第28話 満月の大広間と、目を開けた王様
白鹿さまの背に乗って、星の道を駆け抜けること、六刻。
森が途切れ、視界が開けた。
夕焼けに染まる大地の向こうに、巨大な城壁が、横たわっていた。城壁の内側には、尖塔がいくつも突き出していて、その中央に、白い石造りの王宮が、静かに建っている。
「あれが、王都……」
ミレイが、息をのんだ。
『ここまでだ』
白鹿さまが、街道から少し離れた丘の上で、足を止めた。
『これより先は、人の世。我は、森から、見守っている』
「ありがとうございます、白鹿さま」
『人の子よ。茶は、誰かを救うためにある。……その心を、忘れるな』
白鹿さまは、金色の瞳を細めると、森のほうへ、風のように駆け去っていった。
* * *
丘の上で、僕たちは、最後の打ち合わせをした。
「宰相さまは、『ひとりで来い』と書いてきました。だから、僕は、正門から、ひとりで入ります」
「でも、それじゃ、罠の中に……!」
「うん。でも、ひとりに『見える』ように、入るんです」
僕は、胸元の外套を、軽く叩いた。
「ギンは、僕の外套に隠れてもらいます。それなら、宰相さまには、見えない」
『まかせて!』
外套の中から、くぐもった声が、聞こえた。
「そして、ミレイ、ヴォルフさん、銀牙さんの三人は、別の道から、王宮に入ってください」
ヴォルフさんが、ゆっくりとうなずいた。
「それなら、私が、道を知っている。王宮の薬師院の地下には、古い薬草の搬入口が、ある。昔、私が使っていた道だ。五年たっても、まだ、塞がれていないはずだ」
「ギンの念話を通して、広間の様子を、銀牙さんに伝えます。合図を出したら、広間へ飛び込んでください」
「承知した」
銀牙さんが、静かに頭を下げた。
ミレイが、僕の手を、ぎゅっと握った。
「……絶対に、死なないでよ」
「うん。約束」
「口だけの約束は、いらないって、言ったでしょ」
「じゃあ、小指」
僕が、小指を差し出すと、ミレイは、一瞬、顔を赤くして、それから、そっぽを向いたまま、小指を絡めた。
「……ばか」
そして、僕たちは、二手に分かれた。
* * *
王都の正門は、大きくて、そして、ものものしかった。
白銀の鎧の近衛兵が、門の両側に、二十人。みな、槍を構えている。
「止まれ」
隊長らしい男が、僕の前に、立ちはだかった。
「何者だ」
「薬屋の弟子の、ケンです。宰相閣下に、呼ばれて参りました」
隊長の目が、すっと細くなった。
「……ついて来い」
左右を槍に挟まれて、僕は、石畳の大通りを、歩いた。
王都の人たちが、遠巻きに、こっちを見ている。ひそひそと囁き合う声が、聞こえる。
「あの子が、陛下を……?」
「まだ、子どもじゃないか」
「宰相さまが、そう仰っているそうだ」
(もう、噂が、広がってるんだ)
宰相さまのやり方は、徹底している。ここまで、先回りして、僕を「悪者」に、仕立て上げているのだ。
でも、不思議と、怖くはなかった。
外套の中で、ギンが、小さく震えながらも、僕の肌に、ぴったりと寄り添っている。
『ケン、だいじょうぶ。ぼく、ここにいるよ』
『うん。ありがとう、ギン』
僕は、心の中で、そっと答えた。
* * *
王宮の大広間は、息をのむほど、広かった。
天井は、遥か高くて、巨大な水晶のシャンデリアが、いくつも輝いている。大理石の床には、赤い絨毯が、まっすぐ奥へ伸びていた。
そして、その左右に、着飾った貴族たちが、ずらりと並んでいた。
数、百人以上。
みんなの視線が、僕に、突き刺さる。
「……見ろ、あれが」
「あんな子どもが、陛下を」
「許せん」
ざわざわとした声が、波のように、広がっていく。
絨毯の奥、一段高くなった壇の上に、天蓋つきの大きな寝台が、置かれていた。
その中に、ひとりの人が、横たわっている。
金色の髪。痩せた頬。白い寝間着。
陛下だ。
目を閉じている。胸が、かすかに、上下しているのが、見えた。
そして、その隣に、紫の外套の男が、立っていた。
銀灰色の髪。穏やかな微笑み。
ガルヴィン・ノーラン宰相。
幻じゃない。本物だ。
けれど、近くで見ると、その顔は、ひどく、やつれていた。頬はこけて、目の下には、深い影が落ちている。外套の袖口から、黒い血管のような筋が、手の甲まで、這い上がっているのが見えた。
壇の下には、三人の人影が、鎖につながれて、跪かされていた。
伯爵さま、セドリックさん、ダリオさん。
「ケン殿……!」
伯爵さまが、顔を上げた。口の端に、小さな傷がある。
「来るな、と、言ったのに」
「伯爵さま、ごめんなさい。でも、来ました」
僕は、にこっと笑ってみせた。
「ようこそ、ケン殿」
宰相さまが、壇の上から、両手を広げた。
「諸君、紹介しよう。この少年こそが、陛下に毒を盛った、真の下手人だ」
どよめきが、大広間に、響いた。
「ち、違います!」
セドリックさんが、鎖の音をじゃらりと鳴らして、叫んだ。
「閣下、それは、事実と」
「黙れ、セドリック」
宰相さまの声が、初めて、冷たく、鋭くなった。
「君は、まだ、自分の立場が、わかっていないようだね」
近衛兵が、セドリックさんの肩を、乱暴に押さえつけた。
「やめてください!」
僕は、思わず、声をあげた。
「僕は、陛下を、助けに来たんです。宰相さまが、そう、呼んだんじゃないですか」
「そうだとも」
宰相さまは、にっこりと微笑んだ。
「だから、君に、機会を与えよう。持ってきた『茶』を、陛下に、飲ませてごらん」
「…………」
「ただし、その前に」
宰相さまは、指を鳴らした。
壇の脇から、白衣の男たちが、進み出た。侍医団だ。
「君の茶が、毒でないことを、証明してもらおう。まず、君自身が、飲みたまえ」
「…………」
「どうした? 飲めないのか?」
貴族たちのざわめきが、広がっていく。
「やはり、毒なのだ!」
「早く飲め、小僧!」
僕は、水筒の蓋を、ゆっくりと開けた。
三草の茶が、ほのかな光を放って、揺れている。
一杯だけ、小さな杯に注ぐ。
そして、迷わず、口に運んだ。
こくり。
甘くて、やわらかくて、あたたかい味が、喉を通っていく。体の奥に、じんわりと、光が灯るようだった。
「……ふう」
僕が、杯を置くと、大広間が、しんと静まった。
「ご覧のとおり、毒では、ありません」
「ふ、ふん。一杯飲んだだけで、何がわかる」
侍医のひとりが、ぼそりと言った。
「遅効性の毒かもしれん」
「では、僕が、ここに、立っていますよ。明日まで、ずっと」
僕は、まっすぐ、宰相さまを見た。
「それでも、足りませんか?」
宰相さまは、しばらく、僕を見つめていた。
やがて、ゆっくりと、うなずいた。
「……よかろう。では、陛下の前へ」
* * *
赤い絨毯の上を、一歩ずつ、進む。
貴族たちの視線が、背中に、刺さる。
壇の階段を、上がった。
寝台の傍らに立つと、陛下の顔が、すぐそこに、あった。
痩せているけれど、整った顔立ち。少し開いた唇から、浅い息がもれている。
僕は、そっと、陛下に、手をかざした。
(……雑草鑑定。状態鑑定)
文字が、浮かび上がる。
【名称:アルフレッド・ヴァルデン】
【状態:意識あり。眠った振りをしている】
【備考:毒の根は断たれ、症状は軽くなっている。三草の茶で、完治の見込み】
(……やっぱり)
胸の奥が、じんと、熱くなった。
陛下は、起きている。手紙のとおりだ。
僕は、気づかれないように、ほんの少しだけ、陛下の指先に、自分の指を重ねた。
陛下のまぶたが、ぴくり、と、動いた。
(もう、大丈夫です。僕が、来ました)
僕は、心の中で、そっと、語りかけた。
そして、小さな杯に、三草の茶を、注いだ。
「陛下。お茶を、お持ちしました」
杯を、陛下の唇に、そっと近づける。
そのときだった。
「待て!」
宰相さまの声が、大広間に、響いた。
「その茶は、毒だ!」
「……え?」
「我が侍医が、先ほど、確認した。その茶には、猛毒が混じっている! 近衛兵、その子を、取り押さえろ!」
白銀の鎧の男たちが、いっせいに、動いた。
槍の穂先が、僕のまわりを、ぐるりと囲む。
「やめろ!」
伯爵さまが、鎖を引きちぎらんばかりに、叫んだ。
「この子は、何も!」
「黙れ!」
宰相さまが、勝ち誇ったように、僕を見下ろした。
「ご覧あれ、諸君! この少年は、陛下に、最後の毒を、飲ませようとしたのだ!」
貴族たちが、悲鳴と怒号を、あげる。
僕は、杯を、握ったまま、動かなかった。
槍の穂先が、喉もとに、迫る。
外套の中で、ギンが、小さく、息をのんだ。
『ケン、いま、いう?』
『まだ。もう少し』
僕は、宰相さまを、まっすぐ、見つめた。
「宰相さま。僕は、さっき、この茶を、飲みました」
「だから、どうした」
「毒だと言うなら、どうして、僕は、生きているんでしょう」
「遅効性だと、言ったはずだ」
「そうですか。では」
僕は、杯を、ゆっくりと、持ち上げた。
「もう一杯、飲みますね」
「やめろ!」
宰相さまが、叫んだ。
その声は、どこか、必死だった。
「それを飲むのは、許さん! 近衛兵、早く、杯を叩き落とせ!」
槍を構えた近衛兵が、僕に、手を伸ばした。
その瞬間。
「…………それを、叩き落とす必要は、ない」
静かで、かすれた、けれど、確かな声が、大広間に、響いた。
近衛兵の手が、ぴたりと、止まった。
宰相さまの顔が、凍りついた。
貴族たちが、いっせいに、壇の上を、見た。
寝台の上で。
金色の髪の人が、ゆっくりと、まぶたを開いていた。
青い瞳が、まっすぐ、宰相さまを、見つめている。
「ガルヴィン」
陛下は、骨ばった手で、僕の持っていた杯を、そっと、受け取った。
「その茶は、毒では、ない」
そして、ゆっくりと、体を起こした。
「私は、三日前から、ずっと、起きていた」
大広間が、水を打ったように、静まり返った。
ただひとつ、宰相さまの口から、かすれた声が、こぼれた。
「……陛下……」
満月の光が、天窓から、静かに、差し込んでいた。
――第29話へ続く――




