第17話 澄み草と、お祭りの飾りつけ
翌朝、薬屋の台所に、みんなが集まっていた。
ハンナさん、ミレイ、セドリックさん、銀牙さん。そして、早朝に駆けつけてくれた伯爵さま。
テーブルの中央には、あの黒い封筒が置かれている。
「……ヴォルフ・グレイ、か」
ハンナさんが、ぽつりとつぶやいた。
「ばあちゃん、知ってるんですか?」
「昔、一度だけね。王都の学会で、顔を合わせたことがある。優秀な男だった。誰よりも薬草を愛していて、誰よりも、患者に優しかった」
ハンナさんは、封筒から目をそらした。
「あんな脅し文句を書く男だとは、思えなかったよ」
「人は、変わってしまうのです」
セドリックさんが、苦しそうに言った。
伯爵さまが、腕を組んで言う。
「井戸に毒を入れると言っているのだ。まず、兵を立てて、村じゅうの井戸を見張らせよう」
「待ってください」
僕は、手をあげた。
「兵が村に増えたら、みんなが不安になります。お祭りの準備も、できなくなります。僕、昨日、セドリックさんに約束したんです。村の人たちを、巻き込まないって」
「だが、それでは、どうやって……」
「井戸を、守る方法を、探してみます」
僕は、薬屋の裏口から、外へ出た。
* * *
村の中央の井戸は、石で囲まれた、古い井戸だった。
朝の光の中、水面が、静かに揺れている。
僕は、そっと手をかざして、心の中で唱えた。
(……雑草鑑定。状態鑑定)
【名称:ミドリ村の井戸水】
【状態:清浄】
(今は、まだ、毒は入っていない)
ほっとして、あたりを見回す。
井戸のまわりの石の隙間には、いつもの雑草が、ぽつぽつと生えていた。
そのとき、ひとつの草が、目にとまった。
細くて、青白い、水草のような草。井戸の縁のすき間に、ひっそりと根を張っている。
(……雑草鑑定)
【名称:澄み草】
【効能:水の中の毒を吸い取り、浄化する。毒を吸うと、葉が黒く染まる】
【備考:群生させると、効果が高まる】
「……これだ」
思わず、声が出た。
「ケン、どうしたの?」
追いかけてきたミレイが、僕の手元をのぞき込む。
「ミレイ、この草、増やせるかな。井戸のまわりに、いっぱい」
「澄み草を? ……ああ、水辺の草ね。株分けすれば、できるわ。でも、何のために?」
「毒を吸って、教えてくれるんだ。もし、誰かが毒を入れたら、葉が黒くなる」
ミレイの目が、ぱっと輝いた。
「見張りの代わりになる、ってこと!?」
「うん。それに、毒そのものも、薄めてくれる」
「すごいじゃない! でも、どうやって、村の人たちに不安を与えずに?」
僕は、にっこり笑った。
「お祭りの飾りつけ、って言えばいいんだよ」
* * *
その日の午後。
村の広場では、子どもたちが、ゴードンじいさんと一緒に、提灯の準備をしていた。
「みんなー! お祭りの飾りに、手伝ってくれる?」
僕が声をかけると、子どもたちが、わっと集まってきた。
「ケン兄ちゃん、何するの?」
「井戸のまわりに、青い草を植えるんだ。お祭りの夜、光って、きれいに見えるんだよ」
「ほんと!? やるやる!」
リナも、小さなスコップを持って、元気に駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、私も!」
「うん。リナ、お願い」
セシリア様も、馬車から降りて、目を輝かせている。
「わたしも、やりたい!」
「セシリア様まで……」
伯爵さまは、遠くで苦笑いしていた。
ミレイが、てきぱきと指示を出す。
「根は、浅く植えること! 水をたっぷりあげるの!」
「はーい!」
子どもたちが、井戸のまわりに、澄み草の株を、一つずつ植えていく。
その様子を、村のおばさんたちが、微笑ましそうに眺めていた。
「あら、素敵ね。井戸が、お花畑みたいになるわ」
「ケン坊は、本当に、気がきくわねえ」
ミレイが、小声で僕にささやく。
「あんた、本当に、人たらしよね」
「え?」
「な、何でもない! 早く水をやりなさい!」
夕方には、井戸のまわりは、青白い小さな草の輪で、ぐるりと囲まれていた。
夕日を受けて、かすかに光るその姿は、確かに、祭りの飾りのように見えた。
* * *
その夜。
見回りから戻った銀牙さんが、僕に報告してくれた。
「村の周囲を、一周した。怪しい気配は、まだない」
「ありがとうございます」
「それと、もうひとつ」
銀牙さんは、ふところから、小さな金色の葉を取り出した。
「森の主からの言伝だ。朝露草の咲く時期は、満月の夜明け前の、ほんの一時だけ。次の満月は、祭りの翌朝だ」
「祭りの、翌朝……」
「つまり、祭りの夜を乗り越えなければ、朝露草にも、たどり着けない」
僕は、金色の葉を、ぎゅっと握りしめた。
(どうしても、乗り越えなきゃ)
* * *
それから、二日が過ぎた。
澄み草は、元気に根づいている。井戸の水も、ずっと、清浄なままだ。
少しだけ、気が緩みかけた、三日目の昼。
薬屋の戸が、からん、と鳴った。
「ごめんください」
入ってきたのは、白い髭をたくわえた、背の高い老人だった。深い緑色の旅の外套を羽織り、杖をついている。
「いらっしゃいませ」
「咳止めの薬を、ひとつ、いただきたい。旅の途中でね」
声は、落ち着いていて、やさしかった。
僕は、棚から咳止めの薬を取り出した。
「こちらです。すぐにお包みしますね」
「ありがとう。……おや」
老人は、台の上の壺に、目をとめた。
「これは、水出しのお茶かな。夏空の花の香りがする」
「は、はい。夏風茶っていいます。僕とミレイで作ったんです」
「ほう。煮出さずに、水で、か。……いい着眼点だ」
老人は、満足そうにうなずいた。
「花の甘みを、そのまま引き出している。若い者が、こういう工夫をするのは、嬉しいものだね」
「ありがとうございます」
「ひと杯、いただけるかな」
ミレイが、むっとした顔で、杯を差し出す。老人は、ゆっくりと、味わうように飲んだ。
「……うまい」
そして、杯を置いて、何気ない調子で、言った。
「ところで、少年。星影草の若芽は、元気かな?」
薬屋の空気が、ぴたりと止まった。
「…………え?」
「この村の、どこかの畑に、植えてあるのだろう?」
老人は、にこやかに笑っていた。
ミレイの手が、棚の薬瓶に伸びる。銀牙さんは、奥の部屋で、身をこわばらせている気配がした。
僕は、ごくりと唾をのんだ。
そして、その老人を、心の中で、鑑定した。
(……雑草鑑定。状態鑑定)
文字が、浮かび上がる。
【名称:ヴォルフ・グレイ】
【状態:衰弱。自身の毒に、侵されている】
【余命:???】
「…………!」
僕は、息をのんだ。
目の前の穏やかな老人は、にこやかなまま、金貨を一枚、台の上に置いた。
「薬と、お茶の代金だ。釣りは、いらない」
「ま、待ってください!」
「祭りの夜に、また会おう、ケン殿」
老人は、そう言い残して、ゆっくりと、薬屋を出て行った。
戸が閉まったあとも、僕は、動けなかった。
台の上の金貨が、夕日を受けて、鈍く光っている。
――第18話へ続く――




