第15話 月夜の訪問者と、毒の名前
夏祭りまで、あと七日。
村は、朝から晩まで慌ただしかった。広場には木の櫓が組まれ、家々の軒先には、色とりどりの提灯が吊るされていく。
「ケン坊! 夏風茶を、二百杯分だとよ!」
「に、二百杯!?」
ゴードンじいさんの声に、僕は思わず壺を落としそうになった。
「村じゅうの子どもたちが、楽しみにしてるんだ。頼んだぞ!」
「ミレイ、どうしよう……」
「どうしようじゃないでしょ! 作るのよ!」
ミレイは腕まくりをして、爽やか草の束を、どさっと僕の前に積み上げた。
* * *
そんな忙しい午後のこと。
薬屋の前に、見覚えのある馬車が止まった。
「おにいちゃん!」
扉が開くなり、金色の髪の女の子が、ぽーんと飛び降りて、僕に抱きついてきた。
「セシリア様!?」
「おにいちゃんの、おまつり、みたいの! おとうさまに、おねがいしたの!」
後ろから、伯爵さまが苦笑いしながら降りてくる。そのさらに後ろには、銀縁眼鏡のセドリックさんの姿もあった。
「すまないな、ケン。どうしても、聞かなくてね」
「いえ、大丈夫です。ようこそ」
セシリア様は、僕の手を引っぱって、きょろきょろと薬屋の中を見回した。
その横で、ミレイが腕を組んで、じーっとセシリア様を見ていた。
「……ふうん。あんたが、例のお嬢さまね」
「あなたは、だあれ?」
「ミレイ。ケンの先生よ」
セシリア様は、こてんと首をかしげて、それから、ぷくっと頬をふくらませた。
「おにいちゃんは、わたしの、おにいちゃんなの!」
「違うわ! ケンは私の弟子で……って、とにかく、私のものよ!」
「ちがうもん!」
「ちがわないわ!」
「ふ、二人とも、落ち着いて……」
僕が間に入ると、二人から同時に、ぎろりと睨まれた。
「ケンは、黙ってて!」
(なんで、こうなるんだ……)
伯爵さまとセドリックさんは、少し離れたところで、笑いをこらえているようだった。
* * *
その場を収めたのは、夏風茶だった。
氷を浮かべた小さな杯を、二人に手渡す。
セシリア様は、ひとくち飲んで、ぱあっと目を輝かせた。
「あまくて、つめたい! おいしい!」
ミレイも、むすっとした顔のまま、つぶやく。
「……まあ、私が水出しを一緒に考えたんだから、当然よ」
「ミレイおねえちゃんも、すごい!」
「お、おねえちゃんって……」
ミレイの顔が、一瞬で真っ赤になった。気がつけば、二人は並んで、おかわりを飲んでいた。
その様子を、セドリックさんが、少し離れたところから、静かに見つめていた。
彼は、夏風茶の杯を手に取り、ゆっくりと口に運んで、ふと、動きを止めた。
「セドリックさん?」
「……いえ。失礼。少し、昔のことを思い出しまして」
眼鏡の奥の目が、遠くを見ていた。
「陛下も、お小さい頃、夏になると、似たような冷たいお茶をお好みになっておられたとか。……もう、ずいぶん前のことですが」
その声は、寂しげだった。
* * *
その夜。
セシリア様は、領主さまと一緒に、近くの宿に泊まることになった。僕は、薬屋の裏庭で、ミレイと二人きりになった。
「ケン、あの種、植えるんでしょ?」
「うん。明日から忙しくなるし、今のうちに」
懐から、布にくるんだ種を取り出す。星の母からもらった、小さな、小さな種だ。
月光草の畑のすぐ隣の土を、そっと掘る。種を置いて、やさしく土をかぶせ、月光草のお茶を、少しだけ注いだ。
「……何も、起きないわね」
「うん」
そのときだった。
ぽう、と、土の中から、淡い金色の光が浮かび上がった。
「わっ!」
光はあっという間に強くなり、小さな緑の芽が、にょきりと顔を出した。みるみる伸びて、紫がかった二枚の葉を、ひらく。
「は、早すぎない!?」
(……雑草鑑定)
【名称:星影草(若芽)】
【状態:発芽。星の母の加護を受けている】
【備考:この若芽は「呼び声」を発する。同族と、森の使いを引き寄せる】
「呼び声……?」
その瞬間、裏庭の柵の向こうで、がさり、と音がした。
「……誰?」
ミレイが、僕の前に立つ。
闇の中から、ゆっくりと、黒い外套の従者が姿を現した。
従者は何も言わず、静かに、フードに手をかけた。
はらり、とフードが落ちる。
月明かりの下に現れたのは、銀色の長い髪。金色の瞳。そして、頭の上にぴんと立った、二つの三角の耳。
「き、つね……?」
ミレイが、息をのむ。
その青年は、僕の前で、ゆっくりと膝をついた。
「驚かせて、すまない。……我が名は、銀牙。ギンの兄だ」
「ギンの、お兄さん……!?」
「弟を救ってくれたこと、礼を言う。そして、星の母の種を守ってくれたことも。我は、森の主の命で、おまえを見守っていた。あの眼鏡の男に、仕えるふりをして」
銀牙さんは、顔を上げた。その瞳は、ひどく真剣だった。
「そして、今夜、おまえに伝えなければならないことがある」
そのとき、柵の向こうから、もうひとつの足音が近づいてきた。
「……そこまで、でございます」
月明かりの下に、銀縁眼鏡の細身の男性が、姿を現した。
セドリックさんだった。
僕は体をこわばらせた。でも、セドリックさんは、いつもの笑顔を浮かべていなかった。眼鏡を外して、疲れ切った目で、僕を見つめている。
「ケン殿。……すべて、お話しします。私が、ここに来た本当の理由を」
セドリックさんは、静かに唇を開いた。
「陛下の病は、病ではありません」
風が、止まった。
「毒です。それも、この国にたった一人しか作れない、とある毒」
彼は、深く息を吸った。
「その毒を作った人物は、私の師であり、王宮薬師院の前の院長。……今は、『黒衣の収集家』と呼ばれている男です」
頭の中で、何かが、がちりと音を立ててはまった。
七つの草を集めている誰か。黒いローブの依頼主。
「そして、その毒の唯一の解毒薬を作るには」
セドリックさんは、まっすぐ、僕の足もとの若芽を指さした。
「星影草が、必要なのです」
月明かりの下で、星影草の若芽が、静かに、金色に輝いていた。
――第16話へ続く――




