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私が書き終えた、大好きな悪役令嬢の話  作者: 夜凪 蒼


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第48話「もう私のアリエスじゃない」

深夜、真白はテキストファイルを開いた。


パソコンの画面だけが光っている。窓の外は雨上がりで、濡れたアスファルトが街灯の光を返していた。マグカップのコーヒーがとっくに冷めている。


またファイルの文章が増えている。わかっていた。でも今夜は開くのに指が震えた。理由はうまく言えない。ただ——このアリエスがどこへ向かっているのか、知るのが怖かった。


読み始めた。


アリエスが夜、眠れずにいる。ベッドの中で記憶に追いつかれている。床の冷たさ。お腹の空き。スマホの光。具体的な場所も名前もない。でも、わかる。


(この記憶は、アリエスのものじゃない)


私が書いたアリエスには、こういう過去がなかった。飢えの記憶も、床の冷たさも設定になかった。この物語の中のアリエスは、私の知らない何かを背負っている。


スクロールした。アリエスが「崩れそう」と思っている。次の行に「ここにいる」とある。ライナスの足音が廊下に聞こえて、それだけで少し楽になる——そう書いてあった。


喉のあたりが詰まった。


次の段落。アリエスが「明日、朝ごはんがある」と思いながら眠りに落ちていく。


声が出た。小さな、息の漏れるような声だった。私が書いたアリエスは、朝ごはんを安心として眠ったことがない。食事の場面を書いたことはあった。でもそれは物語の装置で、アリエスにとっての意味ではなかった。


このアリエスにとって、明日の朝ごはんがあることは——生きていていいという意味だった。


画面の光が暗い部屋に浮いている。


止まれなかった。スクロールする手が止まらない。泣いているわけじゃなかった。でも視界がぼやけて、文字を追うのに何度か瞬きをした。


(誰が書いているんだろう)


また思った。でも今夜はその問いより先に、別の考えがよぎる。


(この子は、もう私のアリエスじゃない)


私が作った器に、別の誰かが入っている。私が設計した悪役令嬢の殻の中で、私の知らない記憶を持った誰かが、生きようとしている。


それが——嫌ではなかった。


明け方になるまで止まれなかった。窓の外が白みはじめて、雨粒の痕が光を帯びた。画面を閉じると、朝の色だけが残る。


(この子を、最後まで読みたい)


目をつぶると、まぶたの裏でまだ文字が流れていた。いつの間にか、そんなに時間が経っていた。


次話:「先に泣いたのはフィオナ」

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