12(リュシー視点)
リュシー視点。短めです。
痛い。
痛い。
痛い。
あの男に掴まれた腕が痛い。
「くそっ! あいつ、思い切り力を入れやがって!」
リュシーは腕を擦りながら悪態をついた。
こんなにもイライラするのは、あの男とタリアのせいだ。
違う──タリアのせいだ。
リュシーと別れたばかりなのに、他の男に尻尾を振るような尻軽女。
そして一緒にいたのは、リュシーと比ぶべくもないボサボサ頭の冴えない男。
少しばかり身体つきががっしりしていたが、それだけだろう。あんなのが自分の代わりだなんて認めない。
タリアが他の男に笑いかける姿など見たくなかった。あの微笑みも、あの声も、あの身体も唇も──全てリュシーのモノだ。どこの誰ともわからない他の男になんか渡さない。
彼女の世界に存在するのはリュシーだけで十分だ。リュシーの世界がそうなのだから。
今までもこれから先もずっと。
なのに。
タリアは裏切った。
リュシーが先に浮気したのだと主張していたが、自分の浮気こそを正当化しようとしているに違いない。
大体、リュシーの方はその気もないのに浮気とはおかしなことだ。あの化粧女はただの道具でしかない。兄、両親、使用人、その他リュシーを嘲笑いこんな狭い世界に閉じ込めた彼らを見返すための、道具。
結婚なんかしなくたって一緒にいられるだろう。
リュシーが裕福な貴族になれば、タリアを養ってやることだって可能なのだから。愛人になれば、生活も安定するからもう役場などで働かなくてもよくなるのだ。
なのに──何故。
腕だけではなく全身が痛いと悲鳴を上げるが、リュシーは殴られたりはしていないはずだ。
一体どこが痛いのだろうか。
一体何が痛いのだろうか。
もう、どこが、何が、痛いのかわからなかった。
腕なのか、胸なのか、頭なのか──。
二人の兄に時折殴られることはあったが、もう昔のことだ。木刀の柄で殴られた背中のみみず腫れも、底の固い靴で蹴られた脇腹の痣も、もうとっくに消えている。
最近の兄たちは、末の弟にかまけている時間がないほどに多忙を極めているらしい。顔を合わせれば嫌味を言ってくるが、それだけだった。リュシーも大人になったし、やり返されるのを恐れているのかもしれない。
家の中でリュシーは常に一人だった。
両親は商会の仕事で朝夕なく忙しく、兄たちもその手伝いに駆り出されている。
末っ子のリュシーの面倒は主に使用人が、勉強などは家庭教師が見ていた。使用人といっても通いで食事の用意をしたりするだけの人間だ。家庭教師は貴族が雇うような高尚な教師ではなく、読み書きや計算ができるだけの商会の関係者だ。
彼らは、常に面倒そうに眉をしかめながら、リュシーに話しかけるのだ。
使用人や教師が女だった時だけはリュシーに甘かったが、それだって彼の見目がいいからだろう。むしろ変な色目を使ってきて気味が悪かった。
だから、ずっとリュシーは一人だった。
そんな一人きりのリュシーの世界に現れたのがタリアだった。
タリアはいつも両親に連れられて来ていた。つまらなそうにしていたので、家庭教師から教わったことを教えると、感心しながら喜んでくれた。
自分を必要だと笑顔で、全身で、表現してくれたのは、その少女だけだった。彼女はリュシーを一人ぼっちの世界から連れ出してくれた。
それからは、何をするのも彼女と一緒だった。
何年か後にタリアの両親が亡くなった時も一緒だった。夜通し泣き続けるタリアの傍で彼女を慰めたのはリュシーだ。
悲しむ彼女の傍らで、彼女を独占できる暗い喜びを感じていた。
自分を頼り、縋り、必要としてくれる──そんな人間はタリアが初めてだったから。
何があっても手放すわけにはいかない。
自分の、あれは自分だけの光だ。
「旦那、個人的な取引きはこれっきりにしてくださいよ?」
「わかってる。いいから早く出せ」
背の低いあばた顔の男が、さっきから何回も渋い顔をしながら念を押してくる。リュシーは組んだ腕の上で中指をトントンしながら、苛立たしげに答えた。
「男爵様にバレたらアタシもヤバいんですからね」
「わかったわかった」
「……旦那のことも一応信用しますが、コイツを変なことに使って騒ぎなんか起こさないでくださいよ? 最近、騎士団が色々嗅ぎ回っていて、こっちの身も危ないんですよ。痛い腹探られちゃかないませんからね」
「騎士団か……」
「危ない橋を渡るんですから、ちょっと高くつきますよ?」
「……ああ」
「巻き込まれるのはゴメンなんで、何に使うかは聞きやしませんがね。くれぐれも頼みますよ?」
「──ああ、わかってるから早く寄越せ」
「はいはい……」
男は懐から紙袋を取り出すと、金と交換でリュシーに手渡した。
リュシーはそれを受け取ると、くるりと踵を返して男に背を向けた。
「こいつを使って──」
遠ざかりながら何やらブツブツと呟いていたが、男の耳にはもう届かなかった。
大丈夫だ、今ならばまだ。
きっと、取り戻せる。
リュシーにはタリアが必要なのだから。
ひょっとして頼り、縋り、必要としていたのは自分の方なのかもしれない。
だが今更。
そんなことは認められない。
だからリュシーがやるべきなのは、あるべき形へと戻すことだけだ。
ただのアホクズ男だったはずなのに、何故かちょっと病み気味に……なぜだ。




