17年目(1196)
一月×日
「須磨に行きます」
新年早々、姫様が宣言する。
「須磨? どうしていきなり……」
「あなたのお父上の言うように、歌の本髄は源氏物語にある。そして源氏物語の真骨頂は須磨の巻。であるならば、歌人として、須磨に一度は行くべきでしょう」
「いやそうではなくてですね」
いままで頑なに京から出ることを忌避していた姫様が、なぜいまさら旅行などするのだろうか。
「いまだから、です。私ももうすぐ知命の齢。そして我が天命は歌道以外にないでしょう。であるならば、いまから天命を全うすべく行動しなければなりません。おわかりですか?」
「わかったようなわからないような」
「とにかく、準備はすべておまかせします。四月に行く予定です」
「えっ? 準備? 私が準備するのですか?」
「当たり前でしょう? あなたも私に着いてくるのですよ?」
「いやいや無理です。仕事があります」
「良経殿にはあなたの休暇の了承をもらっています。あなたの奥方にも、先日談笑した際に許可を得ています」
「え? いつのまに? というより、え? 妻と知り合いなのですか?」
「つべこべ言わず、さっさと準備をしてください。時間は有限なのですよ!」
久しぶりにものすごい理不尽なワガママを言われている気がする。
けどまぁ仕方がない。ワガママにつきあってあげましょうか。
…...天命だなんだと、おっしゃっているけど、なんとなく、わかる。
姫様は、自分が老い先短いと感じているのだろう。
儚くなる前に、一度須磨の海を見てみたいと、そう思っているのだろう。
まぁせっかく休暇がもらえるというのだ。
姫様と一緒に、須磨旅行を、せいぜい楽しんでこよう。
二月×日
妻の墓前に立って、歌を詠ずる。
うへしげる垣根がくれの小笹原 しられぬ恋はうきふしもなし
一緒に来ていた息子の光家に
「どういう意味の歌ですか?」
と尋ねられる。
俺は適当に言ってはぐらかす。
妻は「自分だけのために詠じてくれ」と言った。
ならばその意味は、その意図は、誰にも言わず心に秘めておこうと思った。
三月×日
この世には、神も仏もいないのか?
四月×日
とりあえず姫様は、宇治の親戚の家で保護していただいている。なんとかしてあげたい。
五月×日
兼実殿が窮地に立たされている。
もともと兼実殿が摂政職に就いたのは、鎌倉殿の全面支援があったからだ。
当時、鎌倉殿と後白河院は、対立とまではいかずとも緊張関係にあった。
政治的優位を確保したい後白河院と、朝廷に干渉したい鎌倉殿。
両者の思惑の結果選ばれたのが兼実殿であった。
鎌倉殿としては、後白河院に抗い得る人材として兼実殿を支援する。
後白河院にとって兼実殿は目の上のたんこぶであるが、その為人には信が置けるのでしぶしぶ了承。
そういった具合で、兼実殿が摂政となった。
しかし後白河院崩御によって情勢は変化する。
まず鎌倉殿側としては、兼実殿を積極的に支援する動機がなくなる。むしろ兼実殿の有能さは、朝廷の力を削ぎたい鎌倉殿にとってもあまり好ましくない。
加えて崩御後、通親殿が丹後局と組んで勢力を拡大。
さらに丹後局が鎌倉殿に取り入る。
結果、鎌倉殿は兼実殿よりも通親殿を優遇しだす。
もともと兼実殿を忌み嫌う連中も多かった上、日和見連中もこれが好機と通親殿につきはじめる。
いまや実質的権勢は、通親殿の方が強い。
そして九条家はなんとか通親殿の力を削ごうと考えた。
そのために手っ取り早いのは、丹後局を排除することである。
つまるところ通親の力の源泉は丹後局、正確には彼女の娘御だからである。
六月×日
一昨年の暮れ、源兼仲という者の妻に、後白河院の霊が憑き、「我を祀り、社をつくり、国を寄進せよ」と託宣したらしい。
そしてその神社建立と祭祀を丹後局派閥の者が担当すべし、とも。
この託宣事件は政治的に問題となった。
託宣の真偽はあまり重要ではない。
論点はつまるところ、丹後局派閥の利権の認否であった。
丹後局派閥と九条家派閥の争いである。
結果、辛くも九条家派閥が政争に勝利。
託宣は狂言であったという沙汰に落ち着き、源兼仲とその妻は流刑に処された。
ここまでは良い。
問題はここからだ。
狂言騒動の連座として丹後局も流刑に処すべきとの声が上がった。
丹後局を排除したい九条家の言い分としては「至上のお方の名を騙るとは万死に値する。その騙りの手助けをした者もまた然り」というものであった。
これに対して丹後局は弁明して曰く、
「そもそも自分は一度たりとも託宣に同意したことはありません。源兼仲の妻の為人を知っていたため、彼女を弁護する目的で、託宣肯定派にまわったのです。なるほど皆さんに反論があるのもわかっています。この託宣の報が最初に皇室にもたらされたとき、『源兼仲の妻なる者、後白河院の託宣を受ける。この点は丹後局の同意もあり云々』との文面であったと。つまり私が太鼓判を押す形でこの事件は皇室に伝わり、そして皆様に伝わったと。しかしその点が誤解のもとなのでございます。まず最初に私が、源兼仲の奥方から例の託宣の話を伺ったことは本当でございます。そして私のツテを使って、朝廷にこの報告をするように頼まれたことも本当でございます。しかしこのお使いはなかなか難儀。と言いいますのも、後白河院の託宣という口に出すのも憚られる微妙な事柄。いったい誰に伝えたものかと私は悩みに悩みました。そこで、さるやんごとなき方に、この件を帝へとお伝えいただくようお願い申し上げたのでございます。その際に私はたんに『源兼仲の妻なる者、後白河院の託宣を受ける云々』と伝えていただきたいと申し上げたのですが、どこでどう話が変わったのか。私もその託宣に同意していたことになっていたのです」
まぁそういう言い訳を長々とし、口八丁で煙に巻いて、最終的に丹後局は無罪放免を勝ち取った。
しかしさて。
丹後局が無罪であるなら、その言伝を途中で歪曲した「さるやんごとなきお方」の罪が問われねばならない。
やんごとない身分とはいえ、「騙りの手助けをした」罪で万死に値する。
そしてその際に言伝を頼んだ皇室の方というのが、お姫様だったわけだ。
くそが。
七月×日
兼実殿に口答えしてしまい、少し立場が悪くなる。
しかしまぁ、なんとか譲歩は引き出せた。
流罪や死罪になることは、これでないだろう。
八月×日
「須磨ではありませんが、宇治もまた源氏の舞台。これはこれで良い旅行と言えるかもしれません」
と姫から文が届く。
先日は、瀬織津姫を祀る橋姫神社に参拝に行ったらしい。
九月×日
「桐の葉も踏み分けがたくなりにけり かならず人を待つとなけれど」
姫様から「なかなか良い歌ができました」と文があった。
本歌はおそらく遍昭の、
「わが宿は道もなきまでに荒れにけり つれなき人を待つとせし間に」
内容は「山奥の自宅で、『今日こそは恋人が来てくれるにちがいない』と毎日待っていた。その間に、我が家に続く道は荒れ果ててしまった」といった感じ。
姫様の歌の上の句は、だいたい同じ内容だろう。
「桐の葉も踏み分けがたくなりにけり」。
つまり「桐の葉で家の前の道が覆い尽くされて荒れ果ててしまった」。
注目すべきは下の句。
「かならず人を待つとなけれど」。
つまり「別に誰かを待っているわけではないけど」。
つなげると、「別に誰かを待っているわけではないからどうでも良いのだけれど。桐の葉で家の前の道が覆い尽くされて荒れ果ててしまった」。
もちろん「誰かを待っているわけではない」というのは、強がりだ。
本当は遍昭の歌と同様、恋人を心待ちにしているのだ。
心待ちをしているのに、強がりでか、ひねくれているのか、「別に待ってはいない」と口では言うのだ。
「恋人を待つ間に」とは言わず、「別に待ってはいないけど」と口先で強がるところに、趣がある。
そしてそういうところが、姫様らしい歌だなぁと思う。
そう感想を述べると、
「私らしいって、どいうことでしょうか? 頑固だとでもおっしゃりたいのでしょうか?」
とネチネチとした返信がきて、ご機嫌取りをする羽目になった。
十月×日
「さむしろや待つ夜の秋の風ふけて 月をかたしく宇治の橋姫」
と詠んで送った。
十一月×日
兼実殿、失脚。
諸行無常。
盛者必衰。
十二月×日
九条家が宮中から一掃された。
結果、姫様の沙汰も有耶無耶になる。
さらに後白河院から九条家に貸し出されていた屋敷も、姫様に返されることとなった。
一時は死罪もあり得たが、終わってみれば良い結果に終わった。姫様にとっては。
「愚かな人。あなたはどうしてそんなに愚かなの?」
久しぶりにお会いした姫様はご立腹であった。
兼実殿に逆らった後、俺は失職していた。
「私の身から出た錆です。つまらないことで兼実殿に食ってかかってしまいました。兼実殿のご寛恕により、洛中に残ることができていましたが、本当ならその時に洛外追放もあり得た身」
「嘘つき」
姫様の機嫌は直らない。
…...俺が姫様のために東奔西走して、宮中の規律を乱し、そのせいで兼実殿も俺を罰せざるをえなかった。
そして、全部姫様にバレていた。
「私を謀ろうとした罰を与えます」
と姫様は言う。
あれ。昔似たようなことなかったか?
「あなたの人生最高の傑作を詠じなさい。それができたら許してあげます」
何をどう許されるのかわからなかったが。
まぁ姫様のご下命だ。
やってやろうじゃないか。




