第16話 師の毒と、七日間の約束
セドリックさんの言葉に、裏庭の空気が凍りついた。
「……毒、ですか」
「はい」
セドリックさんは眼鏡を外したまま、深くうなだれた。
「ケン殿、ミレイ嬢、そして銀牙殿。まず、謝らせてください。私は、あなた方に嘘をついていました」
ミレイが、さっと僕の前に出る。
「やっぱり、何か企んでたのね!」
「企んでいたわけではありません。ですが、『原因不明の病』と申し上げたのは、嘘でした」
セドリックさんは、静かに続けた。
「王宮では、陛下は病に伏せっておられる、ということになっています。真実を知っているのは、私と、ごく一部の者だけ。……王宮の中に、あの方の目が、まだ届いているからです」
「あの方、って?」
「ヴォルフ・グレイ。私の師で、王宮薬師院の前の院長です」
* * *
縁側に腰かけたセドリックさんは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
五年前、師のヴォルフは、突然、薬師院から姿を消した。それから半年前、陛下が倒れた。
「症状を見て、すぐにわかりました。これは『黒月の涙』だと」
「黒月の、涙……?」
「師が若い頃に作った、遅効性の毒です。飲んだ者は、少しずつ熱を出し、衰弱していく。解毒の方法は、師の古い研究ノートにしか、残されていません」
セドリックさんは、懐から、ぼろぼろの古い紙を取り出した。
「ノートには、こう書かれていました。『解毒には、三つの草が要る。月光草、星影草、朝露草』と」
ミレイが、息をのんだ。
「月光草と、星影草……」
「ええ。ケン殿の薬屋に、その二つが揃っているという噂を聞いて、私は、ここへ来たのです」
僕は、そっと口を開いた。
「でも、どうして、最初から、そう言ってくれなかったんですか?」
「……怖かったのです」
セドリックさんは、自嘲するように笑った。
「王宮で、人を信じすぎれば、命を落とします。あなたが、本当に信頼できる方なのか、見極める時間が欲しかった。……そして、もうひとつ」
セドリックさんは、銀牙さんを見た。
「銀牙殿が、人間ではないことは、最初から、気づいていました」
「……!」
銀牙さんの耳が、ぴくりと動いた。
「街道沿いの宿で、雇った従者です。影が、人の形をしていなかった。けれど、悪意は感じなかったので、何も聞かなかった」
「……我が、見抜かれていたとは」
「人を観察するのが、薬師の仕事ですから」
銀牙さんは、小さく、ため息をついた。
* * *
「それで、師匠さんは、どうして七つの草を集めているんですか?」
僕が尋ねると、セドリックさんは、少しだけ目を伏せた。
「正確なところは、わかりません。ただ、ひとつだけ、覚えていることがあります」
「何ですか?」
「師には、昔、とても大切な方がいました。奥様です。病で、亡くなられた」
夜風が、月光草の葉を、さらりと揺らした。
「それ以来、師は、変わってしまいました。『病をなくす』と、口癖のように言うようになって。……七つの草を集めれば、あらゆる病をなくせる、という言い伝えは、ご存じですか?」
「……白鹿さまから、聞きました」
「師は、きっと、それを信じているのです。奥様を救えなかった過去を、取り戻そうとして」
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
(この人も、誰かを失った人なんだ)
でも、だからといって、陛下に毒を盛ることが許されるわけじゃない。
「ケン殿」
セドリックさんが、深く頭を下げた。
「どうか、お力を貸してください。これは、王宮の命令ではありません。ひとりの、薬師としての、お願いです」
僕は、すぐには答えられなかった。
ミレイが、小声で言う。
「……ケン、断ってもいいのよ。あんたは、まだ十二歳なんだから」
「うん」
僕は、ゆっくりと息を吸った。
前世の僕は、いつも「断れない」人間だった。上司に言われれば、徹夜もした。誰かに頼まれれば、何でも引き受けた。そして、倒れた。
でも、今、この人が差し出しているのは、命令じゃない。「お願い」だ。
「……命令なら、断ります」
セドリックさんの肩が、小さく震えた。
「でも、『お願い』なら、考えます。陛下を見殺しには、したくないから」
顔を上げたセドリックさんの目が、かすかに、潤んでいた。
「ただし、条件があります」
「何でしょう」
「ひとつ、僕は、王都には行きません。薬は、ここで作ります」
「……承知しました」
「ふたつ、朝露草の場所は、僕が、自分で探します。森の主さまとの約束もありますから」
「承知しました」
「みっつ。村の人たちを、絶対に、巻き込まないでください」
セドリックさんは、まっすぐ、僕の目を見て、うなずいた。
「お約束します」
銀牙さんが、静かに微笑んだ。
「……よい答えだ、人の子よ」
* * *
話し終えて、僕たちは、それぞれの部屋に戻ろうとした。
そのとき。
ぱさり、と、裏庭に何かが落ちる音がした。
月明かりの下、星影草の若芽のそばに、一羽の黒いカラスが、降り立っていた。
「……カラス?」
ミレイが、眉をひそめる。
カラスは、くちばしにくわえていた、黒い封筒を、若芽の根もとに、ぽとりと落とした。
そして、ばさばさと夜空へ飛び去っていった。
「待て!」
銀牙さんが、一瞬で屋根に跳び上がったが、カラスの姿は、もう、闇に溶けていた。
そのとき、僕は、気づいた。
若芽の葉が、ほんの少しずつ、黒く、染まり始めている。
「……! 雑草鑑定!」
【名称:星影草(若芽)】
【状態:呪詛の侵食】
【備考:封筒の主の魔力により、弱っている】
「ケン、それ、触っちゃだめ!」
ミレイが叫ぶ前に、銀牙さんが、黒い封筒を、布ごしに拾い上げた。
中には、一枚の紙が、入っていた。
『星影草の若芽を、祭りの夜までに、差し出せ。
さもなくば、村の井戸を、黒月の涙で満たす。
――黒衣の収集家』
セドリックさんの顔から、さっと血の気が引いた。
「……師が。師が、すでに、ここまで来ている……!」
遠くで、祭りの準備の、太鼓の音が、かすかに響いていた。
期限は、七日。
僕の「のんびり」は、いよいよ、遠いところへ、行ってしまいそうだった。
――第17話へ続く――




