18年目(1197)
一月×日
さて、金がない。
ただいま絶賛無職中だからだ。
当座の生活費は妻の実家のお世話になる。
申し訳ないと妻に謝ると、
「芸術家さんに嫁いだ時点でこうなることは覚悟してます。どうせ歌しか能がないのですから、詠歌に励んで、うまいこと誰かに取り入ってください」
と言われてしまった。
二月×日
元妻の墓参り。
「むせぶとも知らじな心かはら屋に 我のみ消たる下の煙は」
墓参り後、源氏物語を書写する。
源氏物語はたしかに秀逸な歌道の本ではあるが、しかしやはり物語としては好きになれない。
たとえば今写本を作っている「花宴」の巻。
主人公の光源氏は、或る宴の後、ほろ酔い気分で「女漁りでもしたいなー」と思い、後宮に赴く。
この時点でけっこう下衆な発想だと思うのだが。
とにかく忍び込んだは良いが、みな眠っているらしく、どこの部屋も鍵がかかっている。
しかし無用心にも施錠していない部屋が一つあった。
その部屋に入り込むと、なにやら歌を詠ずる女性の声が聞こえる。
それは大江千里の
「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の 朧月夜に似るものぞなき」
という歌だった。「照り輝くわけでも、曇って真っ暗でもない春の夜の朧月夜。これに勝るほど素晴らしいものなんてない」という歌だ。
源氏の君はその声を聞いて嬉しく思い、その女性の裾袖を掴む。
そんなことされた女は恐怖に慄き、「キモい! 誰?」と誰何する。
源氏の君は「こわくないよーこわくないよー」と宥めつつ、言葉巧みにその女性を口説く。
最後には女の方から「すてき! 抱いて!」となった。
なんだかなーという気がする。
まぁその女性は実は皇子の婚約者で、後に光源氏は須磨へと左遷されてしまう。
ざまぁ!
三月×日
姫様と、自宅の一室で梅を観賞しながらお茶をする。
話題は源氏物語の話が主であった。
「少し強引に口説いてくれた方が、嬉しいものなのです。あなたは変なところで頑ななくせに、打たれ弱いですよね。出家騒動の後も、もっと頻繁に訪ねてくだされば、私も情に流されて門戸を開きましたのに。一度拒絶されたくらいで諦めた上、母親に泣きつくとは」
「泣きついてません」
「泣き虫なあなたのことですから泣きついたに決まってます。去年の暮れだって泣いてましたし」
いつものように雑談に興ずる。
気がつくと知らぬ間に夜になっていた。
「以前もこんなことありましたねぇ」
姫様は、何かを噛みしめるように、何か慈しむように、そう言う。
「あの時は、秋でしたし、晴れ晴れとした満月でしたけど」
今日の天気は、朧月夜。
俺は、いつか夏の夜中に目が覚めて、ぼんやりと眺めた朧月夜を思い出す。
夢から覚めても夢であるような不思議な感覚。
あのときは、梅の香りがした気がして目が覚めた。
目が覚めても、誰も近くにいなかった。
けど、今日はちゃんと、近くから梅の香りがしている。
口から歌が溢れる。
「大空は梅のにほひにかすみつつ 曇りもはてぬ春の夜の月」
夜空を朧月がぼんやり照らす。
夜空が、梅の香に満ちている。
梅の香りのせいで、頭がぼんやりしてくる。夢うつつな心地がしてくる。
梅の香のせいで、おぼろに霞んで見えるのかもしれない。
なにやら夢の中にいるような気分だ。
姫様も、歌を詠ずる。
「浮雲を風にまかする大空の 行方も知らぬ果てぞ悲しき 」
月を朧に見せる雲達は、風の隨に夜空を流れていく。
その流れの果てになにがあるのかはわからないけど、きっと最後は悲しい結末に終わる。
夢のような時間は、いずれ終わりを迎える。
そうだとしても今は、今だけは。
この梅の香りとともに、ありたい。
四月×日
寂蓮殿より、「守覚法親王が歌会をするらしいので、出ないかい?」との誘いを受け、快諾する。
歌会は来年の夏に催されるらしい。
ずいぶん先の話なので、どういう理由なのか伺ったところ、
「帝に何やら考えがあるらしくてねぇ。歌の巧拙を見て登用する者を選ぶつもりなのだろう。準備期間が長いのは、それだけ本気の作を見せろとの、暗黙のご下命だろうねぇ」
とのことだった。
五月×日
姫様の御相伴に与る。
「歌は言葉でできています」
姫様は当たり前のことを言い出した。
「言葉とは、誰かに何かを伝える手段です。そうである以上、歌もまた、誰かのために詠ずるものです。『伝えたいこと』があるから、歌は生き生きとする。それが普通です」
やはり当たり前のことを言う。
「ところが」と姫様は続ける。
「貴方の歌には、それがありません。伝えたい『何か』も、伝える『相手』もいない」
俺は貶されているのだろうか?
「いえ、違います。あなたの歌は、他人の為に詠じられてはいない、と言いたいのです。普通、歌は誰かの視点で心情が詠じられます。そしてそれゆえに、歌は共感を呼ぶ。聴き手は、自分の身の上に準えて、歌を楽しむ。なのに貴方の歌には、心情がない。あなたの歌は、客観的に、第三者の目線から、歌を詠む。それはとても冷徹な視線であり、人の気持ちや感情をすべて、上手い歌を作るための道具と考えている」
やっぱり貶されている。
「ただ単に上手い歌をと考えているなら、確かにロクでもないです。いやそれ以前に、そんな考えで上手い歌など詠じられるわけがない。なのに貴方の歌は、おそらく歴史上でも類を見ない出来です。それで私は思うわけです」
姫様は一呼吸置いて言う。
「あなたは、神に向けて詠じているのだと」
「神、ですか?」
「あなたの歌は人に向けて詠じられたものではない。しかし優れている。とするならその理由は、あなたの歌が神に向けて詠じられたものだから、でしょう。あなたの歌は、神楽や猿楽に似ています。そこには作り手の主観など一切ない。ただただ無心に、在るべくように在る。それは神に対峙する者の境位です」
「よくわからないです。そもそも私は、神というものがよくわかりません」
「『正直者の頭に神宿る』と言います。あなたは神の恩寵に与っているのですよ。神に近すぎるゆえに、神の正体がわからないのでしょう」
「......酔ってらっしゃいますね?」
姫様は俺に酌をさせるのが楽しいようで、先ほどからかなりの量を呑んでいる。
「酔っていません! 元とは言え私は斎院ですよ? 神に最も近き者ですよ? この私が言うことなのだからまちがいありません! とにかく私が言いたいのはですね」
と姫様は言う。
「あなたの歌は、神に捧げるに値する歌という事です。私はそんなあなたの歌が、大好きです」
だから早く傑作を寄越せと、催促された。
六月×日
「駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪の夕暮」
命令通り、今の俺に作れる最高の歌を詠じた。
「流石です。今まで貴方の詠じた歌の中でも最高傑作でしょう。.....ここまで来ると、もう、なんとも言えませんね。あなたは以前、『西行法師の人生は、一首の歌のようだ』と仰っていましたが。あなたの歌は、一つの人生そのもののような、深みがあります。その歌を解釈することは、一人の人間の人生をなぞるくらいに、困難なことでしょう」
なかなか好評価でホッと一息つく。
しかし姫様は続けて言う。
「これは今までの貴方の歌の最高傑作です。しかしそれでは不十分です。貴方が死ぬまでの間に詠ずる中で、最も秀逸な歌を詠じなさい」
無茶苦茶だ。
「できるだけ早く詠じてくださいね。具体的に言えば、私の命が尽きる前に」
「縁起でもないこと仰らないでください」
口ではそう言ったが、なんとなく、予感がある。
あと二、三年、ではないかという。
姫様に「夢の浮橋」を題として与えられた。
これまた甚だしく厄介な題である。
七月×日
『源氏物語』最終巻「夢の浮橋」。
源氏の君の落胤たる薫は、浮舟という女性に会うために比叡山の横川を訪ねる。二人は男女の関係にあったが、浮舟は思うところがあつて出家してしまった。浮舟は還俗を勧められるが、それを拒否。
最後に薫が歌を幾つか詠じて話は終わる。
これが『源氏物語』という長大な物語の結末であるが、どうにも尻切れとんぼな感が否めない。
薫がその後どうしたのか、浮舟との関係はどうなったのか。
それ以前に、それまでの巻で述べられていた伏線はどうなったのか。
全て丸投げして、終わっている。それはあまりに不自然な終わり方だ。
「何だかの都合で作者は続きを書く事ができなかったのでは?」という説がある。
またこの中途半端な続きに納得できず、自称「続編」を著した者も少なくない。
しかし、俺に言わせれば、この中途半端な終わり方こそが、この『源氏物語』の締めくくりに相応しい。
源氏物語とは、紫式部が見ていた壮大な夢なのだ。彼女の見た長い長い夢物語なのだ。
そして夢というのは、いきなり覚めてしまうものである。
脈絡に関係なく、途中で絶えてしまうものである。
続きをもっと見たいと思っても、問答無用に目が覚めてしまう。
夢は、いつか必ず覚める。
人の気持ちなんてお構いなしに、終わりは突然やってくる。
人生も、同じだろう。
大団円に終わる人生や、悲劇的最後を遂げる人生の方が珍しい。
ある日突然、別れはやってくる。
まるで夢から覚めるように。
「世の中は夢の渡りの浮橋か うちわたりつつものをこそ思へ」
八月×日
浮橋は、水にただ浮かべられただけの橋だ。
それはとても不安定な橋だ。踏みしめるたびにゆらゆらと揺れ動く。
その橋を渡るものには、いつ転げおちるとも知られぬ不安が伴う。
夢の浮橋とは何だろう?
それは、「これは夢だ」と自覚して夢を見ている在り方では、なかろうか?
曖昧模糊とした夢のような状況。
ふわふわとした夢のような心地。
そしてそれは、いつか終わりを告げる。
いつか終わってしまうのだと知っている。
でもいつ終わるのかは、わからない。
今にも終わってしまうのではないかという、不安が、ある。
今のこの在り方が、儚い夢だと知っている。
それを自覚してもなお、やはり俺は、いまこの状況が、いつまでもいつまでも続けば良いのにと、思ってしまう。願ってしまう。縋ってしまう。
梅の香りとともに、ありたい。
いつまでも、ありたい。
夢ならば覚めないでくれ。
夢だとしても覚めないでくれ。
そう願ってしまう。
いつかは、覚めることを、知りつつも。
九月×日
先日姫様に「あなたは空が好きね」と言われた。
そうかもしれない。
姫様が海を好むように、俺は空を好んでいるらしい。
空は、大きい。
大きすぎて、こわい。
空は、全てを吸い込んでしまいそうだ。
見ていると自分まで吸い込まれてしまいそうだ。
空の彼方に飛んでいく渡り鳥達は何処へ行くのか。
朝に空を彩っていた霞はどこに消えたのか。
雲は、雲はいったいどこから来てどこへ行くのか。
雲は、我々が望もうが望むまいが、流れていく。その動きをどうすることも、できない。
「風ふけば峰にわかるる白雲の たえてつれなき君か心か」
壬生忠岑の歌である。
「風が吹くと、雲が山の峰で二手に別れて絶え絶えになる。それと同じように俺たちも別れてしまうのか、つれない人よ」という歌だ。
峯にわかるる白雲は、二度とめぐり合うことはない。
二手に別れてしまったものは、もう元には戻らない。
そういう悔しさがある。どうしようもなさがある。
虚しさがある。儚さがある。
十月×日
「霞たつ末の松山ほのぼのと 波にはなるる横雲の空」
家隆殿が「春のあけぼの」を題に詠んだ歌である。
恋人と一夜をともにした翌日。
春の冷ややかな朝の風に、霞が立つ。
私と彼女はその寒さに身を寄せ合う。
恋人とともに空を眺める。
春の朝焼けは、柔らかい橙に空を染める。
遠くを眺めると、霞の奥に末の松山が見える。
霞はほのぼのと波のようにたなびく。
朝焼けの光に染まってたなびく霞は、空に美しい模様を描く。
彼女と一緒に、この美しい空を眺める。
幸せな気持ちでその風景を見る。
ふと目を山から離すと、一つの横長い雲が、その霞空から離れていくのが見える。
ゆっくりゆっくり、その横雲は遠ざかっていく。
恋人と一緒に美しい風景を見て、幸せな心地なのに、
その雲のことが、やたらと気になる。
その横雲は、悪雲というわけでもない、何の変哲もない雲なのに。
美しい空模様の舞台裏で、ひっそりと姿を消していくその雲が、何かを暗示しているような気がして、微かな虚しさを覚える。
十一月×日
春の夜の夢のごとし、という。
それは短く儚い夢。
しかし、夢から覚めたこの世だって、儚いものではあるまいか?
霞は昼には消え去り、雲はいずれ消え行き、梅の匂いはいずれ無くなる。
夢から覚めてもまた夢。
儚く頼りない浮橋のような現実。
夢から覚めたくないと思うけど、夢から覚めても、現実は続いていく。
夢はいつか唐突に覚めてしまう。
あっけない終わりを迎えてしまう。
夢の名残だけが、余韻として残る。
起きて恋人がいる日々を夢見る。
起きて梅の香りがする夢を見る。
起きて梅の香りを探してしまう。
何もない。全ては夢だったのだから。
空を眺める。
春の夜が明けて、橙色の空模様。
空全体がまるで夢のように美しい。
けれど、そんな幻想的な空模様よりも、目につくのは、山の峰にかかる横雲。
橙に染まる空のなかで、ひっそりとゆっくりと淡々と、横雲は二筋に分かれていく。
二度とめぐり合うことのない二筋。
夢から覚めたって、現は移ろい易く、儚い。
春の夜の夢も、朝焼けに浮かぶ雲も、梅の香りも、やがていつかは途絶えてしまう。
十二月×日
春の夜の夢の浮き橋途絶えして 嶺に分かるる横雲の空




