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第21話 宰相の微笑みと、残された甘い匂い

「ミレイ、ばあちゃんを、薬屋の地下室へ。ヴォルフさんと一緒に、隠れていてください」

僕が早口で言うと、ミレイは、ぎゅっと唇を結んだ。

「わかったわ。でも、あんたは?」

「広場に行く。宰相さまが、村の人たちに何かする前に」

「ケン殿」

銀牙さんが、僕の肩に手を置いた。

「我は、地下室の入り口を見張る。誰も、通さない」

「お願いします。ギン、僕と一緒に来て。においで、気づいたことがあったら、すぐ教えて」

『わかった!』

ギンが、僕の外套の中に、するりと潜り込む。

ヴォルフさんは、ハンナさんに支えられて、薬屋の奥へ消えていった。去りぎわ、小さく振り返って、僕に頭を下げる。

「……すまない、ケン殿」

「お茶、また淹れますから。生きていてください」

* * *

祭りの広場は、さっきまでの賑わいが嘘のように、静まり返っていた。

櫓の太鼓は止まり、提灯だけが、ゆらゆらと揺れている。村人たちは、通りの両脇に膝をついて、頭を下げていた。ゴードンじいさんも、あの腰の曲がった姿で、必死に地面に額をつけている。

その真ん中を、一台の黒い馬車が止まっていた。

周りを囲むのは、白銀の鎧をまとった近衛兵が、三十人。

馬車の扉が開く。

降りてきたのは、五十代くらいの、背の高い男性だった。銀灰色の髪を後ろに撫でつけ、深い紫の外套に、金の紋章。目尻には、やわらかな笑い皺がある。

「ようこそ、皆さん。どうか、顔を上げてください。今宵は、お祭りでしょう?」

声は、温かくて、よく通った。

村人たちが、おそるおそる顔を上げる。

「私は、ガルヴィン・ノーラン。国王陛下の宰相を務めています。お祭りの邪魔をして、申し訳ない。どうか、続けてください」

その言葉に、村人たちの肩から、ほっと力が抜けた。

「いい人そうじゃないか」

「宰相さまが、わざわざ、こんな村に……」

ささやき声が、広がっていく。

でも、僕の外套の中で、ギンが、ぴくりと体を固くした。

『……ケン』

「うん。わかってる」

僕は、人混みを抜けて、前に出た。

「ケン殿」

最初に声をかけてくれたのは、伯爵さまだった。いつもの余裕のある顔を保っているけれど、握りしめた拳が、白くなっている。

「宰相閣下。ご紹介します。こちらが、ケン。薬屋の弟子です」

「ほう」

宰相さまの視線が、僕に向いた。笑みを浮かべたまま、目だけが、ゆっくりと僕を観察している。

「君が、領主の娘さんを救った少年か。思っていたより、小さいね。……いや、失礼。子どもだと思って、侮ったわけではないよ」

「い、いえ。初めまして、ケンです」

「うむ、よい挨拶だ」

宰相さまは、広場を見回した。

「あの屋台の、青い飲み物は?」

「夏風茶、といいます。僕と、友達で作りました」

「ひとつ、いただけるかな」

ミレイが、緊張した顔で、杯を差し出した。宰相さまは、受け取って、ゆっくりと口に運ぶ。

「……ほう。これは、冷たい水出しだな。夏空の花の香りが、よく出ている」

「ありがとうございます」

「素晴らしい。王宮の薬師院でも、こういう工夫は、なかなか見られない」

宰相さまは、にこやかに杯を置いた。

そのとき、後ろから、息を切らした足音が聞こえた。

「か、閣下! このような時間に、なぜ……!」

セドリックさんだった。顔は、紙のように白い。

「おお、セドリック。よく働いてくれた」

宰相さまは、両手を広げて、セドリックさんを迎えた。

「君の報告は、すべて読んだよ。王都に、ここまで正確に状況を知らせてくれたのは、君だけだ」

セドリックさんの目が、大きく見開かれた。

「……報告、ですか?」

「ん?」

「私は、まだ、閣下に、何も報告しておりません」

一瞬。

広場の空気が、ぴんと張りつめた。

宰相さまの笑みが、ほんの少しだけ、固まったように見えた。

「……おや。そうだったかな。他の者が、まとめて送ってくれたのだろう」

「他の、者……?」

「些細なことだ。それより」

宰相さまは、さらりと話題を変えた。

「ケン殿。少し、君と、二人で話せないかな」

「ふ、二人で、ですか?」

「大丈夫、取って食いはしないよ」

宰相さまは、冗談めかして笑った。

伯爵さまが、一歩、前に出る。

「閣下。この子は、まだ十二歳です。私も、同席させていただきたい」

「構わないよ。では、あの樫の木の下で、三人で」

* * *

広場の隅の、大きな樫の木の下。

提灯の明かりが、ぎりぎり届かない場所で、宰相さまは、静かに口を開いた。

「ケン殿。まず、謝らなければならない」

「え?」

「陛下の病を、君に押しつけるような形になってしまった。セドリックが、先に君に話したと聞いている。……あの者は、少し、功を急ぎすぎた」

「い、いえ……」

「率直に言おう」

宰相さまは、声を低くした。

「陛下の容体が、昨夜、急変した。いま、王宮では、持ってあと数日、と言われている」

「えっ……!」

「君に、王都へ来てほしい。三日以内に」

伯爵さまが、息をのんだ。

「閣下、それは、あまりに急な……」

「急ぐ必要があるのだよ、ロルフ殿」

宰相さまは、穏やかな声のまま、続けた。

「もちろん、無理強いはしない。……ただ、この国で、いま、陛下を救える可能性があるのは、君の薬だけだ。それを、断るというのなら」

宰相さまは、にっこり笑った。

「国王陛下への忠誠を問われても、仕方がない」

背筋が、ぞくりとした。

(これ、お願いじゃない。脅しだ)

僕は、心の中で、そっと唱えた。

(……雑草鑑定。状態鑑定)

文字が、浮かび上がる。

【名称:ガルヴィン・ノーラン】

【状態:健康】

【備考:体内に、「黒月の涙」の解毒剤の痕跡がある】

「…………!」

心臓が、どくんと鳴った。

解毒剤の、痕跡。

つまり、この人は、「黒月の涙」の解毒薬を、飲んでいる。毒のことを、最初から、知っていた。

でも、それが事実なら。

(宰相さまは、陛下が毒を盛られる前から、解毒薬を、用意していた……?)

ふと、外套の内側で、ギンが、小さく震えた。

『ケン……ケン、においが、ちがう』

『このひと、にがいにおいが、しない。かわりに、あまい、におい。おくすりの、におい』

『ヴォルフさんの、くろい、にがいにおいを、おなじ、ざいりょうで、けしてる』

(……やっぱり)

「どうした、ケン殿。顔色が、悪いようだが」

宰相さまが、首をかしげる。

「い、いえ。何でも、ありません」

「そうか。では、もうひとつ」

宰相さまは、静かに、懐から一枚の紙を取り出した。

「君の村に、ヴォルフ・グレイが、潜伏している、という情報を得ている」

伯爵さまの顔が、こわばった。

「彼は、陛下に毒を盛った、大罪人だ。もし、君たちが、彼をかくまっているのなら」

宰相さまは、笑顔のまま、言った。

「村ごと、反逆の罪に、問わねばならなくなる」

「…………っ」

僕は、息ができなかった。

「三日の猶予を、与えよう。三日後の朝、王都へ向かう馬車に、君と、ヴォルフ・グレイの身柄を、乗せてくれたまえ」

「そ、それは……」

「できなければ、近衛兵が、この村を、焼き払う」

広場から、遠く、祭りの提灯が、ゆらゆらと揺れていた。

宰相さまは、にこやかに、一礼した。

「では、良い夜を。素敵なお茶を、ありがとう」

そう言って、馬車へ戻っていく後ろ姿を、僕は、動けないまま、見送った。

* * *

馬車の車輪が、遠ざかる。

村人たちは、まだ、状況が呑み込めないまま、ざわざわと顔を見合わせていた。

「あの宰相さま、いい人そうだったのにな」

「いや、でも、なんか、おっかない目をしてたぞ」

「ケン坊、何を言われたんだ?」

ゴードンじいさんが、心配そうに駆け寄ってくる。

「……大丈夫です。ちょっと、お話があっただけで」

「無理して、笑うんじゃねえぞ」

「はい」

僕の手を、誰かが、ぎゅっと握った。

ミレイだった。顔は強がっているのに、手は、小さく震えている。

「……ケン。ばあちゃんの、ところへ、戻りましょう」

「うん」

セドリックさんが、遅れて、よろよろと歩いてきた。

「ケン殿。私は、報告など、していません。誓って。……一体、誰が」

「わかっています、セドリックさん。でも、ひとつ、気づいたことがあります」

僕は、小さな声で言った。

「宰相さまは、解毒剤を、飲んでいました」

セドリックさんの顔から、色が消えた。

「それは、つまり……」

「はい。陛下の毒のことを、事前に、知っていたんだと思います」

沈黙のなか、夜風が吹き抜けた。

提灯の火が、ひとつ、ふっと消えた。

空には、二つの青い月が、冷たい光で、村を照らしている。

三日。

あと、たったの三日で、僕たちは、国を相手に、答えを出さなければならない。

――第22話へ続く――

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