20年目(1199)
一月×日
先日、源頼朝逝去の報が京にもたらされた。
後ろ盾を失った通親殿は慌てて次代将軍に媚を売り、奇謀の限りを尽くす。
しかし待ってましたとばかりに、上皇が通親派閥の勢力を次々に打ち崩していく。
己の派閥の不利を悟った丹後局は、通親殿を切り捨てた。
そして今度は上皇に秋波を送るも、軽くあしらわれる。
丹後局は、自分の媚態が通じないことに衝撃を受け、寝込んでいるらしい。
自分の美貌が通じなかったことが信じられなかったのだとか。
まぁじっさい後白河院、通親殿、源頼朝公と、次々に籠絡していた女狐である。
客観的に見て、丹後局は傾国の美女なのだろう。
しかし俺に言わせれば、姫様ほど綺麗なわけでもない。
それに美女といってももう中年の女性である。
色仕掛けが通じるなんて、本当に思っていたのだろうか。
二月×日
たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人こふる宿の秋風
源氏を書写する。
三月×日
ここ最近、京は騒乱続きである。
左馬頭の某という男が、通親殿襲撃を画策。
それを知った通親殿は「殺されるのは嫌だ!」と叫び、院御所に立てこもり出てこなくなる。
ざまぁな醜態だがしかし、通親殿が引きこもっているため政治が停滞。
様々な噂が飛び交い、もう何が何やらわからない状態であった。
鎌倉の方も、頼朝公逝去以来、混乱続きのようだ。
頼朝公の嫡子、源実朝はまだ12歳と幼い。
そこで執権が代理で政治を執り行う。
その執権役に就いた北条政子は、毀誉褒貶相半ばにしている女性である。
政子殿とご知り合いの寂蓮殿は「聡明な女性です」と褒めてらっしゃるが、巷間では頼朝公を暗殺して、権力の座を奪取したとも囁かれている。
まぁ敵も味方も多いのだろう。
四月×日
情勢が不安定で、京も鎌倉も大混乱。
通親殿なんて、暗殺に怯えてすっかり別人のようになってしまった。
京には不穏な空気が流れている。
なのに姫様はそんなのどこ吹く風とばかりに、今日も今日とて呑気に歌三昧。
「ながめつるけふは昔になりぬとも 軒端の梅はわれを忘るな」
眺め見入った今日この日が過去になっても、軒先の梅よ、私のことを忘れないでくれ。
菅公の「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春をわするな」に通ずるものがある。
姫様は言う。
「政治になんて構っている暇なんてありませんよ。どうせあなたには何の関係もない雲の上の出来事です。さぁさぁ現実なんかに現を抜かしている暇があったら、せっせと私のために歌を詠じなさい。夢を見させなさい」
五月×日
上皇は通親殿派閥の排斥を進める一方で、幕府に対しても強硬路線をとるおつもりのようだ。「また戦乱になるのでは?」と、京中に不安が広がる。
あの短気で性格の悪い上皇のことだ、「気に食わないものは全部ぶっつぶす!」とでも思っているのだろうか? まったく。ガキが権力を握るとロクなことにならないという良い見本である。
……まぁしかし、強硬な態度は、ある種の強がりであろう。
まわりは阿り媚びてくる老獪な魑魅魍魎達。
加えて「神器なき不徳者」と陰口をたたくうるさい小蝿も多い。
上皇は、神器がないことを相当気に病んでいるらしい。
いまだに壇ノ浦に、神剣の探索隊を派遣していると聞く。
周りに味方はおらず、自分の君主としての器に自信がもてない。
縋れるものが、頼れるものが、支えとなるものが、ない。
だから、強がるしか無い。
めいいっぱい虚勢を張るしか無い。
内外に強い王権を示すしかない。
まぁあの若造が考えているのは、そんなところだろう。
幕府に対する強硬な態度も、こけ脅しで、そのうち落とし所がみつかるはずだ。
しかし、危うい性格であるのも、間違いは、ない。
年を経て丸くなれば良いが。もしそうならなければ、戦の火種になりかねない危うさが、ある。
六月×日
上皇から玉簡を賜うた。
内容は、ひたすらに俺の歌を罵倒する内容であった。
昨夏に俺の披露した
「大空は梅のにほひにかすみつつ くもりもはてぬ春の夜の月」
についての批判箇所を長々と列挙したあと、「俺の方がうまく詠える」と、
「大空はそことも見えずかすみつつ ゆく方しらぬ有明の月」
という歌を認めてきた。
どこからどう詠んでも俺の歌の方が優れている。
というか中途半端すぎて話にならない。
ダメな点が山ほど目に付く。
ムカついたので、批判点をありったけ列挙して、「下手の横好きが偉そうに調子こいてんじゃねーぞ!」という旨を認めてやった。
俺にボロクソに言われて泣くてめーの面がみたいものだ!
…...送った後に、相手が上皇だったことを思い出す。
今度こそ、だめかも……。
七月×日
あれからも上皇から何度か文が届く。
内容はいつも同じ。
俺の歌を引用して、論い、罵倒し、自分の歌を認めてくる。
それに対して俺の対応も同じ。
自分の歌を擁護し、上皇の歌をダメ出しし、嫌味で締める。
…...なかなか不敬なことをしているが、もう今更畏まるのもバツが悪いし、癪にさわる。
何のお咎めもないようなので、このままの態度で行こうと思う。
姫様にも「それで良いです。それが良いです」と、言われた。
八月×日
先月末、九条の良経殿が左大臣に任ぜられる。
一時は風前の灯かと思われた九条家ではあるが、これで宮中に返り咲くこととなる。
上皇の差配だ。あの若造も、たまには善行をするのだな。
通親殿派から離反した有象無象が続々と良経殿に阿り媚び諂いしている。
まったくロクでも無い連中である。
しかし兼実殿の失政は、こういうロクでもない連中を排除しようとした点にある。
政治というのは結局、清濁合わせ飲まねばならぬのだろう。
まぁいずれにせよ、めでたいことに違いは無い。
久しぶりに良経殿の宅に伺い、賀歌を詠じさせていただいた。
九月×日
上皇から、来年八月に歌会をやるから出席しろとの勅命がくだった。
「歌の艶美さを解さない偏屈で傲慢な貴様も、秀れた歌人たちに揉まれれば少しは丸くなるだろう。なにせ今代を代表する至高の歌人ばかりを集めたのだ。俺には貴様の歌の良さはわからんが、良経が推薦してきたのでしぶしぶ貴様も加えてやる。良い歌を献上すれば、取り立ててやらんでもないぞ? 俺の靴を舐める仕事でよければな」
とのことだ。
あの男はどこまで傲慢なんだ。
というか何だその上から目線!
こちとらてめーが生まれる前から歌詠じてんだよ!
艶美さを解さないのはそっちだろ!
秀れた歌人達なら身の回りにたくさんいるわボケ!
めちゃくそ腹が立つ!
閑話休題。
その来年の歌会とやらには、かなり豪勢な顔ぶれが揃うらしい。
名簿によれば全23名。1人百首ずつ用意する。
俺の知り合いでは、
良経殿、
慈円殿、
寂蓮殿、
そして。
姫様の名前も、あった。
十月×日
姫様は体調がよろしくないようであった。
「季節の変わり目には、風邪をひきやすいたちなのです」
見舞いに伺った俺を、姫様は寝室にて迎えた。
「それより歌会用にさっそく一首詠じたので、聞いてください」と言い、詠じはじめた。
「おもへども今宵ばかりの秋の空 ふけゆく雲にうちしぐれつつ」
名残惜しく思っても、今宵限りの秋の空よ。更けて行く夜の雲に、時雨が降っている。
秋を惜しむ心を歌っている。これだけでも良い歌だと思う。しかし、
「恋歌ですか?」
「ご想像におまかせいたします」
或る秋の日、懸想していた相手と一夜限りの契りを交わす。それを名残惜しく思うけど、夜は更けていく。時間が経つのを、雲の流れが思い出させる。時雨のような涙が私の双眸から溢れる。
「我ながら自信作です」
姫様は嬉々として、朗々と、歌を詠じる。
歌会を、とても楽しみに、している。
姫様は歌壇に出入りしたことがない。
歌会にも歌合にも参加したことがない。
来年の歌会が、姫様の人生で最初で、最、高の、歌会に、なるだろう。
「花は散りてその色となくながむれば むなしき空に春雨ぞふる」
花は散り果てた。なんとなく外を眺めていると、空虚な空に春雨が降っている。
上の句の「色」と下の句の「空」が対応している。
色即是空。
晩春のとある一日を、切り取ったような。
素朴で飾り気がなく、わびさびが効いていて、しみじみとした、良い歌だ。
「ほら、ぼんやりしてないで感想を言いなさい。褒めなさい。持て囃しなさい。そしてあなたも自分の歌を詠じなさい。楽しませなさい。夢を見せなさい」
十一月×日
「あなたの父上が昔、口を酸っぱくして『本歌取りとは、言葉ではなく心を取捨するものだ』と言っていた意味が、老境に入りてうっすらとわかってきました」
今日も今日とて、姫様は歌を詠ずる。
「凡河内躬恒の『いもやすく寝られざりけり春の夜は 花の散るのみ夢に見えつつ』ってあるでしょ?」
------安らかに眠ることができなかった。春の夜は、花の散る夢ばかり見るから。
「これを本歌取りしました」と言い、
「夢のうちもうつろふ花に風吹きて しづ心なき春のうたた寝」
春、盛りが過ぎ、桜が散っていく。
夢の中でも、花びらが風に散っていく。
だから静かに眠ってもいられない、春のうたた寝。
姫様の歌は、風景を詠じているはずなのに、どこか艶がある。
いまの歌も「花」を「恋人」に置き換えて解釈できてしまう。
二人の仲も盛りを過ぎて、別れが近い。
うたた寝をしたときにも、別れる夢ばかり見て、落ち着かない。
春の穏やかな日差しで、幸福なうたた寝なのに。
いずれにせよ「うたた寝」なのに、「しづ心」つまり「穏やかな心」が得られないところに、風情がある。
姫様は、夢をよく歌う。
むかし姫様が「つかのまの闇のうつつもまだ知らぬ 夢より夢に迷ひぬるかな」 と詠じたとき、そのあまりの素晴らしさに感嘆せざるを得なかった。
よくもこんなに深い恋情を表現できるものだと、嫉妬さえ覚えた。
けれど、今ならよく分かる。
この人はずっと、「夢より夢に迷」い続けているのだ。
現実よりも夢の方が、姫様にとっては親しみ深いのだ。
虚構の方が現実よりも、現実らしく思えるのだ。
だから姫様は、現実の出来事であるかのように虚構を歌い、まるで夢のように現実を歌う。
夢から覚めてもまた夢。
姫様は詠ずる。
「はじめなき夢を夢とも知らずして この終わりにや覚め果てぬべき」
いつから始まったかもわからない、夢。
その夢の終わりに、私は目が覚めるのだろうか。
それとも、夢が終わってもなお、夢の中にあり続けるのであろうか------。
十二月×日
姫様の主治医に、容態を聞く。
「持って、一年でしょう」
夢の終わりが、近づいている。




