第5話 「役割」
単純な話、人がいてこその社会なのだ。
日本では、四十代以上の人口は60%を占めている。
数もそうだが、何より“役割”が問題だった。
熟練層に達した人たちが、ある日唐突に病に伏せる。
中堅から新人たちに引き継ぐことなく死んでいく。
若年層までの人は、確かに魔素感染を克服できるかもしれない。
だが、その大半は未成熟な学生だ。
いきなり任せられて、彼らだけで社会が回るはずもない。
電力、水道、医療、交通、輸送……あらゆることが成り立たなくなっている。
まだ全体での死亡率は20%に満たないが、それでも深刻すぎた。
これが、まだまだ増えるのだから、救いなどない。
今回の学級閉鎖も、校長とクラスの担任が罹患してのものだった。
校長はもちろん、担任の先生も若くはない。
きっと、熱が出始めて、段々と弱って死ぬのだろう。
病院にかかることも出来ずに……。
田舎の澄んだ空気だからって、やはり罹るのだ。
遅いか早いかの違いだけ。あるいは、運が良いか悪いかの違いだけだ。
もう、この世界に逃げ場はなくなろうとしていた。
計画的な停電は増える一方。
夜にすら電気が使えず、冬に狩った鹿の獣脂ロウソクを灯した。
煤も多いし、何より獣臭い。
必要最低限にし、暗くなったら寝る生活になっていった。
ここいらは水道が止まることはなかったが、今後はどうなるか分からない。
大きなポリタンクや、風呂場に水を張って溜めるようになった。
使われなくなっていた近所の井戸が、また使えるかを確認したりもした。
食料は足りている。
しかし、都会の方ではとてもじゃないが賄えない。
自給自足が推進され、この家にも国から米や野菜を提供してくれないか相談があった。
この家が特別という訳ではなく、全国どこでもそうした相談が上がっているらしい。
それを、祖父はバッサリと断った。
小さな田畑である。家族四人分を優先した。
使われていない田畑を耕し、新たな野菜を育てる。
より一層、保存食作りに力を入れた年だった。
テレビでは、娯楽は一切流れなくなった。
コマーシャルも流れない。
最低限ニュースをやるくらいのものだ。
デパートやスーパーでの強盗は当たり前。
食品工場とかまでを、大人数で襲っているという。
金属バットを握ったヤンキーたちの集団が、笑顔で段ボールを運んでいく。
カメラに撮られていてもお構いなしだ。
この規模だと、警察も法律も機能していない。
むしろ、今こそが俺たちの時代とばかりに生き生きとして見えた。
まだ遠く離れているが、鳥肌が立つ。
倉庫の食品がひとしきり奪われたら、次はきっと田畑を持つ地方だ。
この辺りにも、いずれ略奪しにくるかもしれない。
もはや、倫理観や善悪などは無くなりつつあった。
回りもやっているし、やらなければ死ぬのだから。
俺たちは家族会議を開き、自衛の手段について話し合った。
祖父と父は、いつも猟銃を持ち歩くようになった。
俺も、一応は腰から鉈をぶら下げている。
人に向けて振る勇気はない。でも、威嚇になるだけで十分だった。
猟師免許など勿論無いが、猟銃の使い方や弾薬の管理方法などを、母とともに教わった。
◇◆◇
――夏になった。
第八次異界門通過は来年である。
それでも――旧皇居には、信じられない人が押しかけていた。
どうにか異界への逃げ道を開けという要望のものだった。
沢山の人々が、救いを求めていた。
叶うはずのない願いだ。
行き場のない不安や不満は、異界人へと向けられた。
立場は同じだが、そこで働く地球人も同罪だった。
火炎瓶が投げられ、石でも何でもとにかく投げつけられた。
バリケードを必死に突破しようとする群衆。
衝突、怒号、発砲音。
映像でだが、初めて精霊術師の魔法というのを見た。
契約者は黒い軍服を着た異界人。
派手な赤髪と蒼髪の男だった。
二体の大きな精霊が、突如として現れる。
竜のような大きな翼と鱗を持った生き物。
そして、堀の中には人魚を思わせるような、下半身だけ魚のようになった生き物だ。
半実体めいた存在は、キラキラと光のような物を纏っている。
竜は翼で大きな風を巻き起こし、空に向けて炎を噴いて見せた。
人魚は堀に張られた水へと潜り、間欠泉のように激しい水流を噴射した。
おそらく、ただの威嚇だろう。
竜なんて、本気だったら簡単に人を殺せそうな大きさだ。
人魚も群衆に直接水を当てずに、あえて空にずらして濡らしたに留まっている。
それでも大パニックに陥った群衆は、我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げようとした。
しかし、集まり過ぎたせいで逃げ場がない。
異界人から攻撃されたという見出しのニュースは大きく報じられた。
警察の発表では、互いを押しつぶしたり、転倒などにより百人近い死傷者が出たらしい。
施設を攻撃したり、乗り込もうとしたのは群衆の方だ。
だが、正当防衛かどうかなんて、もはや何の意味もなかった。
◇◆◇
深海魔素植物様構造体――《アビサル・フローラ》の駆除活動は、停止を余儀なくされた。
地道な活動により、残り二割ほどに減っていたにもかかわらずだ。
インフラが維持できなくなり、東京は一番の無法地帯。
その技術を担う者からも死者が出ているのだ、むしろ粘った方かもしれない。
ともあれ、アレを刈り切れなかったのは致命的だ。
現状では、駆除活動再開の目途は立っていない。
その間に、また増えることが懸念されていた。
最悪のニュースは、もう一つ続いた。
魔素が満ちた海から、変異体が現れ始めたのだ。
つまり、“魔物”である。
異界では当たり前のように存在していた。
地球の魔素環境も、どうやらそのレベルまで達してしまったようだ。
今はまだ異形な魚といった姿だが、いずれは怪獣めいた存在へと進化する恐れがある。
希望の光など、もはやどこにも見当たらなかった。
◇◆◇
――秩父での三度目の冬。
肉体的にも、精神的にも成長しつつあった俺は、ついに祖父から狩りの同行を許可された。
山は、雪を薄くまとっていた。
まだ夜が明けきらない。吐く息は白く、踏み締めた霜が乾いた音を立てる。
祖父の背は、いつもより大きく見えた。
猟銃を担いだその姿は、山に溶け込んでいる。
「足音は殺せ。雪は味方にも敵にもなる」
祖父は振り返らずに言った。
獣道は、人の道とは違う。
尾根を避け、水場へ向かい、藪を抜ける。
木の皮の擦れ、掘り返された土、蹄の跡。
祖父はそれを一つ一つ指で示した。
「これは鹿。昨夜だな。まだ新しい」
俺にはただの穴にしか見えない。
だが祖父には、時間と体温が見えているようだった。
罠は谷筋に仕掛けてあった。ワイヤーの輪が、落ち葉に紛れている。
「獣は同じ道を通る。楽な道を覚えるんだ」
やがて、藪の向こうでガチャ、ガチャガチャ、と金属が暴れる音が響いた。
祖父が片手を上げる。止まれの合図。
俺の心臓まで止まった気がした。
――鹿だ。
後ろ脚がワイヤーに絡まり、必死に身体を振り回している。
罠に締め上げられ、雪を蹴散らし、泡を飛ばしながらもがいていた。
目が血走っていた。
瞳をひん剝かせ、ただ生き延びることだけを叫んでいる。
鼻から白い蒸気が噴き出し、荒い息を吐く。
その様子が、怖くて怖くて仕方がなかった。
「……目を逸らすな」
祖父は静かに言った。
「いいか――これが、命だ」
祖父はゆっくりと銃を構えた。
躊躇はない。無言で引き金が引かれる。
乾いた発砲音が、どこまでも谷に響いた。
鹿の身体が跳ね、そして崩れ落ちた。
さっきまで暴れていた金属音が、嘘のように止む。
俺は、胃の奥がひっくり返る感覚に襲われた。
助けを求めているのか、敵を睨んでいるのか分からなかった。
ただ、生きたいという衝動だけが剥き出しだった。
今はもう動かない。
膝が、ガクガクと制御不能に震えた。
「……郁斗、すまなかったな。無理に見させて」
祖父は倒れた鹿にゆっくり近づき、首元に手を当て、死亡を確認。
目を閉じさせる。
「だが、お前には知っていて欲しかった」
祖父は俺を見ない。
俺の視線は、雪に広がる赤に落ちたままだ。
「鹿は悪い事をしていない。ただ生きたかっただけだ。
俺たちも、ただ生きたかっただけ……」
「……そうだな。そこに善悪はねぇ」
もの寂しい、低い声だった。
「でも、奪ったからには精一杯生きなきゃな……。
生きて、“役割”をまっとうするんだ。それが、責任ってもんだ」
まるで、大きな力の塊に殴られたようだった。
祖父の持つ死生観に叩かれ、何か“心”が大きく揺らごうとしているのを感じた。
怖さよりも、何か別の……理解できない感情が込み上げた。
「じゃあ、役割って……お爺ちゃんの役割って何!?」
俺はカラカラに渇いた喉で、声を振り絞った。
「俺の役割はな、こうして郁斗に“繋ぐ”ことだな」
祖父は少しだけ笑った。
山風が枝を揺らしている。
「……じゃあ、その僕の役割は?」
「あははは。それは、爺ちゃんには分かんねぇな」
祖父の手は止まらない。鹿の脚を縛りながら続けた。
「それは自分で見つけんだ。そのために、人生は長げぇ……」
長い、という言葉が山に吸い込まれる。
文明は崩れかけている。
大人は死に続けている。長い保証などどこにもない。
それでも祖父は、長いと笑った。
俺は倒れた鹿を見た。
その体はもう動かない。
だが、その肉は俺たちを生かす。
奪うこと、生きること、役割と責任。
ここには、すべてが詰まっている。
帰り道、背負った鹿の重みが、やけに現実的だった。
山は何も言わない。
ただ、次の足跡を待っているようだった。
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