第12話 「喪失」
「どうしよう――お父さん!!」
俺は、とにかく焦っていた。
予想外の事態に、混乱して頭の中はぐちゃぐちゃになっている。
まともな判断ができそうもない。
でも、お父さんなら――きっと正しい判断を下してくれる。
「…………」
しかし父は、黙って立ち尽くしていた。
肩を震わせ、拳を強く握り締めている。
「……お、お父さん」
振り返った父は、見たことのない表情をしていた。
――怒り。
眉間に深い皴が刻まれ、歯を食いしばっている。
今にも噴き出しそうな怒りを、必死に押さえ込んでいるようだった。
「郁斗はここで隠れていなさい。母さんを助けてくる」
それだけ言うと、父は玄関横の部屋にあるガンロッカーへと向かった。
中の金属箱を開け、弾を補充していく。
「待って……俺も行く!」
俺だって銃を扱える。
なにより、母を助けたかった。
「――ダメだ!」
強い口調。父は即座に断った。
「食料を片っ端から盗られた。
ってことは、相当な人数で来たはずだよ?
一人で行っても無理だよ……俺も力になるから!」
「だが、危険すぎる!!」
父は俺の身を案じているのだ。
その気持ちは痛いほど伝わる。
だが今は、母を助ける可能性を少しでも上げたい。
「お母さんが助からなくてもいいの?」
「いい訳ないだろ!!」
「――だったら、俺も行かなくちゃ!
猟銃は連続で二発しか撃てないんだよ?
それに、あの時の奴らなら、拳銃を持っていたんでしょ?」
父は苦渋の決断を下した。
俺の意見は至極真っ当。
父も感情だけでは、どうしようもないことを理解していた。
「分かった――だが、どうしようもなくなるまでは隠れていろ。
絶対に無茶をするなよ」
俺は静かに頷き、戦いの準備に取り掛かった。
◇◆◇
猟銃と鉈を装備し、車に乗り込む。
夕暮れの薄暗い時間帯。
父は勢いよく車を走らせた。
見晴らしのいい田舎道とはいえ、恐ろしいほどの速度だった。
俺はドアを掴み、その揺れに耐える。
――その時だった。
車道に落ちている塊が、ライトで照らされた。
「――危ない!!」
父が急ブレーキを踏んだ。
「うわああっっ!!」
車体が激しく揺れる。
タイヤが猛烈に擦れる音。
「な、なに!?」
何かが落ちていた。
その正体は、すぐに分かった。
「そんな……シッポ!!!!」
シートベルトを外し、車から飛び降りる。
シッポは途切れ途切れに、浅い息を繰り返し倒れていた。
普通の呼吸ではない。
口元には血の泡が吹き出ている。
「蹴りでも入れられたのか!? 内臓をやられているかもしれん!」
父が抱きかかえ、そっと後部座席に寝かせた。
シッポは涎を垂らし、毛を砂利で汚していた。
今にも呼吸が止まりそうだった。
「お母さんを追ってたの!?
こんなにボロボロになるまで……」
家から数キロ。
散歩もやっとだったシッポが、どれほどの思いでここまで来たのか。
母を助けようとしたに違いない。
シッポは命懸けで頑張ったのだ。
その愛情に、涙が溢れて止まらなかった。
俺たちを見て安心したのか、ぐったりと動かない。
その寝顔が、胸が張り裂けそうなほど辛かった。
父の顔には、歯茎がむき出しになるほどの憎悪が浮かんでいた。
「――行くぞ郁斗!! 絶対に殺してやる!」
その瞳は、背筋が凍るほどの殺意に満ちていた。
◇◆◇
相手の居場所は分からない。
片っ端から探すしかなかった。
まずは病院。
病院には沢山のベッドがある。
十人ほどの集団でも、楽に眠れる場所というのは貴重だった。
懐中電灯を片手に、病棟を駆け回る。
各部屋を覗いては、誰も居ないことを確認し、すぐに隣の部屋へと移っていく。
「わああああああああ!!!」
三階の個室を開けた瞬間、中から叫び声が上がった。
ライトで照らすと、ここを根城にしている男だった。
猟銃を向けられ、涙ながらに命乞いを始める。
しかし母がいなければ、食料も見当たらない。
ハズレだ。探してる犯人じゃない。
「撃たないから安心しろ。この病院に他の奴はいるか?」
「い、今はいません……」
「そうか。脅かして悪かった」
俺たちはすぐに病院を後にした。
次に向かうのはデパート。
ここも可能性が高い。
寝具や生活用品が残ってるかもしれないし、何かと便利な物があるからだ。
しかし、生活の跡が残ってはいたが、それらしい人影は見つからなかった。
時間だけが過ぎていく。
「クソ!! ここもハズレか!」
父は苛立ち、地団駄を踏んだ。
再び車に戻り、すぐに乗り込む。
その時だった。
「――っっ! お父さん……シッポがぁ……」
デパートの探索から戻った時。
シッポは、もう呼吸をしていなかった。
誰よりも頑張ったのに、その最期に傍にいてやれなかった。
後悔が胸を締め付ける。
「そうか……頑張ったなぁ」
父は、優しくその身体を撫でた。
「郁斗……悲しむのは後だ。
次だ! 次へ向かうぞ!」
父はエンジンをかけ、すぐに前を向いた。
俺たちには、悲しむ時間すらなかった。
「次は学校!?
ここからなら、中学校の方が近いよ!」
学校は何故かチンピラや若者に人気があった。
保健室のベッドぐらいしかないのだが、懐かしさがそうするのか、安心するのだろう。
そこに賭けて車を走らせる。
ここがダメなら小学校。あとはスーパーや大き目の会社とかを探すことになる。
万が一、住宅街などを根城にされていたら、すぐには見つからない。
また奴らが活動するまで見つけようがなかった。
天国の祖父や、神に祈る。
その願いが通じたのか――
俺たちは奴らを見つけた。
◇◆◇
グラウンドで焚火を囲み、馬鹿みたいに騒いでいる連中がいた。
遠目にも宴のようだった。
父が車を止めようとしたが、それを俺が制止する。
「ダメだよ! 通り過ぎたフリをして!」
人数的に不利なのだ。真向から行くわけにいかない。
父も冷静になったのか。
そのまま車を進め、奴らに見えない位置で車を停めた。
身をかがめながら、ばれない様に校舎へ近づく。
やはり数が多い。
七、八人はいる。
もう二十一時近いというのに、大声で笑っていた。
植え込みの丸く刈り込まれたツツジに隠れ、這うように近づく。
――あれは!
俺たちの大切な鶏が、全部締められていた。
焼かれて、七面鳥のような姿になっているのもいる。
大切にすれば毎日卵を産むのに、奴らは刹那的に全部肉に変えてしまった。
でも今は、それすらどうでも良い。
見ると集団には、女性も一人紛れているようだった。
外だというのに、その人は無理矢理に男の陰部を咥えさせられていた。
衝撃的な光景に、思わず目を見開く。
それと同時に、母ではなかったという安堵もあった。
じりじりと距離を詰めていく。
いきなり散弾銃を撃つということも出来るが、女性も巻き込むことになる。
父もそれが分かっているのか、すぐに手は出さなかった。
鶏だけでなく、瓶詰とかも食い荒らされていた。
奴らの顔がはっきりと見える距離まで近づいて……。
そして、気づいた。
――気付いてしまった。
奴らの背後に、何かが転がっている。
裸に剥かれた人間。
たぶん、母だった。
その瞬間。
全身の鳥肌が総毛立つ。
声にならない声が漏れそうになり、思わず自分で口を塞いでいた。
暗闇の中、火に照らされる白い肌。
隣の父の顔を見る。
表情が消えていた。
眼鏡に焚火の光が、淡く映る。
「郁斗……絶対に出てくるんじゃないぞ……」
驚くほど低い声だった。
俺の返事も待たず、父は立ち上がり歩き出した。
もう止められない。
父は無造作に近づいた。
手には猟銃を構えている。
「――動くなぁ!!!!」
怒号が夜の校庭に響く。
思わず俺まで身体が強張った。
「な、何だよオッサン!!」
「誰だテメェ!!」
チンピラどもはいきり立とうとしたが、猟銃を見て急に大人しくなった。
「おい……止めろよ! 食いもんなら分けてやるからよ……」
父は散弾銃を構えたまま止まった。
奴らから、三十メートル弱ほどの距離だった。
「そこの君。コイツらの仲間か?」
父は女性に問うと、その人は涙目で首を横に振る。
「そこに倒れている人を連れて、こっちへ来なさい」
女性はよろよろと立ち上がり、裸の母を引きずって動かした。
後ろ手に縛られている。
声も聞こえない。ピクリとも動かない。
やはり、死んでいるのだと分かった。
こんな凍えるような寒空の下、何も身に纏わずに放り捨てられている。
一体、どんな死にざまだったのだろう。
どれほど辛かっただろう。
氷水のような悲しみに沈められた気分だった。
それが、沸々と怒りに変わっていく。
「その女もやるからよぉ! 銃を下ろせって…な?」
チンピラが、そう言った直後だった。
射線から母と女性が外れた瞬間、父は引き金を引いた。
――発砲音。
散弾がばらけて走り、二人の男が体を折るようにして倒れた。
その隣の男も、肩を押さえて崩れる。
「ぎゃああああ!!!」
校庭に響き渡る悲鳴。
後ずさる奴に向けて、即座に二発目を放った。
また倒れる男たち。地面で苦しそうに身をよじっている。
父は黙って銃を折り、弾を詰め直す。
金属が噛み合う音がやけに大きく響いている。
さらに二発。
そこまでして、ようやく動く者はいなくなった。
◇◆◇
飛び出して、父のもとに駆け付けたかったが堪える。
まだ校内やそこらに敵が残っている可能性があったからだ。
四十メートル以上離れたら当てるのは難しいし、威力も大きく落ちてしまう。
父の位置からでは、やりようがなかった。
一瞬たりとも気を抜かず、周囲を警戒する。
すると、バタバタと走る音が聞こえ始めた。
「やべぇ! 逃げろ――!!」
三人の男が校舎から飛び出し、走って逃げようとしている。
運悪く、俺のいる方向に向かって来ようとしていた。
刹那――思考が回る。
身の安全じゃない。
こんな奴らを生かしておけないという使命感にも似た何かが込み上げた。
ドス黒い怒りのようなものだった。
植え込みから飛び出し、散弾銃を構える。
相手はギョッとして、立ち止まる。
そして、迷わず引き金を引いた。
――ドンッ!
重い破裂音。
逃げようとした三人組が倒れ込む。
地面に崩れ落ちたが、まだ息がある。
俺は即座に銃口を向け、再び引き金を引いた。
蜂の巣のような穴から、血が溢れている。
「やっちゃった……」
人間の命は、想像よりずっと簡単に奪えた。
「郁斗! 大丈夫か!? よくやったな!!」
父は俺を抱き寄せ、その行為を褒めた。
本当は、こんなことを褒めてほしくなんてなかった。
……でも、何も言えなかった。
「まだ生きてるかもしれん! 気をつけろよ!」
父は一人ずつ、死んでいるかを確認し始めた。
誰一人生かしておくつもりはないようだった。
小型のナイフで、念入りに心臓を突いて回る。
かつて医者として大勢の命を救った男だと、誰が信じるだろうか。
もう、昔には戻れないのだと思い知らされる。
父も、俺も……。
俺はそんなことよりも、まだ裸で転がっている母をどうにかしたかった。
傍に立って、初めて分かった。
顔には何度も殴られた打撲痕。
首には、紐が巻かれていた。
胸や腹には、煙草を押し付けた火傷の跡がいくつもあった。
涙で視界が滲んでいく。
震える手で、俺の上着を被せて身体を隠す。
後ろ手に縛られた縄をナイフで切ると、手首には血が滲むほど喰い込んでいた。
どれほど苦しめられたのか、その傷が物語っていた。
法律がなければ、秩序がなければ――人間はここまで残虐になれるのか?
到底理解できないことだった。
「あの……まだ中に、妹がいるはずなんです……」
ずっと黙って待っていた女性が、そう言いだした。
「そうだったのか……早く迎えに行ってあげよう」
全員の確認を終えた父は、そう言った。
浅原 由衣と名乗った姉は、やはり先月に捕まった女性たちであった。
妹の佳菜とともに、この男たちに奴隷のように扱われていたらしい。
姉の案内の元、そういった部屋として使われている保健室へと向かう。
その部屋は、なんだか異様な臭いが満ちていた。
「佳菜! 大丈夫!?」
姉が駆け寄る。
「……来ないで」
まるで小鳥が鳴いたような、小さな声だった。
来ないで?
聞き違いかと思った。それとも、俺と父に怯えたのだろうか。
「安心して下さい。あいつらは全員殺しましたから」
父は銃を肩にかけ、両手を上げて安全をアピールする。
――その時だった。
机の影から男が飛び出した。
(――ヤバい!)
直感的に、身を屈めようとする。
パン!
パン!
パン!
直後、連続する発砲音。
父が重たい音を立てて崩れ落ちた。
「――くそっ!」
咄嗟に散弾銃を構えて放った。
窓ガラスが割れて砕ける。
相手が死んだのか分からない。
俺は魔力を活性化させる。
まるで猿のように飛び跳ねて、テーブルの向こう側の男へと二発目を放った。
すでに一発目で死んでいたのかは分からない。
とにかく二発目を撃ったあとに、そいつは動かなかった。
「――お父さん!!!」
倒れている父に駆け寄り、抱き上げる。
咳払いとともに、口から大量の血を吐き出した。
手にも暖かな血が流れる。
もう助からないのだと、本能的に分かる出血だった。
「……生き、ろ……」
たった一言。
それだけ言い残して、父は動かなくなった。
薄っすら開いた瞳からは、すでに生の光が失われている。
あまりに一瞬の出来事だった。
シッポ。
母。
父。
たった一日で、すべてを失うなんて……。
受け入れられるはずもなかった。
全身の力が抜けて、指先の感覚すら曖昧になっていく。
俺は、たった一人になってしまった。
その事実が、夜の学校で重たくのしかかっていた。
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