第43話「こぼれたもの」
フィオナと中庭を歩いていた。
午後で、日が少し傾きかけていて、庭木の影が長くなっていた。フィオナが花を一本摘んで、指先でくるくる回している。白い花びらが回るたびにちらちら光った。
「今日のスープ、おいしかったですね」
「……ああ」
「ライナスがまた一皿足してましたよ。今日はパイだった」
「……気づいていた」
「アリエスは気づいてるのに何も言わないんですよね。ライナスも何も言わないし。二人とも黙ってる」
フィオナが少し呆れたように笑った。
「私がいないと会話ゼロですよ、あの食卓」
……そうかもしれない。フィオナがいなかったら、私とライナスはずっと黙ってスープを飲んでいるだけだ。
ベンチのそばまで来て、座った。フィオナも隣に座る。摘んだ花をベンチの上に置いた。
「アリエスは、食堂の朝ごはん好きですか」
「……嫌いじゃない」
「最初の頃と全然違いますよね。最初、スープ一口飲んだとき、すごい顔してたの覚えてます」
覚えている。温かいスープがお腹に染みていった、あの最初の朝。
「なんか……びっくりしてるみたいな顔でした。おいしいからじゃなくて、ごはんがあることにびっくりしてるみたいな」
心臓が跳ねた。
この子、見ていた。あのとき。
「……気のせいだ」
「嘘。だってあの日から、アリエスの食べる量ちょっとずつ増えていったの、私見てましたもん」
黙った。何も返せない。アリエスの口も動かない。
しばらく、二人とも黙っていた。庭の奥で鳥が鳴いている。風が吹いて、フィオナの巻き毛が揺れた。
「前は……こういうの、なかったんです」
口が動いていた。止めようとしたのに、止まらなかった。
「こういうのって」
「誰かと一緒にごはん食べるとか。誰かが、どれくらい食べたか見ててくれるとか」
喉がぎゅっと締まった。フィオナの顔が見れない。顔を背けたままだった。
「前の場所では……そういうのは、なかった」
一度も。
「……アリエス」
フィオナの声が、近くて、柔らかかった。
「泣いてます?」
「泣いてない」
泣いていた。頬を通って、あごから落ちた。ベンチの木の上に、小さな丸い跡ができた。
フィオナは何も聞かなかった。「前の場所」がどこかも聞かなかった。なんで泣いているのかも聞かなかった。ただ、隣にいた。しばらくして、ベンチに置いていた花を拾い上げて、私の膝の上にそっと置いた。
「これ、あげます」
「……いらない」
「あげます」
笑い声が聞こえた。フィオナの声だった。泣きながら花を断っている私がおかしかったのかもしれない。
花を持った。茎がしっかりしていて、指に緑の匂いが移った。白い花びらの先が、ほんの少しだけ薄紅色を帯びていた。
しばらく二人で座っていた。涙が止まってから、鼻をすすった。
「……ありがとう」
「えっ、今、ありがとうって」
「言った」
「わー。すごい。記念日にしていいですか」
「……だめだ」
フィオナが笑った。その笑い声に、少しだけ——ほんの少しだけ——一緒に笑えた気がした。
次話:「また、閉じた」




