序曲
1789年4月6日 月曜日 午前10時
ハプスブルク帝国オーストリアの首都ウィーンで、前代未聞の裁判が開廷した。
「私、ローゼンブルク伯爵令嬢カテリーナは、すべての容疑を否認いたします」
凛として活舌良い声が法廷の隅々まで響き渡る。
この厳粛な空気に満ちた場で、喪服を纏い被告席に立つ黒髪の少女……もうじき18歳になるカテリーナは、実父殺害及び不貞並びに悪魔儀式執行の容疑で告発され、この場にいる。
告発者は実の母。
そして、母が盲信する修道女マリアだ。
“神の声を聞く聖女”
“新世界へ導く救世主”
信者たちはマリアをそう呼ぶ。彼女を支援する貴族もいるほどだ。
「嘘はおやめ、カテリーナ! ジモンの……弟の将来に傷がついてもいいの? ああ、やはり……おまえは私が産んだ子ではないわ! 誰かが私の子と取り換えたのよ!!」
カテリーナの母マクダレーナがヒステリックにわめく。
周囲を味方につけるため “可哀想な母親” を演出するのは、いつものことだ。
マクダレーナは社交界の鼻つまみ者だ。
彼女の身勝手な言動で実害を蒙った貴族も多い。
カテリーナを実子と認めていないことでも知られていた。
裁判所の前では「親殺しの淫売!」「魔女を火あぶりにしろ!」と、マリアの信者たちがカテリーナを非難している。
その声に引き寄せられ、ウィーン市民が集まりはじめた。
カテリーナとマリアの視線がぶつかり、視えぬ火花を散らす。
罪人をいたぶる獄吏のようにカテリーナを見るマリア。
視線で射殺せそうなほどの恨みを瞳に宿すカテリーナ。
すべて冤罪だ。
(私は魔女ではないし、不貞もしていないわ。お父様を殺したのはマリアとお母様よ!)
この場にいる者のほとんどがカテリーナの人柄を知らない。彼女を稀代の毒婦だと信じる者もいるだろう。
言動と表情から読みとれるものすべてを見逃すまいと、高座に居並ぶ法律家と聖職者はカテリーナを睥睨した。
これから神と法の名のもとに詮議を重ね、有罪か無罪か、容赦なくジャッジされるのだ。
その無言の圧に怯んで震えだした指先を、カテリーナは握りしめていたハンカチで隠す。
(私の人生を書き直すため……本来の道筋に戻すために、この二度目の人生でマリアに復讐するわ)
死に戻って11年。
バッドエンドのフラグを必死で叩き折った日々。
最終段階の最後の最期で、無駄にしてなるものかと、カテリーナは己の心を奮い立たせた。
婚約者フェリクスはカテリーナの無実を証明するためリンツの修道院へ向かったが、マリアの刺客に襲われて生死不明だ。
(どうか無事でいて。この書き直し人生では、絶対にあなたを死なせない!)
カテリーナは大きく深呼吸し、舞台で歌う自分を思い浮かべた。
作曲家モーツァルトに請われ、オペラの舞台で歌った日を……。
足の裏をしっかり床につけて立つ。
ゆっくり息を吐き切れば、自然と体に必要な分の空気が入る。
(大丈夫。必ず勝ってみせるわ)
深呼吸を繰り返すうち、指の震えが止まった。
周囲を見渡すと、親代わりの二人……後見人のマクシィ大叔父と、義母でもあるエリーザ叔母が不安気にこちらを見ている。
親友のアグネスは涙で声を詰まらせながら祈りの言葉を呟いていた。
これから始まる裁判にカテリーナが耐えられるだろうかと、皆が心配している。
カテリーナも、己の答弁や提示する証拠が有利に働くか、致命的に不利な状況を呼び込むかわからず、不安でたまらない。
だが、謎の高揚感があった。
何故かワクワクする。
不安や怖れの気持ちに飲み込まれぬよう、心がバランスをとっているのかもしれない。
(……ある意味、魔女と呼ばれてもしかたないわね。魔女アンゲラの身代わりで火あぶりになった私が、生き返ってこの場にいるのだもの)
その “魔女アンゲラ” が修道女マリアだ。
彼女は原告席にいる。
32歳と自称しているが、どう若く見積もっても四十すぎの中年女。
それは声にも現れていた。
「カテリーナお嬢様。罪を認め、神に許しを乞うのです」
中高年特有の低い響きが混じる声音。
役者や歌手のように鍛えられた豊かな声だが、それは多くの人々を口先で騙すうちに得たものだ。
マリアはわざとらしく空涙を拭い、カテリーナに微笑みかけた。
誰にも騙されたことがない善人が見れば、慈愛に満ちた笑顔だと勘違いするだろう。
「わ・た・し・は、お嬢様の魂を救いたいのです」
ため息まじりでそう言った後、マリアは春風のように爽やかな作り笑顔で再びカテリーナに微笑みかけた。
その顔をそのまま裁判長にも向ける。
“わ・た・し”
アクセントをつけるのは自己顕示欲と承認欲求ゆえ。
言葉を発する前後に笑顔を作るのは、他人を騙すための常套手段。
嘘の涙も、嘘の吐息もお手のもの。
計算しつくされたその笑顔には、年季が入っている。
元気づけるように爽やかに笑いかけるか、聖母マリア像のように口元に慈悲深い微笑をたたえてみせるのだ。
心が弱っている者は、その笑顔に騙される。
(お得意の、まがい物の笑顔ね。すべてを無条件で許し、受け入れ、癒してくれると錯覚させる……詐欺師の微笑み!)
マリアの笑顔の下には悪魔が潜んでいる。死に戻る前のカテリーナは何度も騙された。
加害者のくせに被害者ぶるマリアが忌々しい。
一度目の人生と同様に、マリアは “聖女” ともてはやされているが、本性は真逆だ。
人身売買、火薬とアヘンの密売、詐欺、殺人、売国行為、他にも数えきれないほどの罪を重ねてきた。
倫理も道徳も、罪悪感すら持たない女。
平気で他人を騙し、その財産と命を奪う。
人間の皮をかぶった悪魔かもしれない。
この二度目の人生でも、カテリーナは身をもって知った。
(もし私が本当に魔女なら、ひと睨みでマリアを殺せたでしょうに)
自分と大切な人たちが受けた酷い仕打ちの数々が、カテリーナの脳裏にまざまざと浮かぶ。
(マリア。私はおまえに復讐するわ。最も残酷な……あの方法で償わせるの)
それは、マリアに最大の苦しみを与える方法。
(そのためにも……まずは、この裁判で必ず勝ってみせる!)
魔女の力は無くとも、カテリーナにはこの書き直し人生で得た別の力がある。
それは、彼女を大切に思う者たちが与えてくれた嘘偽りなき真心と愛情、そして知識だ。
そのおかげで困難に立ち向かう勇気が生まれた。
そして、もう一つ。
この世の者ではない味方の助力も。
その力を借り、7歳に戻ってから11年……。
カテリーナは目をつぶった。
心の中の宝箱から美しいメロディーを取り出す。
それは婚約者フェリクスが彼女のために作った曲だ。思い浮かべるたび、彼に優しく名前を呼ばれる気がする。
(祈るだけでは、何も変わらない。この現実世界で、せいいっぱい闘うの。必ず勝って、私の人生を幸せな未来に書き直すわ!)
自分という存在に、そして自分の前世と来世の魂すべてに誓った。
今、ここで “カテリーナ” という、一つの小さな魂にしか出来ないことがある。
『きっと大丈夫だよ。いける! やれる! 勝てる! 気楽にいってみよ~ぉ♪』
ずっと共にいてくれた存在がカテリーナを景気づけた。
調子良い励ましの声にホッとし、カテリーナの口元が微かにほころぶ。
それはカテリーナにしか聞こえない声。
この世の者ではないが、彼女とともに在る者の声だ。
『ええ。私は絶対に勝つわ。あなたと、この場にいる人たちに、私が人生を書き直す物語を見せてあげる』
カテリーナの人生で最大最凶の大戦が始まった。




