19年目(1198)
一月×日
第一皇子が皇位を継承。
現帝は上皇となられた。
どうやら通親殿の策謀によるらしい。
皇子の母は通親殿の養女であり、これで通親殿は晴れて次代天皇の外祖父となる。
皇子はまだ3つになったばかりだというのに。
有事でも無いのに譲位とは……。
というか親王宣下もないのに譲位とは!
通親殿は光仁天皇の前例を引き合いに出し正当化するが、だとするなら、この場合の弓削法皇は誰なのか。
通親殿は、皇室を乗っ取ろうとした道鏡とやってることは同じでは無いか!
権力のためならなんでもする男め!
…...まぁ九条派の俺が何を言ったところで、負け犬の遠吠えにすぎぬが。
二月×日
元妻の墓参り。
「夜もすがら月にうれへてねをぞ泣く 命にむかふ物思ふとて」
源氏を書写する。
三月×日
息子が生まれる。
為家と名付ける。
四月×日
新上皇は、なかなかやり手らしい。
ただのおかざりになるかと思いきや、院政で本領を発揮し始めた。
主に丹後局と通親勢力を排除する方向で、朝政を行っているらしい。
この世の春を闊歩していた通親殿は、今頃冷や汗をかいているであろう。
しかも上皇は、我が御子左流・九条流の歌風がたいそうお気に入りだそうだ。
そのおかげで九条派は少しずつ地位を回復しつつある。
兼実殿失脚後、憂き目を見ていた我々にとってはまさに神様仏様上皇様である。
去年まで「新儀非拠達磨歌」と俺のことをバカにしていた連中も、いまでは目を合わすとそそくさと逃げて行く始末。
この調子でいけば、俺の再就職も遠くはあるまい。
まったく上皇はとても素晴らしいお方だ。
いつか謁見の機会があれば良いのだが。
五月×日
光家が「将来は、お父様のような立派な歌人になります!」と目を輝かせている。
息子ももう15歳。
俺を尊敬してくれるのは素直に嬉しいが……光家には才能が、ない。
そのせいでか知らぬが、俺は息子に愛情を注げずにいる。
父はあんなにも俺に気をかけてくれたというのに。
いや、もし俺に才能がなかったら、父は俺を見放していただろうか。
姫様が以前「もし私に才能がなかったら、彼女と同じことをしていたかも」と話していたことを思い出す。
もし俺に才能がなかったら?
まぁそのときは、たぶん、もう片方の日記の方に力を入れて、日記の家として御子左家を再興しようとしていただろう。
いや、それは今だからそう言えるだけだ。
きっと、才能がなかったら、潰れてしまっていただろう。
いまでこそ、自分に自信を持てているが、10代の頃は辛くて辛くて仕方がなかった。
姫様に会わなければ、俺は、潰れてしまっていただろう。
六月×日
「それで、最高傑作はできましたね?」
久しぶりに会った姫様は挨拶も早々に切り上げ、そう尋ねてきた。
疑問形ではなく、確認調である。
「まだです。なかなか難産でして」
「嘘でしょう」
「いえ、本当にいま鋭意詠歌中で」
「嘘でしょう」
「人生最高の傑作なんて、いったいいつできることやら」
「嘘でしょう」
「考えてもみてください。そんな簡単に傑作ができ」
「嘘でしょう」
「そういえば上皇の御噂は耳にし」
「嘘でしょう」
「はい嘘です」
「はやく詠じなさい」
俺は、詠じたくなかった。
姫様は、
今年に入ってから、
ずっと、
病に臥せて、
いた。
一時は、
危篤にまでなったと、
きく。
もしも俺が、
傑作を披露して、
しまったら。
「未練がなくなって私が儚くなるとでもお思いですか?」
姫様はいつだって、俺の心中を読むようなことを、言う。
「まったく愚かな人。あなたらしい女々しい考え方です。女はそんなにか弱くはなくってよ? さぁ長らく我慢したのです。もう待ちきれません。はやく披露なさい」
仕方がなく俺は詠ずる。
「春の夜の夢の浮き橋途絶えして 嶺に分かるる横雲の空」
姫様は俺のその歌を、何度か口の中で反芻して、そして満面の笑みを浮かべた。
「さすがです。さすがです! あなたの歌は本当にすばらしい!」
まるで幼子のように、姫様は喜色をあらわにする。
「31字に夢をまるごと閉じ込めるような、あなたの歌風。その集大成とも言える素晴らしい出来です! これはもう、歌の一首というよりは、一つの世界です。たったの31字という狭い狭い枠の中に、一つの芳醇な世界が封じ込められている。感服せざるをえない見事な出来です!」
なんだかものすごい大げさに、褒めてくれる。
俺はそんな姫様の横顔を、眺める。
姫様の満面の笑みを眺める。
何度見ても、いつまでたっても、変わらず綺麗な横顔を。
七月×日
仁和寺宮にて五十首披露。
俺の歌はなかなか好評であった。
特に以下の四首が絶賛された。
いずれも自慢の歌たちだ。
大空は梅の匂いに霞みつつ 曇りも果てぬ春の夜の月
霜惑う空にしおれし雁が音の 帰る翼に春雨ぞ降る
春の夜の夢の浮き橋途絶えして 嶺に分かるる横雲の空
山の端に月も待ちいてぬ夜を重ね なお雲の欲る五月雨の空
八月×日
今日は最悪な一日であった!
父に「今晩、客人が来る。相手せよ」と申しつかる。
失職後、父はたまに、上流貴族の方々との会食会の機会を設けてくださる。
俺ももう不惑間近なのに、親の脛にかじりついてまことに申し訳ない……。
しかもせっかくの機会をいまのところすべて不意にしてしまっている。
あぁ…...いつまで経っても、人付き合いが苦手なのは変わらない。
閑話休題。
今日もその会食会があった。
会食会は、自宅ではなく嵯峨野の別荘で行われる。
一応、密会、という扱いだ。
「どこぞの者がどこぞの者を引き立てようとしている」という噂が立つと、こちらも先方も面倒臭い有象無象を相手にせねばならなくなるからだ。
現れた人物は、意外なほど若かった。
20前後である。身なりは一流で、そうとうの家柄であると想像できた。
所作も、俺と比べることも烏滸がましいほど優雅であった。
しかし、どうにも辛気臭い雰囲気を漂わせている。
短身猫背で、頰が痩せこけている。
席に座るなり神経質そうに指で床をトントンと叩いている。
そして鷹のように険し目が印象的であった。
ギラギラと、俺を射殺さんとするように睨みつけてきた。
「ふん。どのような男かと思えば。覇気のない、垢ぬけぬ奴だな」
開口一番に、相手は俺のことを侮辱してくる。
まだお互い名乗ってすらいないのに。
礼儀を知らぬガキだ。
しかし父がわざわざ引き合わせてくれた相手だ。
きっとかなり上流の方なのだろうと思い、堪える。
明鏡止水明鏡止水と俺が心を落ち着けようとしていると、
「霜まよふ空にしをれし雁がねの 帰る翼に春雨ぞ降る」
俺が先日の歌合で詠じた歌を、突然口ずさみ始めた。
とても好評であった、俺の自慢の一首だ。
そして、
「ゴミみたいな歌だ」
と言い出した。
これには流石の俺も、カチンと来る。
歌のことで侮辱されて、引き下がるわけにはいかない。
「侮辱するからには、理由があるのですよね?」
「まず『霜まよふ』という表現。これは貴様の造語だろ? 意味がわからん。国語も知らぬと見えぬ」
「古今で凡河内躬恒が『初霜のおきまどはせる』という表現を使用しています。霜が置き迷うというのは造語ではありません」
「はっ。意味がまったく違っておろう? 『霜が置きまどふ』は『霜が置いたと見違える』ことだ。しかるに貴様の『霜まよふ』はなんだ? 霜が置いたと見違えた空? 意味がわからんぞ」
「言葉の用例の話をしたまでです。国語に適わない表現ではないと言いたかったのです。『霜まよふ』はもちろん縮約表現です。造語といえばそうですが、『まよふは雁』にもかかっていることをお忘れなく。迷える雁の意を導くのです」
「雁に『まよふ』を掛けるために、無理やり文法を捻じ曲げるのがダメだと言っているのだ」
「なぜダメか理由を伺っても? 意味はきちんと通っています」
「通ってなかろうか。霜が降りまどうのか、霜が置きまどうのか、わからん。そもそも惑うとは」
20そこそこの若造のくせに、やたらと俺につっかかってくる。
だんだんとイライラが募っていく。
「だから! そこは『しをれし』じゃないとダメなんだよ!」
「ダメということはあるまい! もっと美的な言葉を選ぶべきだ!」
「初句と二句はサ行で音をとってるんだ! 三句からのカ行を印象付けるためには、そこは『しをれし』でないと!」
「音を重視するあまり内容が損なわれては元も子もあるまい! そんなこともわからぬか!」
「わかってないのはあんただろ! 音を含めてこその歌だ! 内容だけに拘るんだったら物語でも読んでろよ!」
そしてだんだんと支離滅裂になっていく。
「ガキのくせに知ったような口叩くんじゃねー!」
「不惑間近にもなって、ろくな言葉使いもできぬ貴様に言われたくもないわ!」
「てめーが物を知らなすぎるだけだろ! あの歌に使われている単語は一語一句変更するべきじゃねーんだよ!」
「まるで馬を鹿と言い張るがごとき強情さよ!」
結局、ほとんど食事をすることもなく、ひたすら啀み合い貶し合い罵り合って終了した。
父の紹介とは言え、最悪である。
もう二度と会いたくない。
九月×日
父に「先日の食事会はどうであったか?」と尋ねられた。
「あまり芳しくはありませんでした。ところで、あの方はどこのどなたなのでしょうか?」
「上皇である」
「……今、なんと?」
「上皇である」
「ジョウコウという家柄でしょうか?」
「今年一月まで皇位にあらせられた上皇である」
俺の人生、おわた。
十月×日
来年の一月付けで、安藝権介に任ぜられることが内定した。
再就職できた、のは良いのだが……。
正直いつ不敬罪でしょっぴかれるかとドキドキしていたのだが。
十一月×日
姫様にその話をすると、腹を抱えて笑いだした。
「上皇にタメ口で罵詈雑言を吐くなんて。あなたはやっぱり愚かな人」
「笑い事ではないです。今でも不敬罪で斬首に処されるのではないかと、気が気ではありません」
「それは無いでしょう。上皇はあなたの歌を甚だしく愛好されてらっしゃるから」
「でも、かなり酷いこと言われましたよ? どう考えても憎まれています」
「上皇はあなたの歌を愛してらっしゃるけど、あなたのことは憎んでらっしゃるのです」
「意味がわかりません」
「上皇はね、あなたと似ているのよ」
「似てません」
「いいえ似ています。傲慢で、排他的で、反抗的で、頑なで、人付き合いが苦手で」
「……私はあそこまで酷くはありませんでした」
「あそこまで、ということは多少は自覚があるのですね」
「その話は置いておきましょう。百歩譲って似ているとしても、上皇は私の歌をボロクソに貶してきましたよ? 私の歌を愛好しているようには見えませんでした」
「上皇は、あなたの公表された歌は全部諳んじられるほど、愛好していらっしゃるそうですよ。『霜まよふ』の歌も、本当は大層お気に召しているはず。自分もあのような歌を詠じたいと思っていらっしゃるはず。でもね。だからこそ、我慢ならないことも、ある。自分もこのような歌を詠じたいのに力不足であるという苛立ちと。自分であったらここをこうするのにというもどかしさと。自分の目指すものに近しいからこそ、言いたいことが沢山ある。思いの丈が人一倍ある。相似していればいるほど、些細な差異が目について仕方がなくなる。そこに苛立って仕方がなくなる」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
正直、あれに自分が似ていると言われると、かなりイライラする。
いや、姫様の言い草によれば、似ているからこそイライラするのだろうか?
「なんにせよ」と姫様は言う。
「上皇がいれば、私がいつ儚くなっても、あなたは大丈夫ですね」
「意味が、わからないのですが」
「あなたは、理解者が必要な人です。独りに耐えきれない、愚かで、かわいい人。私がいなくても、上皇があなたを理解してくださる」
「意味が、わからないです」
「解ろうとしないだけです。まぁでも、ふふふ。これでやっとあなたの子守も、お役目ごめんです」
……俺は姫様の子守をしているつもりでいたが、姫様は俺の子守をしているつもりだったらしい。
まぁ姫様が、俺の子守をやめたところで、俺は、最後まで、姫様の、子守を、し続けるが。
十二月×日
姫様宅にお邪魔する。
いつものように雑談し、いつものようにからかわれ、いつものように歌を詠じ、いつものように、姫様の笑顔を見た。
いつものように。
20歳頃の俺は、姫様の言うように、傲慢で、排他的で、反抗的で、頑なで、人付き合いが苦手で、あった。
いや今でもそうであるが、昔よりはだいぶマシになったと、思う。
姫様に会わなければ、たぶん、今の俺はない。
上皇も。
上皇も、出会いによって変わるのだろうか。
姫様と俺のように、誰かを見つけるのだろうか。
それとも、俺がその役割を担って、上皇を導くべきなのだろうか。
まぁなるようにしかならないか。
そんな風に考え事をしていたら、姫様に「ちゃんと話を聞きなさい」と叱られ、ご機嫌取りをする羽目になった。




