第27話「呼ばれてもいいの」
審議が再開された。
大広間に入った。前回と同じ場所に、同じ人たちが座っていた。ヴァネッサが最前列にいる。王太子が奥に座っている。アルヴァンがその隣にいた。
エルナが、立った。
「私はエルナ・フォン・ライネルトと申します。隣国ライネルト公の長女です。身分を隠し、将来の同盟交渉に向けた視察のため、使用人としてこの国に参りました。王家の承認のもとに」
広間が揺れた。ざわめきが壁を反射して、戻ってくる。
王太子の顔が、強張った。エルナが「王家の承認のもと」と言った瞬間に。
議長が口を開いた。「王家は——この件について、何か」
沈黙。
王太子は動かなかった。認めも否定もしない。横を向いた。アルヴァンを見た——いや、見ていない。視線が泳いでいるだけだった。
ヴァネッサが立ち上がった。
「仮にその方がどのような身分であったとしても、アリエスによる暴行の事実は変わりません。残りの5名の証言がございます」
声が滑らかだった。練習した言葉だと思った。でも表情が前回と違う。目の奥に焦りがある。エルナの身分を暴いて外交問題にするはずだった。それがエルナ自身の口から出てしまった。
「では」とエルナが言った。「証人の方々に、改めてお聞きしたいことがあります」
議長が頷いた。
最初の証人が呼ばれた。中年の侍女だった。名前を名乗り、「アリエス様が使用人に暴言を吐いたのを聞きました」と証言した。声が小さかった。
エルナが聞いた。「それは私に対してですか」
「……いいえ。別の場面です」
「どのような場面でしたか」
侍女の目が泳いだ。ヴァネッサの方を見た。
「……アリエス様が、廊下で使用人を叱責されているのを」
「叱責の理由は」
「……存じません」
2人目。3人目。証言の中身が、薄かった。「暴言を聞いた」「冷たい態度を見た」「威圧的だった」。全部、断片だった。具体的な暴行を見た人間は、いない。
4人目の証人が呼ばれたとき、席を立てなかった。名前を呼ばれても、動かない。隣の人に腕を掴まれて、ようやく立ち上がった。
「……すみません。私は、その場にはおりませんでした」
広間がまた揺れた。
「証言は、ヴァネッサ様から——」
ヴァネッサが「それ以上は結構です」と遮った。声が硬かった。
5人目は来なかった。名前が呼ばれたが、広間に姿がなかった。
6人目——エルナ本人。すでに証言を覆している。
議長が場を見回した。王太子を見た。王太子は——何も言わなかった。
アルヴァンが口を開いた。
「証人6名のうち、当事者は撤回。4名の証言に直接の目撃はなく、1名は欠席。これで断罪を成立させるのは無理がある」
短く、静かだった。でも広間に響いた。
ヴァネッサの手が、膝の上で握られていた。
議長が咳払いをした。
「本件は——証拠不十分により、告発を棄却いたします」
ざわめきが広がった。でもまだ終わらなかった。
議長が王太子のほうを見た。王太子は——ようやく口を開いた。
「エルナ・フォン・ライネルト殿の受け入れについて、王家が秘密裏に承認していたことは事実です。管理が不十分であったことを認め、ライネルト公には正式に説明の場を設けます」
硬い声だった。言わされている声。でも言った。認めた。
次に議長がヴァネッサに向いた。
「ヴァネッサ・フォン・ハイデン殿。証人の証言に虚偽が含まれていたこと、また証言を組織的に集めた疑いがあることについて、別途審問を行います」
ヴァネッサの顔から、初めて笑顔が完全に消えた。
「——異議がございます」
「異議は審問の場でお聞きします」
議長が遮った。ヴァネッサの口が閉じた。周囲を見回した。味方を探す目だった。でも誰も目を合わせなかった。
アルヴァンが静かに言った。
「公爵家の影響力を削ぐために告発を利用した。侯爵家の政治的意図があったのかどうか、明らかにすべきだ」
淡々とした声だった。政治に興味がないと言っていたのに、この人は——見ていた。全部。
ヴァネッサが立ち上がった。何か言いかけて、やめた。付き人に囲まれて、広間を出ていった。背中がまっすぐだった。崩れていないけど、あの笑顔はもうなかった。
ライナスが半歩後ろにいた。
廊下に出た。光が眩しかった。
フィオナが走ってきた。
「アリエス様!」
「……終わり、ました」
「本当ですか!」
フィオナの目が、濡れていた。笑っているのに、目が赤い。
「アリエス様」
フィオナが、名前を呼んだ。
その声が、胸の奥で震えた。
(呼ばれる)
アリエスと。この人たちに。
呼ばれてもいいの、と思った。ここにいて、この名前で呼ばれて、それでいいの。
わからない。でも今は、フィオナが泣きながら笑っていて、ライナスが半歩後ろで立っていて、廊下の向こうの光が白かった。
次話:「気になる」




