祖母アリーチェ
「あらまあ。こんな朝早くにどうしたの?」
カテリーナは、そっと祖母に抱きついた。
昔と変わらぬ優しい声。カテリーナの頭を優しく撫でる指の温かいこと。
「怖い夢を見たの?」
今までの人生がただの夢なら、どんなに良いか。
「おばあさまが怪我をしなくて良かったわ……。本当に良かった」
祖母を守れた嬉しさと同時に、今まで押し込めていた感情があふれ出る。
「ずっと辛かったの。嫌なことや怖いことが、たくさんあったの!」
体は7歳だが心は21歳のカテリーナは、我を忘れて泣きじゃくった。
「よほど怖い夢を見たのね、リネッタ。もう大丈夫よ」
“リネッタ”
それは “リーナちゃん” という、親しみのこもった愛称だ。祖母だけがそう呼ぶ。
カテリーナは懐かしい呼び名を聞き、気持ちが安らいだ。
「おばあさまに会いたいって、ずっと思っていたの」
「おやまぁ。ずいぶんと長い夢を見たことね」
ずっとここで暮らしていたら、何も失わずに済んだかもしれない。
カテリーナがウィーンで暮らした8年は辛い日々の連続だった。
こんなふうに誰かに慰めてもらいたかった。
心に寄り添ってもらいたかったのに、家族、友人、声楽教師、そして婚約者までカテリーナを苦しめる存在でしかなかった。
(だからマリアの偽りの優しさに騙され、すべてを失ったのよ!)
ライセがカテリーナの耳元で注意事項を告げる。
『会話が混線しないよう、他人がいる時は心で会話する回路に切り替えますね』
その声は白い空間での会話同様、耳ではなく全身で聞いている感覚だ。
気配を感じ取ったのか、祖母の愛犬ベスがライセのほうを向いて吠え始める。
『あらあら、かわいいワンちゃんですねぇ。乳離れして間もないくらいかなぁ。赤茶の毛色がとってもキュート! ……そう言えば、赤犬って美味しいらしいねぇ? 犬はまだ食べたことないわぁ』
身の危険を感じたのか、ベスは吠えるのをやめて隣室へ逃げた。
『戻って来てぇ。一緒に遊ぼうよぉ。食べないからぁ』
そんなライセを横目で見つつ、カテリーナは祖母の無事を喜んだ。
カテリーナは祖母の昼寝時間まで一緒に過ごした後、館内を歩きまわった。
(間違いなく、私は今ここにいる。夢じゃないわ!)
祖母が怪我をしない世界線に書き直せた。
自分の力で初めて変えた過去。
過去というより、未来を変えたというべきか?
「ライセさん。本当にありがとうございます」
「
私ではなく、あなたが変えたのですよ。凄い! 偉い! 素晴らしい!」
右肩に乗っていたライセがカテリーナの肩を軽く叩く。
感触はないが嬉しい。
(最後に他人に褒められたのは、いつだったかしら?)
ウィーンに帰って以降、家族にすら褒められた記憶がない。
カテリーナを苦しめた者たちは、己の不満の解消や身勝手な欲望を叶えるために彼女を利用した。
愚図で何の取り柄もない女だと何かにつけて怒ってバカにし、カテリーナを感情のゴミ捨て場にした者たち……。
気が弱くて言い返せないカテリーナは彼らの言葉を真に受け、自分を責めた。
(もう二度とあんな日々を過ごしたくないわ。あの人たちみたいに、他人を苦しめて喜ぶような卑しい人間に成り下がるのも嫌よ)
せめて言い返すことができたら、どれほど心が晴れるだろう。
ライセの提案にのって人生をやり直せば、できるかも?
幸せな人生に変えられるかもしれない……?
「決めたわ。人生を書き直します」
「わ~い! 助かりますぅ。嬉しいですぅ♪」
ライセがタコのように体をクネクネさせ、踊りだす。
嬉しい時や美味しい物を食べた時に踊りたくなるそうだ。
未来人は皆そうなのかと問うと「民族性とか土地柄もあるけど、人によりますねぇ」と言い、そのヘンテコな踊りをやめた。
「さて。もうじきお試し時間が終わりますが」
「夕食後がいいわ」
「了解です。私もご相伴にあずからせてください」
「魂だけのあなたが、どうやって食べるの?」
「あなたに同調すれば、感覚を共有できるので」
「どんな感覚でも?」
「その気になればね」
その言葉に何故か心がざわついたが、カテリーナは言語化できない。
もうじき陽が沈む。楽しい時間はあっという間だ。
ひとまず自分の部屋に戻った。
部屋の一画がぼんやりと明るい。
乳母が暖炉に火を入れていた。
「あ……ああっ!」
薪がパチパチと爆ぜる音が、カテリーナに火あぶりの恐怖と苦痛を呼び戻す。
「炎が! 違う、違うわ。私は魔女じゃない!!」
そう叫び、カテリーナは気を失った。
次回の投稿は、本日17時です。




