第19話 水当番のおじいさん連合と、かくれんぼのしっぽ
翌朝、薬屋の台所には、昨夜よりも大勢の顔がそろっていた。
ハンナさん、ミレイ、セドリックさん、銀牙さん。伯爵さまとダリオさん。そして、寝ぼけ眼のリナを連れた母さんまで。
テーブルの上には、黒いガラスの小瓶と、ヴォルフさんの置き手紙。
「……というわけなんです」
僕が昨夜のことを話し終えると、母さんが、青い顔で口に手を当てた。
「井戸に、毒を……。ケン、あなた、ひとりで見に行ったの? 危ないことを……」
「ごめんなさい、母さん。でも、澄み草が守ってくれたから」
「そういう問題じゃありません!」
母さんは、ぎゅっと僕を抱きしめた。
「あなたに何かあったら、お母さん、どうすればいいの」
「……ごめん」
胸が、きゅっと痛んだ。前世では、誰も、こんなふうに怒ってはくれなかった。
伯爵さまが、咳払いをして、話を戻す。
「ケン。やはり、兵を出すべきではないか? 祭りの水樽は、十個以上ある。ひとりやふたりで、守れる数ではない」
「兵隊さんが来たら、みんなが怖がります。お祭りは、楽しくないと意味がないと思うんです」
「しかし……」
「だから、みんなに、手伝ってもらいませんか」
台所が、しんと静まった。
「村の人たちに、本当のことを話すのかい?」とハンナさん。
「全部は、話しません。『毒』なんて言ったら、お祭りどころじゃなくなるから。でも、何も知らないまま守ってもらうのは、嫌なんです。みんなの村なんですから」
「……ふむ」
セドリックさんが、眼鏡を直して、静かに言った。
「ケン殿は、お優しいですね。ですが、それは、とても難しい綱渡りですよ」
「はい。だから、ミレイ、手伝って」
「なによ、急に!」
「ミレイにしか、頼めないことがあるんだ」
ミレイは、一瞬、きょとんとして、それから、そっぽを向いた。耳が、赤い。
「……し、仕方ないわね。聞いてあげるわ」
* * *
僕の「お願い」は、こうだった。
澄み草は、毒を吸うと、黒くなる。それなら、澄み草のしぼり汁を染み込ませた紙を作れば、誰でも、水の安全を確かめられるのではないか。
「試し紙、ってことね!」
ミレイの目が、ぱっと輝いた。
「それなら、学院で習った『反応紙』の作り方が使えるわ! 澄み草を煮詰めて、薄い紙に染み込ませて、日陰で乾かすの!」
「できる?」
「当たり前でしょ! 私を誰だと思ってるのよ!」
ミレイは、腕まくりをして、鍋を引っぱり出した。
その日の午後には、井戸のまわりの澄み草を、そっと少しだけ分けてもらい、ミレイとリナと三人で、たくさんの試し紙を作った。
「お兄ちゃん、これ、きれいな色!」
リナが、淡い青の紙を、太陽にかざす。
「リナ、それ、舐めちゃだめよ。毒じゃないけど、苦いから」
「なめないもん!」
「さっき舐めそうになってたじゃない」
「……なってないもん」
リナがぷうっと頬をふくらませて、ミレイが、くすっと笑った。
いつのまにか、ミレイとリナは、すっかり仲良しになっていた。
* * *
夕方、僕は、広場で、お祭りの準備をしているゴードンじいさんを、訪ねた。
「おう、ケン坊! 夏風茶、二百杯分は、どうだ?」
「順調です。それで、ゴードンさんに、お願いがあって」
「なんだ、改まって」
僕は、できるだけ、軽い口調で言った。
「お祭りの水樽の『水当番』を、やってもらえませんか。樽の水が、おいしいかどうか、毎朝、確かめる役です」
「水当番? 聞いたことねえな」
「はい、今、作りました」
「作ったのか!」
ゴードンじいさんは、腹を抱えて笑った。
「面白えこと考えるな、ケン坊は! で、何をするんだ?」
「この紙を、水に浸すだけです。青いままなら、おいしい水。もし、色が変わったら、僕に教えてください」
「色が、変わったら……」
ゴードンじいさんは、試し紙を、じっと見つめた。笑顔が、少しだけ、真剣な顔つきに変わる。
「……ケン坊。これは、ただの遊びじゃねえな?」
「…………」
「わかった。聞かねえ」
じいさんは、僕の頭を、ごつい手でがしがしと撫でた。
「おまえさんは、うちの腰を治してくれた恩人だ。おまえさんが『頼む』って言うなら、理由なんざ、いらねえ。仲間を集めてやる」
「ありがとうございます……!」
「『おじいさん連合』の出番だな!」
その言葉どおり、翌朝には、村の年寄りたち十人が、広場に集まっていた。みんな、腰に手拭いをぶら下げて、やる気満々だ。
「水当番、任せとけ!」
「わしは、一番の樽じゃ!」
「じじいの目は、ごまかせんぞ!」
十個の水樽に、十人のおじいさんが、ひとりずつ、ぴたりとついた。
「……あれ、なんか、思ったより本格的」
「あんたの人望よ」
ミレイが、呆れたように、でも、少し嬉しそうに言った。
* * *
もうひとつ、思わぬ味方が、現れた。
「ケン殿ーっ! 自分も、お手伝いしますっ!」
息を切らして駆けてきたのは、ダリオさんだ。後ろには、村の子どもたちが、ぞろぞろとついてきている。
「ダリオさん、どうしたんですか、その子たち」
「はっ! 騎士団の見習い訓練です!」
ダリオさんは、胸を張った。
「子どもたちに『祭りの見張り隊』になってもらおうと思いまして! 大人が見ていない隙間を、子どもの目で、補うのです!」
「おー!」
子どもたちが、木の棒を掲げて、元気に声をそろえた。
「……ダリオさん、それ、危なくないですか?」
「ご安心を! 見張りの仕事は、『怪しい人を見つけたら、大声で叫ぶ』だけです! 絶対に、立ち向かってはいけません!」
「それなら、いいかな……」
「たいちょー! 『あやしいひと』って、どんなひと?」
子どもが、手をあげて質問する。
「うむ! 黒い外套で、フードをかぶっている者だ!」
「それ、銀牙さんじゃない?」
「ぎ、銀牙殿は、味方だ!」
「ぎんがにいちゃんは、みかたー!」
ダリオさんが、あわあわと慌てて、周囲から笑い声が起きた。
その様子を、少し離れた木陰から、銀牙さんが、じっと見つめていた。耳が、ぴくぴくと動いている。
* * *
その夜、森から、嬉しい訪問者が、やってきた。
「きゅう!」
裏庭に、ぽん、と飛び込んできたのは、銀色の小さな影。
「ギン!」
『ケン、ただいま!』
ギンは、僕の胸に飛びついて、ぺろぺろと顔を舐めてきた。その後ろから、ふわふわの子ぎつねが、三匹、ぞろぞろとついてくる。
「くすぐったいよ、ギン! あはは!」
『みんな、つれてきたよ! ぬしさまが、いってきなさいって!』
「森の主さまが?」
『うん。ぬしさま、おじいさんのにおい、おぼえたって。くろい、にがいにおい。だから、ぼくたちの、はなで、さがせるよ!』
僕は、はっとした。
「それ、本当!?」
『ほんとう! ぼくたち、みずのにおいも、わかるよ!』
ギンの尻尾が、得意げに、ぱたぱた揺れる。
「銀牙さん、これ……」
「ああ。森の者の鼻は、人間の何倍も効く。毒の匂いなら、水樽の外からでも、嗅ぎ分けられるだろう」
銀牙さんは、ギンの頭を、不器用な手つきで撫でた。
「……よく、戻ったな、ギン」
『にいちゃん! しっぽ、ふさふさ!』
「やめろ、引っぱるな」
その様子を、窓から、リナが、じーっと見ていた。
「ぎんがおにいちゃん、お耳、さわってもいい?」
「……ならん」
「ちょっとだけ!」
「ならん」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ!」
銀牙さんは、顔をそむけて、固まった。やがて、観念したように、ため息をついた。
「……一度だけだ」
リナの小さな指が、ふわふわの耳に、ちょん、と触れる。
「わあ……あったかい……」
「…………」
銀牙さんの尻尾が、ぱた、ぱた、と、控えめに揺れていた。
* * *
夜更け。
ようやく人の気配が静まったあと、僕は、セドリックさんと二人で、ランプの灯りの下、古いノートを広げていた。
「ここに、手がかりがあるかもしれないと思いまして」
「ありがとうございます。僕も、気になっていたんです。どうして、七つの草が、必要なのか」
ページをめくる指が、ある場所で、止まった。
ノートの端の、小さな書き込み。インクが擦れて、ほとんど読めなくなっている。
「これ……名前、ですね」
「『エレナ・ルナリア』……?」
セドリックさんが、眉をひそめた。
「師の奥様の、旧姓でしょうか。私も、初めて見ました」
『ルナリア家は、月光草を代々守ってきた薬草守の一族』
その一行を、読んだ瞬間、背後で、がたん、と音がした。
振り返ると、ハンナさんが、入口に立っていた。手に持っていた湯のみが、床に落ちて、割れている。
「ばあちゃん……?」
「……ルナリア」
ハンナさんの顔は、蝋のように、白かった。
「ケン。その名前を、もう一度、言っておくれ」
「えっと……『エレナ・ルナリア』、です」
ハンナさんは、ふらりと、椅子に腰を下ろした。
長い、長い沈黙のあと、ハンナさんは、かすれた声で、言った。
「……エレナは、私の、妹だよ」
「えっ!?」
ミレイの声が、二階から、階段を転げ落ちるように、響いてきた。
「お、おばあちゃん……!? 今、何て……!?」
ハンナさんは、割れた湯のみを、ぼんやりと見つめたまま、続けた。
「妹の結婚式にも、行けなかった。喧嘩して、それっきりでね。ヴォルフが、あの子の夫だとは、知っていた。……けれど、あの子が、病で亡くなったと聞いたのは、すべてが終わったあとだった」
ハンナさんの目から、ぽろり、と涙が、こぼれた。
「私は、あの人を、責められない。……責める資格が、ないんだよ」
窓の外では、祭りの提灯が、静かに揺れていた。
祭りまで、あと三日。
僕たちが守ろうとしていたのは、村の水だけではなかった。
誰かが、置き去りにしてしまった、長い長い悲しみだった。
――第20話へ続く――




