第21話「まだ笑っていられる」
朝が来た。断罪の朝だった。
目を開けたとき、まだ暗い。天蓋の布が、呼吸に合わせてかすかに揺れている気がした。マットレスが柔らかくて、体が沈んでいる。
(今日だ)
5日前から、ずっとわかっていた。わかっていて、何もできなかった。
布団の中で手を握った。アリエスの手。白くて、爪がきれいで、私の手じゃない。この手がもう勝手に動く。握り方にも癖がある。親指を内側に巻き込む。アリエスの癖だ。
扉を叩く音がして、侍女が入ってきた。深い青のドレスを持っていた。正式な場のために仕立てられたもので、肩に乗せただけでわかった。重い。布の裏地が、首筋に冷たく触れる。
鏡の前に立った。
アリエスがいた。髪を整えられて、ドレスを着せられて、いつもより白い顔をした公爵令嬢。
(笑え)
真白さんが書いたこの朝。アリエスは笑っていた。冷たく、凛として、大広間の扉を開ける。それがアリエスだった。私は読んだ。この場面を、何度も読んだ。
口の端を上げようとして、唇が震えた。
(だめ、笑って)
体が答えた。口元がすっと持ち上がる。鏡の中のアリエスが、冷笑を浮かべた。ひかりが作った笑みじゃない。アリエスの筋肉が覚えている顔だった。
廊下に出ると、ライナスがいた。
いつもより早い。まだ外が白みかけてもいない時間なのに、もう立っていた。鎧は着けていなくて、騎士服だけだった。半歩後ろの、いつもの場所に。
何も言わなかった。ただ、いた。
「……行くぞ」
私が言った。ライナスが頷いた。
廊下は長かった。足音が二つ、響く。真白さんが書いたこのシーン、アリエスは一人で歩いた。ライナスがいたかどうかは書かれていなかった。
でも今は、後ろにいる。
大広間の扉が見えてきた。侍従が頭を下げて、扉に手をかける。
息を吸った。肺の中に、冷たい空気が入る。
(アリエスでいる。ちゃんと、アリエスでいる)
扉が開いた。
両側に貴族たちが並んでいた。視線が一斉に向く。空気が変わった。ざわめきが止んで、足音だけが残る。
ヴァネッサがいた。最前列に近い場所に、静かに立っていた。表情が違う。いつもの冷たい微笑じゃない。もう笑ってもいない。確信している顔だった。勝ちを確信している。
奥に王太子が座っていた。こちらを見ている。でも目が合っても何もない。表情が動かない。守るつもりがないことが、その顔でわかった。
(怖い)
怖い。足が重い。でも止まれない。
怖いということは、失いたくないものがあるということで。ここにいたいということで。
だから笑っていた。アリエスの口元で、アリエスの目の冷たさで。
前を向いて、歩いた。
次話:「読んだことのない場面」




