第2話「余計なことを、と言いながら」
目が覚めると、体の下がやわらかかった。
(……ベッド?)
見上げると天蓋があって、カーテンの隙間から白い光が差している。分厚いマットレスの上に寝ていた。昨日のこと、夢じゃなかった。
侍女が来て、顔を洗ってくれて、ドレスを着せてくれた。されるがまま立っていると、体が勝手に腕を上げたり首を傾けたりする。着替え慣れているこの動きは私のじゃない。アリエスのだ。鏡に映った顔も、やっぱり私じゃなかった。
侍女が髪を整えてくれているとき、留め具が滑って床に落ちた。侍女が「申し訳ございません」と慌ててしゃがんだ。声が震えていた。怒られると思ったんだろう。
留め具を拾った侍女の手が目に入った。指が赤くなっている。朝早くから湯を沸かしたり、布を絞ったりしているんだと思う。
手が動いていた。私の手が。侍女の指先に、そっと触れた。
侍女が固まった。
「……苦労をかける」
口はアリエスの声だった。でもやったのは私だ。あの部屋で自分の手が荒れていたのを覚えている。冬は霜焼けで指が割れて、水に触るたびに痛かった。誰にも気づかれなかった。
侍女が目を丸くしていた。怒られると思ったのに、手を触られて、労われた。何が起きたかわかっていない顔だった。
食堂に向かう体が道を知っていて、考えなくても足が進んだ。フィオナが先に来ていて手を振っている。
「おはようございます、アリエス様!」
「……おはよう」
声が勝手に出てくる。短く、でも邪険じゃない言い方はアリエスそのものだ。
席に着くと、テーブルに食事が並んでいた。パンにスープ、果物に卵料理。湯気が立っている。
……なんだろう。胸のあたりがぎゅっとなる。
ごはんがある。私の前に、ごはんが並んでる。
スプーンを持とうとして手が止まった。テーブルの向こうに、銀色の髪を短く切りそろえた男の人が座っていて、こちらを見ずに自分の朝食を音もなく食べている。
知ってる。ライナス。何回も読んだ、いつもアリエスの近くにいてほとんどしゃべらない人。
「ライナスさん、今日も早いですね」とフィオナが話しかけた。ライナスは一度だけ視線を上げて、また戻した。
フィオナが苦笑する。「相変わらず」
スープを飲んだ。お腹の奥まで、じんわり染みていく。
食事が半分くらい終わったころ、ライナスが席を立った。厨房のほうへ行って戻ってくると、何も言わずに私の前に皿を一枚置いた。
焼いた白身魚。
「……なに」
思わず声が出た。ライナスは席に戻りながら、前を向いたまま言う。
「食が細い」
それだけ。
フィオナが「わあ」と声を上げた。「ライナスさんから料理を出されるの、初めて見ました」
魚を見る。この人、見てたんだ。私がどれくらい食べてるか。
……なんで。
「……余計なことを」
口が勝手にそう言った。アリエスの声で、アリエスの言い方で。
ライナスは何も返さない。
でも魚は、そこにある。温かい。私はそれを、全部食べた。
次話:「目が笑っていない」




