあげて、笑った。
「よかろう。橋も、学費も、約束する。……しかし、ケン」
陛下は、少し、真剣な顔になった。
「それは、私が、勝手に、与えるものだ。そなた自身への、褒美は、何も、ないのか?」
僕は、しばらく、考えて、それから、にこっと、笑った。
「村に、帰りたいです。母さんの、ごはんを食べて、リナと、遊んで、薬屋で、お茶を淹れて。……のんびり、暮らしたいんです」
陛下は、しばらく、僕を、見つめていた。
やがて、目を細めて、ゆっくりと、うなずいた。
「……なるほど。それが、そなたの、一番の望みか」
「はい」
「ならば、せめて、称号だけでも、受け取ってくれ」
陛下は、壇から降りて、僕の肩に、手を置いた。
「『月光の薬師』。国王の名において、そなたに、この名を、授ける。何の義務も、ない。ただ、困ったとき、王宮の扉は、いつでも、そなたに開かれている、という印だ」
「……ありがとうございます」
胸の奥が、じんわりと、あたたかくなった。
「それと、もうひとつ」
陛下は、懐から、古びた羊皮紙を、一枚、取り出した。
「これは、ガルヴィンが、持っていた、七つの草の、古い地図だ」
「地図……?」
「三つは、すでに、そなたが見つけた。残るは、四つ。月光、星影、朝露。そして」
陛下の指が、地図の上を、なぞる。
「北の氷山に眠る『氷涙草』。南の砂海に咲く『砂星草』。西の海底に揺れる『潮泡草』。そして、最後の一つ、『天空草』は、どこにあるのか、誰も、知らない」
僕は、息を、のんだ。
「いつか、そなたが、その気になったとき。この地図を、役立ててほしい。急がなくていい。何年先でも、構わない。……ただ、ガルヴィンの病は、あの草が揃わなければ、完治しないのでな」
「……はい」
僕は、地図を、両手で、受け取った。
けれど、そのとき、不思議と、重くは、感じなかった。
僕は、もう、知っているからだ。
一人で、全部を、背負う必要は、ないことを。
* * *
王都を発つ日の朝、陛下は、自ら、城門まで、見送りに来てくださった。
「ケン。またいつか、お茶を、淹れてくれ」
「はい。夏風茶、おいしいですよ」
「それは、楽しみだ」
陛下は、小さく、手を振った。
その隣では、セドリックさんが、深々と、頭を下げている。
「ケン殿。私は、王宮に残り、陛下をお支えしながら、薬師院の改革を、進めます。二度と、同じ過ちが、起こらないように」
「頑張ってください、セドリックさん」
「ええ。……また、お会いしましょう」
眼鏡の奥の目は、もう、疲れていなかった。
ダリオさんは、騎士団の正式な一員に、取り立てられたらしい。
「ケン殿! 自分は、必ず、村の守護騎士に、なってみせます!」
「ダリオさん、声が大きいです」
「申し訳ありません!」
笑い声が、朝の空に、溶けていった。
帰りの馬車には、ミレイと、ヴォルフさんと、銀牙さんと、ギンが、乗り込んだ。伯爵さまは、領地へ、別の馬車で戻る。
馬車が、動き出す。
王都の城壁が、少しずつ、遠ざかっていく。
窓から身を乗り出して、僕は、いつまでも、手を振っていた。
* * *
ミドリ村に着いたのは、十日後の夕方だった。
村の入り口には、なぜか、村じゅうの人が、集まっていた。
「ケン坊ーっ!」
ゴードンじいさんが、涙を流しながら、駆け寄ってくる。その後ろには、おじいさん連合の面々が、ずらりと、並んでいる。
「無事で、よかった! 本当に、よかった!」
「ゴードンさん、ただいま」
「おう、おかえり、おかえり! 約束の、夏風茶、用意しといたぞ!」
おじいさんは、僕の頭を、ごしごしと撫でた。
その向こうから、小さな影が、ぱたぱたと、走ってきた。
「お兄ちゃーん!」
リナだった。僕の胸に、ぽんと、飛び込んでくる。
「おかえり、おかえり、おかえり!」
「ただいま、リナ。ちゃんと、帰ってきたよ。約束、守ったでしょ」
「うん!」
リナの顔は、涙で、ぐしゃぐしゃだった。
僕は、ポケットから、四つ葉のお守りを、取り出した。
「これ、ありがとう。ずっと、持ってた。おかげで、帰ってこられたよ」
「えへへ」
そして、その後ろに。
「……ケン」
母さんが、立っていた。
エプロン姿のまま。手を、ぎゅっと握りしめて。
「母さん、ただいま」
「……おかえり」
母さんは、何も言わずに、僕を、抱きしめた。
あたたかくて、少し、かぼちゃの匂いがした。
「ごはん、できてるから」
「うん」
「かぼちゃパンも、焼いたわよ」
「うん」
僕は、母さんの肩に、顔をうずめて、小さく、笑った。
「……ただいま、母さん」
薬屋の前では、ハンナさんが、腕を組んで、待っていた。
「やっと、帰ってきたね」
「ばあちゃん、ただいま」
「おや、顔つきが、少し、変わったじゃないか」
ハンナさんは、僕の頭を、ぽんぽんと、撫でた。
それから、僕の後ろに、立つ人を、見た。
「……ヴォルフ」
「義姉さん。ただいま、戻りました」
「ずいぶん、遅かったね」
「申し訳ありません」
「でも」
ハンナさんは、目に、そっと、涙を浮かべて、笑った。
「ちゃんと、帰ってきた。それだけで、十分だよ」
ヴォルフさんの背中が、小さく、震えた。
そして、ミレイが、ハンナさんに、飛びついた。
「おばあちゃーん!」
「こらこら、危ないよ!」
「だって!」
ミレイは、泣き笑いの顔で、ハンナさんに、抱きついていた。
僕は、その光景を、そっと、見守っていた。
ギンが、僕の肩に、ちょこんと、乗って、頬に鼻を、すり寄せてくる。
『ケン。にぎやかだね』
「うん。にぎやかだ」
『すき?』
「……うん。大好きだ」
* * *
その夜、僕は、久しぶりに、自分の部屋の、藁のベッドに、寝転がった。
窓の外には、二つの青い月が、静かに、浮かんでいる。
枕元には、陛下から受け取った、古い地図。
七つの草の、残りの、四つ。
氷の山。砂の海。海の底。そして、まだ誰も知らない、空の、どこか。
(……いつか、行く日が、来るのかな)
きっと、来る。
でも、それは、いまじゃない。
僕は、地図を、そっと、枕の下に、しまった。
そして、目を閉じた。
もう、あの夜の夢は、見ない。
かわりに、母さんの、かぼちゃパンの匂いと、リナの笑い声と、ミレイの、怒ったような、照れた顔が、浮かんでくる。
(今度こそ、のんびり、暮らせるかもしれない)
あの日、あぜ道で、思ったことを、もう一度、胸の中で、つぶやいた。
窓の外から、涼しい風が、吹き込んでくる。
夏が、終わりかけていた。
明日は、薬屋で、夏風茶を、仕込もう。ミレイと、ヴォルフさんと、ハンナさんと。みんなで、いつもの朝を、迎えよう。
僕は、小さく、笑って、眠りに落ちた。
ミドリ村の朝は、いつもと、変わらない。
けれど、僕の「のんびり」の日々は、ここから、本当に、はじまるのだ。




