第10話 「閑話」
これは、罰なのだと思った。
天下の国際異界協調機構管理区――
通称、IICA管理区。
異界門が開く世界唯一の異世界港へ就職出来たのが、俺の人生のピークだった。
自衛隊にせよ、研究者にせよ、もちろん俺のような異界関連管理者にせよ――
ここで働けるのは、エリート中のエリートだ。
両親は泣いて喜んだし、地元に帰れば俺は天童ともてはやされる。
しかし、魔素が世界中に拡散しているという噂により、俺の人生に暗雲が垂れ込めた。
どこからか情報が漏れたのか、異界へ渡りたがる者たちが急激に増え始めたのもその頃だ。どうやら魔素拡散は噂ではなく事実らしい。
研究職の奴らが、とんでもなく慌ただしくなったことがそれを証明していた。
段々と人手が足りなくなり、俺は異界への通過選抜者を選ぶ副面接官として働くこととなった。最初こそ戸惑ったが、慣れてしまえば楽しい仕事だった。
俺たちの一存で、人の命を篩にかける。
一流企業の社長や、医者などの同じエリートを、容赦なく落とす。
すると彼らは、必死に泣きついてくる。
正直、その様を見て気分が良かったのは確かだ。
あの頃の俺は、自分が“選ぶ側”だと思い上がっていた。
転機となったのは、深海のアビサル・フローラ発見。
ここIICA管理区にも、連日のように暴動が起き、人が押し寄せた。
世界中で魔素感染症が蔓延し、死者が増え始めた。
すると、まるで俺たちが人類の敵かのように、敵意を向けられた。
しばらくは日本も持ちこたえていたが、徐々にインフラは停止。
内政は崩壊し、社会秩序は急速に崩れ始めていた。
世界がどう変わろうとも、ここに来る者たちは絶えなかった。
異界反対勢力や、救いを求める人々だ。
過激な奴らも多かったが、一般市民相手ならどうとでもなる。
こっちは要塞のような施設に守られ、銃で武装した兵士たちが警備している。
しかし――
兵士たちが次々と魔素感染症で倒れ始めた。
最優先とされていたこの施設も、ついには物資の供給が滞るようになった。
極めつけは、第八次異界門通過を目前に控えた年に起きた、アメリカ軍の軍事侵攻。
内政が崩壊した今、日米同盟など紙切れ同然だった。
奴らは軍艦を使い太平洋を越えてきた。
防壁を破壊するために、戦車まで持ち込む本気の侵攻だ。
同時に、空からはパラシュート部隊が旧皇居内へ降下するという徹底ぶり。
奴らは、自分たちが異界に渡るために、この場所を占拠しようとした。
――戦争が始まった。
破壊が目的ではなかったため、爆撃こそ行われなかったが、手榴弾くらいは平然と投げ込んできた。大勢の死者が出た。
そして、死者以上に逃亡者が多かった。
国家運営が停止した今、給料など出ない。
それでも俺を含め、多くの人間がここに残ったのは、ここが安全で食料があったからだ。
この施設には、災害時のための備蓄が数十万食分保管されていた。
ここはまさに砦だった。
災害や戦争を想定して造られた建築であり、敷地も広大。
最初こそ国の指示に従い、保存食や備蓄を放出していた。
しかし先行きが怪しくなるや否や、レグナードたち異界人は、それらを大量にくすねた。
「ここで働けば、食料や水には困らない」
食料を給料とし、俺たちに働くよう指示した。
生きるために、命を懸ける。
矛盾した行為だった。
楽だった面接官の仕事などもうない。
俺たちは、レグナートたちの言われるがまま銃を握り、この場所を守った。
極限の環境。
極限の精神状態。
それでも、人を撃ち殺したという事実は、心に大きな傷を残した。
街は瓦礫の山となったが、アメリカ軍の第一次侵攻はどうにか防がれた。
レグナートらもまた、初めて地球の兵器の恐ろしさを目の当たりにした。
やがて二度目の軍事侵攻が行われようとしていたが、そこでレグナートたちは、海上へ打って出る道を選んだ。
精霊術師の力というのは、凄まじい。
そもそも、魔力で構築された精霊には、銃がほとんど効かない。
火や水に鉛球を撃ち込んでも、死なないのと同じだ。
奴らを倒すには、同じ魔力による攻撃か、“霊核”を破壊するしかない。
ラーテルの契約する水獣精霊は第五階梯の上位精霊。
水中から軍艦のスクリューを破壊し、船底に穴を開けた。
レグナートの精霊は火竜精霊。しかも、第七階梯の大精霊だ。
空から仲間とともに奇襲をかけ、火炎放射で敵軍を焼き払ったらしい。
本人たちに聞いた話だが、仲間ながら恐ろしいと思った。
アメリカとの攻防で、異界人は六人まで減っていたが、それでも心強い存在だった。
もしも上陸されていたら、今の戦力ではこの場所を守り切れなかっただろう。
第三次軍事侵攻が来ないことを祈りながら、眠れない日々が続いた。
塀の外は、すでに地獄と化していた。
その頃から、発砲音がよく聞こえるようになった。
俺たちではない。
東京は崩壊しても、やはり至る所で食料が残っていた。
街に住み続ける者たちは多い。
そんな無法者たちが、死んだアメリカ兵たちの銃を手に入れてしまった。
大半が、善悪の区別もつかない若者だった。
撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ。
俺には、そんな覚悟はなかった。
それでも――撃ってしまった。
……人を、殺めてしまった。
死体だらけになった東京は、やがて異様な臭気を放ち始めた。
コンクリートの地面では、穴を掘って埋めることも出来ない。
ビル群は、まるで巨大な墓標のようだった。
集まってきたのは、死肉を食らう鼠やカラス、犬や猫。
病原菌の蔓延を恐れたが、もっと怖い存在が現れた。
――魔物である。
海の生物が次々と魔物化しているのは知っていたが、陸上生物では初めてだった。
世代交代が早く、一度に大量の子を産む鼠が、最初の変異種だった。
初めて見たのは、塀の上での監視任務中。
最初は犬の群れかと思った。
だが違った。
コーギーほどの大きさの化物鼠が、旧皇居前の道路を駆け回っていた。
“死肉鼠”。
そう呼ばれるようになったそいつらは、数の暴力で東京の人間を震え上がらせた。
噂では、巨大な前歯で眠っている人間の足に齧りつくらしい。
幸いなのは、そこまで強い魔物ではなかったこと。
角材で頭を叩けば死ぬし、銃でもちろん倒せる。
だが、いつか俺もあの死肉鼠たちに骨まで貪られるのではないか――
嫌な妄想は際限なく膨らみ、小さな物音にも過敏になった。
幸い、この堀に囲まれた旧皇居内部には鼠は入れなかった。
たまに異形と化した海鳥が、こちらを睨んでいるくらいだ。
それと同じ頃、精霊の目撃情報も増え始めた。
最初は、火の玉が出たと監視兵が騒ぎ出した。
腐敗した死体から出るリン化水素。
人魂の正体はそれだ。
火葬が出来なくなった今の世界なら、どこで出ても不思議じゃなかった。
しかし――違った。
小さな光の粒が、ふわふわと漂っている。
異界人は、それを生まれたての精霊だと言っていた。
魔素濃度が上がり、地球でも精霊が生まれるようになったのだと。
まだ、いつ消えるかも分からない不安定な存在。
魔素を吸収しながら、ゆっくりと成長していく。
やがて既存の生物を模倣し、形を作り変え始めるという。
いつかは自我を持ち、互いの霊核を喰らい合い、より高位の存在へと進化していく。
異界人の言う第十階梯の神霊レベルに至るには、数千年という年月が必要となるらしい。俺には関係のない、気の遠くなる話だった。
◇◆◇
――ここなら安全。
そう自分に言い聞かせながら、精神をすり減らす毎日。
第三次軍事侵攻は来なかった。
きっとアメリカも、そうするだけの力を失ったのだろう。
戦いは止んでも、魔素感染による死者は止まらない。
異界人六名。
兵士十一名。
ここに残ったのは、それで全員だった。
そうして迎えた、第八次異界門通過。
この東京のどこに潜んでいたのか。
旧皇居前を埋め尽くした人だかり。
そこでもまた、俺は銃で人を殺した。
力ずくでやって来る相手には、そうするしかないからだ。
だから、こうなったのは罰なのだろう。
異界人が、俺たちに黙って撤収を始めた。
奴らは魔素感染に耐えれる、未来ある人材が欲しいのだ。
一方、俺たちは四十を過ぎた人間が大半だった。
魔素の感染徴候が現れている奴らもいる。
俺たちを見殺しにするつもりなのは、すぐに分かった。
結果は――知っての通り。
何人かは向こうに渡れたが、途中で異界門は閉じた。
あの場に残っていれば、レグナートたちに殺される。
異界へと渡れなかった俺たちは、仲間とともに食料をありったけ抱えて逃げ出した。
東京には、もう住めない。
魔物は確実に増えている。
もはや、深海のアビサル・フローラの駆逐も望めない。
群馬か、栃木方面へと逃げるしかない。
あの辺りなら田畑も多い。
自給自足している人間もいるはずだ。
銃で脅してでも、奪ってでも生き延びる。
血に濡れた手。さらなる罪を重ねながら――
俺はこの地獄を、生き続ける。
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