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第13話 眼鏡の副院長と、おじいさんの腰

セドリックさんは、翌朝から、本当に村を見て回り始めた。

銀縁の眼鏡に、灰色の礼服。のどかな畑道には、あまりにも似合わない姿だ。黒い外套の従者も、少し離れたところを、影のようについて歩いている。

「ねえ、ケン。あの人、絶対に何か企んでるわよ」

薬屋の井戸端で、ミレイが声をひそめた。

「まだ、何も企んでないかもしれないよ」

「甘いわね! 笑顔の人ほど、信用できないの!」

「それ、ミレイがさっき、僕に言った台詞だよね」

「う、うるさいっ!」

そんなやり取りをしていると、背後から、穏やかな声が聞こえた。

「おや。ここが、噂の薬屋ですか」

振り返ると、セドリックさんが、にこやかに立っていた。

「少し、お仕事を見学させていただいても?」

僕とミレイは、顔を見合わせた。ハンナさんが、奥から顔を出して、肩をすくめる。

「見るだけなら、好きにおし。ただし、邪魔はしないでおくれ」

* * *

その日の午後は、いつもどおりの修行だった。

薬草を洗い、乾燥棚の手入れをして、ハンナさんに調合を習う。ミレイが横から、あれこれ口を出してくる。

「ケン! その刻み方、粗すぎ!」

「ごめん」

「こうよ、こう! リズムが大事なの!」

セドリックさんは、部屋の隅の椅子に座って、静かに僕たちを眺めていた。メモを取るでもなく、質問をするでもなく。ただ、じっと見ている。

(……何を、考えているんだろう)

そのとき、店の戸が、がらりと開いた。

「ハンナさんよう、すまねえ……。腰が、どうにも……」

入ってきたのは、近所に住む、ゴードンじいさんだった。腰が九十度に曲がって、杖にすがりつくようにして歩いている。

「あらまあ。また、ぎっくり腰かい」

「いやあ、畑仕事を、ちょっと張り切っちまってな……いてて」

ハンナさんが、ちらりと僕を見た。

「ケン。やってごらん」

「え、僕ですか?」

「おまえさんも、そろそろ、自分でできるようにならないとね」

僕は、緊張しながら、おじいさんの前に立った。

(……雑草鑑定。状態鑑定)

【名称:ゴードン】

【状態:腰の筋肉の炎症。冷えと疲労が原因】

【おすすめ:温湿布。黄花草と薬湯草を煎じて、布に染み込ませる】

「えっと、温かい湿布が、効くと思います。少し、時間をください」

薬棚から、黄花草と薬湯草を取り出す。ミレイが、横でぼそりと言った。

「煎じ時間は、五分よ。それ以上は、成分が飛ぶから」

「ありがとう、ミレイ」

「べ、別に、お礼を言われることじゃないわ」

五分後。僕は、温かい湿布を、おじいさんの腰にそっと当てた。

「どうですか?」

「……おお……こりゃあ……あったけえ……」

おじいさんの顔が、とろんと緩んだ。しばらくして、曲がっていた腰が、ゆっくりと、伸びていく。

「ああ! 立てる、立てるぞ! ありがとうなあ、ケン坊!」

おじいさんは、懐から、しわくちゃの銅貨を、数枚取り出した。

「ほれ、お代だ。少ねえけどよ」

「いえ、いただけません」

「何言ってんだ、これは当たり前の……」

「ゴードンおじいさん、この前、うちの畑の柵を直してくれたじゃないですか。そのお礼です」

おじいさんは、目をぱちぱちさせたあと、くしゃっと笑った。

「……まったく、おまえさんは。ほれ、せめて、これだけでも持ってけ」

おじいさんは、袋に入った、干し柿を一つかみ、僕の手に押しつけて、嬉しそうに帰っていった。

* * *

おじいさんが帰ったあと、セドリックさんが、静かに口を開いた。

「ケン殿。ひとつ、お聞きしても?」

「は、はい」

「いまの治療に、あなたの『雑草鑑定』の力は、使いましたか?」

「……はい。でも、それだけじゃありません。ミレイが、煎じ方を教えてくれましたし、ハンナさんが、基本を教えてくれたから」

「つまり、あなたは、スキルだけに頼っていない、と」

「頼っちゃいけない、と思っています。僕には、知識も、経験も、足りませんから」

セドリックさんは、少しだけ、目を見開いた。

「そして、あなたは、お代をもらわなかった。なぜです? あなたの薬は、王宮でも、金貨に換わる価値があるでしょう」

僕は、少し考えてから、答えた。

「……お金が欲しくないわけじゃ、ないんです。でも、この村では、お金より、お互いに助け合うことのほうが、大切みたいで」

「助け合い、ですか」

「前の……いえ、昔、仕事で、いつも誰かに追い立てられていた時期があって。そのときは、誰も、誰かを助ける余裕なんて、なかったんです。だから、ここは、すごく、居心地がいいんです」

セドリックさんは、しばらく黙っていた。

やがて、眼鏡の奥の瞳が、ふっと、遠くを見るように揺れた。

「……そうですか」

声が、これまでより、ずっと低かった。

「私は、王宮で育ちました。助け合う余裕のない場所で、ね」

そして、何かを振り払うように、いつもの笑顔に戻った。

「失礼。つまらない話をしました。今日は、よいものを拝見しました」

ミレイが、むくれた顔で、ぼそりと言う。

「……なんだ、意外と、普通の人じゃない」

セドリックさんは、くすりと笑った。

「ミレイ嬢。『意外と』は、ひどいですね」

「ほ、褒めてないから!」

「ええ。わかっております」

* * *

その夜。

僕は、ふと、眠れなくなって、薬屋の裏庭に出た。

二つの月が、畑を青く照らしている。月光草の葉が、ほのかな光を放って、静かに揺れていた。

(……きれいだな)

僕は、縁側に腰かけて、昼間にもらった干し柿を、ひとくちかじった。

そのとき。

畑の向こう側、月明かりの当たらない暗がりに、ひとつの人影が、立っていることに気づいた。

黒い外套。深くかぶったフード。

あの、セドリックさんの従者だ。

従者は、月光草の畑を、じっと見つめていた。まるで、何かを数えているみたいに。

(どうして、こんな時間に……)

声をかけようか、迷った。でも、僕は、まず、あの力を使ってみることにした。

(……雑草鑑定。状態鑑定)

視界に、文字が浮かび上がる。

【名称:???】

【状態:???】

【備考:???】

「……っ!」

また、だ。星影草のときと、同じ。

僕のスキルでも、読めない。

そのとき、従者が、ゆっくりと、こちらを振り向いた。

フードの奥の、金色の瞳が、まっすぐ僕を見つめる。

(見つかった……!)

動けなかった。息をするのも、忘れた。

従者は、しばらく、僕を見つめたまま、何も言わなかった。

やがて、口もとに、ゆっくりと、人差し指を当てた。

『しー』

声は、聞こえなかった。ただ、唇が、そう動いたように見えた。

そして次の瞬間、従者の姿は、夜の闇に、溶けるように消えていた。

僕は、縁側に座ったまま、しばらく、動けなかった。

手の中の干し柿が、やけに、冷たく感じられた。

――第14話へ続く――

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