第22話 三日間の作戦会議と、霧の谷の朝露草
薬屋の地下室は、ひんやりとして、薬草と土の匂いがした。
石の壁に、ランプが一つ。その明かりを囲んで、みんなが座っていた。ハンナさん、ヴォルフさん、ミレイ、セドリックさん、銀牙さん。伯爵さまとダリオさんも、こっそり抜け出してきてくれている。
「……私が、出頭します」
最初に口を開いたのは、ヴォルフさんだった。
「宰相は、私を連れてこいと言った。ならば、私が一人で行けば、村は無事で済む」
「ふざけるんじゃないよ」
ハンナさんが、低い声で言った。
「三十年ぶりに会えた義弟を、みすみす差し出せるものかい」
「義姉さん、しかし」
「しかしも案山子もないよ。それに、あの男が、素直に約束を守ると思うのかい? おまえさんを捕まえたあとで、村を焼かない保証が、どこにあるんだい」
ヴォルフさんは、言葉に詰まった。
その沈黙のなかで、僕は、そっと手をあげた。
「あの……僕に、やりたいことが、三つあります」
みんなの目が、僕に集まる。
「ひとつ。朝露草を、手に入れたいです。銀牙さんの話では、次の満月の夜明け前が、咲く時期なんですよね。それって、つまり」
「……今夜、いや、あと数時間後、だな」
銀牙さんが、静かにうなずいた。
「ふたつ。村の人たちに、本当のことを話したいです。全部じゃなくても、ちゃんと。みんなの村のことだから」
「みっつ。王都へは、行きます」
「ケン!?」
ミレイが、がたんと立ち上がった。
「何言ってるのよ! あんな脅しに、乗るの!?」
「乗るんじゃないよ。自分たちの意思で、行くんだ」
僕は、ミレイを見上げた。
「宰相さまは、解毒薬を飲んでいた。毒のことを、知っていた。それが、何を意味するのか、僕、陛下に会って、確かめたい。陛下の状態を、この目で、診たいんです」
セドリックさんが、眼鏡を直して、ゆっくりと言った。
「確かに……陛下の症状が、本当に『黒月の涙』なのか、それとも別の何かなのか。ケン殿のスキルなら、見分けられるかもしれません」
「そのためには、朝露草が要る。もし本物の『黒月の涙』なら、三つの草がそろえば、解毒薬が作れる。陛下を救える。ヴォルフさんも、治せる」
僕は、ヴォルフさんを見た。
「ヴォルフさん。ひとつだけ、聞かせてください。ガルヴィン宰相さまは、あなたにとって、どんな人でしたか」
長い沈黙のあと、ヴォルフさんは、目を閉じた。
「……親友だった」
地下室の空気が、すっと冷えた。
「薬師院の同期でね。私と、エレナと、あの男の三人で、よく夜通し語り合った。エレナの病気のときも、一番に、研究を手伝ってくれた」
ヴォルフさんの声が、ふるえた。
「だから、私は、いまだに、わからないんだ。あの男が、なぜ」
「……会って、聞くしかないね」
ハンナさんが、静かに言った。
「ヴォルフ。おまえさんも、一緒に行くんだよ。ただし、捕まりに行くんじゃない。話をしに行くんだ。伯爵さまの保護のもとで、ね」
伯爵さまが、うなずいた。
「私が、身柄を預かろう。国の法に従って、正式に裁判を受ける権利が、ヴォルフ殿にもある。宰相でも、それを無視はできん」
「……ありがとうございます」
ヴォルフさんが、深く頭を下げた。
ミレイが、まだ納得いかない顔で、腕を組んでいた。
「……ケンが行くなら、私も行くからね」
「え、でも」
「文句は、聞かないわ」
ミレイは、ぷいっとそっぽを向いた。
「あんた一人じゃ、危なっかしくて、見てられないのよ」
「……ありがとう、ミレイ」
「べ、別に、お礼なんて!」
僕たちの作戦会議は、そうして、静かに幕を閉じた。
* * *
出発の支度をして、薬屋の戸を開けると、外に、人影が並んでいた。
「……ゴードンさん?」
ゴードンじいさんと、おじいさん連合の面々が、ぞろりと、夜の路地に立っていた。
「ケン坊」
じいさんは、いつになく、真剣な顔をしていた。
「さっきの宰相さまの目は、ただ者じゃなかった。そして、おまえさんが、何かを背負い込んだ顔をしてるのも、わかる」
「ゴードンさん……」
「理由は、聞かねえ。だが、これだけは、言っておく」
じいさんは、ごつい手を、僕の肩に置いた。
「この村は、おまえさんの味方だ。妹さんを救ってくれた、腰を治してくれた、祭りまで、守ってくれた。……今度は、俺たちの番だ」
「俺たちにできることは、あるか」
「わしらの畑を、そのまま貸すぞ」
「馬車の整備なら、任せとけ」
おじいさんたちが、口々に、声をあげる。
僕は、喉の奥が、熱くなって、うまく言葉が出なかった。
「……ありがとう、ございます。必ず、戻ってきます」
「おう。戻ってきたら、うまい酒を、飲ませてやる」
「僕は、まだ十二歳ですよ」
「じゃあ、夏風茶だ!」
どっと、笑いが起きた。
母さんが、後ろから、そっと、僕の背中に外套をかけてくれた。
「ケン。帰ってきたら、お母さんの手料理を、いっぱい食べなさい」
「うん」
「約束よ」
母さんの手は、冷たくて、少しだけ、震えていた。
* * *
馬を走らせて、二時間。
東へ、東へ。空が、少しずつ、紺から群青へと、色を変えていく。
前を行く銀牙さんの背中が、薄闇のなかで、ほのかに銀色に光っていた。僕の外套のなかでは、ギンが、小さな寝息を立てている。
「ケン殿。着いたぞ」
銀牙さんが、馬を止めた。
目の前に、霧の谷が、広がっていた。
谷底まで、真っ白な霧が、ゆっくりと渦を巻いている。まるで、巨大なミルクの海だ。
「……きれい」
後ろで、ミレイが、ぽつりとつぶやいた。
「でも、足もとが見えないわ」
「我が先導する。手を、離すな」
銀牙さんが、先頭に立って、霧の中へ入っていく。ダリオさんが、しんがりを務める。
霧は、思ったより、冷たくなかった。むしろ、やわらかくて、肌にまとわりつくように、あたたかい。
しばらく歩くと、足もとが、ふわりと平らになった。
そして、霧の向こうに、ほのかな光が、いくつも浮かんでいるのが見えた。
「あれ……花?」
近づくと、それは、小さな白い花だった。真珠のような、丸い蕾。ひとつひとつが、内側から、淡い乳白色に光っている。花びらの先には、透明なしずくが、きらきらと揺れていた。
僕は、息をのんだ。
(……雑草鑑定)
【名称:朝露草】
【品質:開花直前】
【効能:夜明けの瞬間にだけ、蕾の先に「朝露」を結ぶ。その一滴は、あらゆる毒を洗い流す】
「……やった」
思わず、声が出た。
「ミレイ、ほら! これだよ!」
「すごい……! 本当に、あった……!」
ミレイが、目をうるうるさせて、蕾に顔を近づけた。
その瞬間、僕の視界の端に、文字の続きが、ゆっくりと、浮かび上がった。
【代償:朝露を採る者は、霧に、最も大切な記憶をひとつ、預けなければならない】
【預けた記憶は、いつか、返される。ただし、「いつ」かは、霧のみぞ知る】
「…………え?」
僕は、目を疑った。
「ケン? どうしたの?」
「ミレイ、これ、見て。……いや、見えないんだっけ。ええと」
僕は、文字を、そのまま伝えた。
ミレイの顔が、みるみる、こわばっていく。
「記憶を、預ける……?」
「ひとつ、だけ。いつか、返される、って。でも、いつかは、わからないって」
「そんなの、だめよ!」
ミレイが、僕の腕を、ぎゅっとつかんだ。
「あんたが、あんたじゃなくなったら、どうするのよ!」
「大丈夫。ひとつだけだし」
「ひとつが、どれかなんて、わからないじゃない! お母さんの顔かもしれない、リナちゃんのことかもしれない、私のことかもしれないのよ!」
ミレイの声が、震えていた。
「やめて。他の方法を、探しましょうよ」
「でも、夜明けは、もうすぐなんだ」
東の空が、うっすらと、白み始めていた。
銀牙さんが、静かに言った。
「朝露は、夜明けの、ほんの一瞬だけ結ぶ。逃せば、次の満月まで、一ヶ月待たねばならない」
「その間に、陛下は……」
セドリックさんがいたら、きっと、そう言っただろう。
王様の命。ヴォルフさんの体。村の安全。
全部が、この一滴に、かかっている。
僕は、ゆっくりと、息を吸った。
「……僕が、やります」
「ケン!」
「大丈夫。僕、前の世界で、もう、一回、死んでるんだから」
「何、変な冗談言ってるのよ!」
「冗談じゃ、ないよ」
僕は、ミレイの目を、まっすぐ見た。
「僕は、この世界に来て、初めて、人に頼られて、ありがとうって、言われた。それが、嬉しかった。……だから、守りたいんだ。みんなを」
ミレイは、唇を、ぎゅっと噛んだ。
何か言いかけて、でも、言葉にならなくて、やがて、ぽろりと、涙をこぼした。
「……ばか」
「うん」
「大ばかよ。あんたは」
「うん。ごめん」
僕は、ミレイの頭を、そっと撫でた。それから、朝露草の蕾の前に、膝をついた。
東の空が、金色に染まる。
蕾が、ゆっくりと、ひらいていく。
花びらの先に、透明なしずくが、ぷくりと、ふくらんだ。
僕は、小さな瓶を、そっと、差し出した。
ぽとり。
一滴の朝露が、瓶の中に落ちた。
その瞬間、霧が、ざわり、と動いた。
白いもやが、僕のまわりを、ぐるぐると渦巻き始める。
どこからともなく、声が、聞こえてきた。
『……預けるものは、何だ』
低くて、深くて、遠い声。
『最も大切な、記憶を。ひとつ』
目の前が、真っ白に染まった。
頭の中に、いくつもの映像が、浮かんでは消えていく。
母さんの笑顔。リナの手のぬくもり。ミレイの照れた顔。ハンナさんの、大きな掌。
そして。
深夜のオフィス。冷たいカーペット。遠のく、蛍光灯の光。
『……ほう』
霧の声が、愉快そうに、笑った。
『おまえの記憶は、二つの世界に、またがっているな』
僕は、ぞくりとした。
『ならば、聞こう、少年』
白い霧のなかで、声が、ゆっくりと、僕に問いかけた。
『この世界での、おまえの大切な記憶を、預けるか』
『それとも』
『前の世界での、すべての記憶を、預けるか』
――第23話へ続く――




