第52話「カーテンを開けた朝」
朝だった。
真白は目が覚めて、ベッドの中で天井を見ていた。いつもならこのまましばらく動けない。体が重くて、起き上がる理由が見つからなくて、気づいたら昼になっている。そういう朝が何ヶ月も続いていた。
今朝は違った。
カーテンを開けた。
自分でも驚いた。体が勝手に動いたわけじゃない。開けようと思って、手を伸ばして、開けた。外が明るかった。光が差し込んで、床に四角い明るさが落ちた。埃が光の中でゆっくり回っている。
窓を少し開けた。冷たい空気が入ってきて、顔に当たった。隣のアパートのベランダに洗濯物が干してある。通りを歩いている人がいる。世界が動いている。当たり前のことなのに、久しぶりに見た気がした。
コンビニに行った。
朝のコンビニは、深夜と違って人がいた。スーツの人、制服の学生、犬を連れた老人。真白はサンドイッチと牛乳を買った。いつもはおにぎり1つだった。今日は2つ手に取って、片方をサンドイッチに替えた。理由はない。なんとなく。
部屋に戻って、テーブルでサンドイッチを食べた。レタスがしゃきっとしていた。牛乳は冷たかった。
食べ終わってから、パソコンを開いた。
テキストファイル。また増えている。でも今日は先に読まなかった。
なろうの管理画面を開いた。作者としては、ずっと放置していたページ。でも、ただの白紙じゃないことは知っている。ファイルに増えていく文章は、いつからか、このページにも話数として並んでいた。自分が投稿した覚えのない更新が、秋から続いている。最初に気づいた夜は、怖くて画面を閉じた。今は——この物語が自分の手を離れても生きている、という事実のほうが残っている。
ブラウザのタブをもう一つ開いた。作品ページ。自分の作品の、コメント欄。空っぽだった。何ヶ月も前から空っぽだ。
でも誰かが読んでいる。毎日のように来ている誰かがいる。
コメント欄の下に、入力フォームがあった。作者からのメッセージを投稿できる欄。ずっと空白のままだった。
指がキーボードに触れた。
「読んでくださっている方へ」
打って、止まった。その先が出てこない。「更新を再開します」とは書けない。まだ自分では書けていない。ファイルの中で勝手に増えている文章を、自分が書いたとは言えない。
消した。
でも——何か伝えたかった。読みに来てくれている誰かに。
「アリエスは、まだ続いています」
一行だけ打って、投稿ボタンを押した。
押してから、心臓がばくばくした。たった一行。でも、作者として何ヶ月も黙り続けていた場所に、初めて自分の言葉を載せた。
窓からの光がパソコンの画面に反射して、文字が少し読みにくくなっていた。カーテンを開けたせいだ。閉めようか迷って、やめた。
このまま明るいほうがいい。
次話:「アリエスじゃない声」




