14年目(1193)
一月×日
母と、嫁の話をする。
「あなたは、壊れた人を引き寄せるのがうまいからねぇ」
と母は言う。
話の流れで、姫様の話もしだす。
姫様がウチに来て最初の頃、父が姫様と俺をふたりっきりにしたのは、実はわざとだったらしい。
「あなた達は似た者同士だからねぇ。気が合うだろうと思ってのことらしいよ。実際、あなた達いまでもとっても仲良しだしね。でも私は最初から反対だったの」
「相手は元斎院だし、身分が違うからですか?」
「バカねぇ。恋に神も身分も関係ないわよ」
ずいぶん過激なことを言う。
さらに母は、万葉の歌を詠じた。
「大船の津守が占に告らむとは まさしに知りてわが二人宿し」
大津皇子の歌だ。
「大船の津守」という有名な占い師がいた。その占い師によってバレるとしても、俺はあいつと二人で寝るのだ! という歌である。
もっと言えば、占いというのは神のお言葉だから、「占に告らむ」とは「神に知られる」こと、それゆえ「神罰がくだること」。
「神罰が下ることを承知の上で、俺はあいつと二人で寝たのだ!」
という、なかなか激情に富んだ、母好みの歌だ。
……俺と姫様は別に、そんな関係ではないが。
「あなた達は似過ぎているのよ。ふたりとも、初めて会ったときから感じていたはずよ。同類だと」
「あの方と同類と言われるのは、ぞっとしないのですが」
「客観的事実よ。あなた達は似ているわ。でも、だからこそ、あなた達は仲良くするべきではないと思ったのよ。どちらかが崩れれば、もろともにもう一方も崩れてしまう。そういう危うさがある。特にあの方は、体の弱い方だから。あの人が儚くなったときの、あなたの心情を思うと、仲良くして欲しくなかったわけ。もういまさらだから、何も言わないけどね」
「……意外と俺のこと、考えてくれていたんですね」
「そりゃそうよ」
と母は言う。
「私は、あなたの母親だもの」
母は俺の背中を叩きながら笑った。
どうでも良いが、痛い。
強く叩きすぎ。
痛い。
二月×日
母が、儚くなった。
四月×日
姫様や良経殿をはじめ、多くの方々から弔問歌をいただいた。
俺もいつまでも、悲嘆に暮れているわけにもいくまい。
五月×日
九月に六百番歌合がある。
それまでに百首、作らればならない。
さてどうしたものかと考えていると、姫様から「見てあげるから、ウチに来なさい」との下命があった。
仕方がないので、姫様の宅を訪ねる。
訪ねたは良いが、ほとんど雑談ばかりであった。
「私も出たかったです。あなたが負けて泣き喚くところを見たいもの」
「泣きません」
「あら? けっこうあなたが泣いているところ、見ている気がするけど?」
「それより、出るとしたらどちらの派閥で出ますか?」
「御子左流一択だと思うのだけれど? 私はどう考えても技巧派だもの」
「ときどき直情的な歌も詠じられるではないですか」
「男と違って、女は直情的なのです。小町しかり和泉式部しかり。みんなそうじゃない」
「それは偏見でありましょう。男だって、たとえば家持の、
『夢の逢は苦しかりけり覚きて かき探れども手にも触れねば』
------夢での逢瀬は苦しいものだ。目覚めて近くを手探りしても、あなたに触れることができないので。
これなど、直情的でありましょう。
」
「それは直情的というより、女々しいというべきではないかしら? たとえば狭野弟上娘子の、
『君が行く道の長手を繰り畳ね 焼き滅ぼさむ天の火もがも』
------あなたの行く長い道のりを、手繰り寄せ折り畳んで焼き滅ぼしてくれる天の炎がほしい!
これなど、直情的で激烈な情念の表現ですよ。」
「なるほど。考えてみれば『女々しい』というのは面白い言葉ですね。女々しい男とはいうが、女々しい女とはまず言わない」
「男の歌人というのは、多かれ少なかれ皆女々しいですね。あなたなんて特に、泣いてばかりだし」
「だから泣きませんってば」
「別に恥ずかしがることもないじゃない。素戔嗚命だって、母恋しさに泣いたのですよ? この国随一の益荒男でさえ泣き叫ぶのだから、この国の男というのは悉く泣き虫なのでしょう」
「まぁそれはあるかもしれませんね。現実にであれ心中であれ、男は一度泣く。泣いてから考える。考えた結果を歌にする」
「そうね。女は泣きながら歌を詠ずる。男は無駄に考えちゃうのよね。徒らに感傷的たらんとする。そこに女々しさが入る。女よりもむしろ女らしく感情を表現しようとする」
「女性は生の感情そのままを歌にのせますものね。だから男が考えるほど、女々しくない。無駄な感傷なんてぬきに、ただあるがままのモノを言葉にして吐き出す」
などなど話していたら夕刻になってしまった。
帰り際に、
「来月もいらっしゃいな。というか来なさい」
と言われた。
六月×日
「くりかへし春のいとゆふいくよへて 同じみどりの空に見ゆらん」
姫様に歌を披露する。
「くりかへし」は「繰り返す」ことであるが、本来は「糸を何度も手繰る」ことである。
「いとゆふ」は「陽炎」と「遊糸」という2つの漢字をもつ。どちらも「ゆらゆら」するものを表現する。
「へて」は「幾世を経て」と、「遊糸を綜て」つまり「縦糸を整えて」。
意味を述べるとするならば、「春の空を見ていると、空全体が陽炎で揺らめいて見える。まるで青の遊糸を機織って編まれたような空模様だ。何百何千年という幾世を経ても、繰り返し繰り返し、毎年春に同じ空模様が編まれるのであろう。空の青色は、そういう悠久さを湛えている」といったところか。
もっと言えばその空模様の衣服は、神の衣服でもある。そういう暗喩が根底にある。「空」という大いなるものへの畏敬が、下敷きにある。
「なかなか良いのではないでしょうか? 理屈と美感が調和しています。でも少し衒いすぎている感じもします」
「良経殿に、御子左流らしい歌をとの注文を受けておりまして」
「それならばアリだと思いますよ。次の歌を」
次のは俺の自信作である。
「久方の中なる川の鵜飼舟 いかに契りて闇を待つらむ」
「……」
「お気に召しませんか?」
「いえ。あまりの出来に、言葉を失っていただけです。ですが、この歌はダメでしょう」
「出来が良いのにダメなのですか?」
「歌合は、いわばその場その場の一発勝負でしょう? この歌は熟慮して味わって初めて分かる歌です。歌の意味を理解されずに終わってしまいますよ」
「父ならわかってくれます」
「あなたの父君なら確かに分かるでしょうが、判者は公平に皆の納得行く形で加判せねばならぬのでしょう? これはやはりダメです。そもそも歌として崩壊ギリギリです。崩壊ギリギリの境界線上で紡がれた言葉の綾。それはたしかに秀逸ではありますが、歌合向きではありません」
まぁそうかもしれない。
まず『ひさかたの中なる川の鵜飼船』。本来『月の光』を導く枕詞である「ひさかたの」で、月を連想させ、『川の鵜飼船』で嵐山の『桂川』を連想させる。さらに鵜飼から殺生を連想させ、殺生と契りから輪廻を連想させ、闇から先行きの悪さを連想させる。
その連想の連鎖が下敷きにあって初めて意味が通る。無粋にも意味を解くなら、「月に生えるという伝説の『桂の木』。その桂の木の輝きゆえに、月は真っ暗な闇夜の中でも光り輝く。なのに、その月の桂に因んだ名をもつ桂川で、篝火を頼りに薄暗い現実の中で鵜を殺すそうとしているだなんて……殺生は悪徳なのだから、そんなことすればさらにより真っ暗な来世が待っているというのに。それなのに、君ら、鵜飼舟にのって鵜を使って漁をする者達は、一体どんな因縁深い理由でそんなことをするのか」。
…...たしかにわかりにくいかもしれない。
しかし、姫様はすぐさま意味を理解してくれたじゃないか。
「私はあなたの専門家ですからね。例外です。この歌を瞬時に理解できるのは、私とあなたの父上、それに帝くらいでしょうか」
「帝?」
「あの方は、あなたと同じ種類の天才ですから」
「帝の噂はかねがね伺っております。いつか謁見したものですが」
「あまり期待はしないほうがよいでしょうけどね」
「え?」
「あなたと帝は、あまりに同じ過ぎます。お互いがお互いの歌を好ましく思うでしょう。お互いの長所も短所も、いやというほど見えるでしょう。そしてお互いのことを憎く、思うでしょう」
「なんでそんなことが言えるのです?」
「年の功です。って女性になんてことを言わせるのですか」
「自分で言ったんじゃないですか」
「言い訳無用。さぁ罰として、私のために何首か詠じなさい。私を楽しませなさい」
七月×日
六百番歌合の下馬評は、六条藤家に傾いている。
というより、九条家を嫌いな者が多い。
兼実殿は公正明大なお方だ。
朝政の全権を得て以降、京の膿をすべて出し尽さんとした。
収賄などは可能な限り禁じ摘発した。
規律を守らせ悪しきを罰した。
脛に傷あるもの達はみな、何かしらの制裁を受けた。
兼実殿の誤算は、脛に傷ある者たちがあまりにも多すぎたことであろう。
今年でちょうど四百年となる平安の京は、あまりにも腐敗しきっていて、腐敗していないものこそが悪者となる。
その結果、九条家は多くの者を敵に回すこととなった。
今後どうなっていくのか。
とりあえずは、目前に迫った歌合に集中しよう。
八月×日
今日も姫様宅で歌を考える。
……たぶん、母を喪った件にかんして、いろいろ慮ってくれているのだろう。
気を紛らわせようとしてくれているのだろう。
そんな気がする。
九月×日
良経殿の館で、六百番歌合があった。
四番目に、俺の出番があった。
題は「元日の宴」である。
俺は、
「春くればほしのくらゐにかげ見えて 雲ゐのはしにいづるたをやめ」
と詠んだ。
「新春の宴でそれぞれの位の星々(臣下)が輝き、天の階段から乙女の天女が降りてくる」という意味だ。
姫様には
「幻想的で、物語的。天を舞台にした宴とは意表をつきますね。ですが意表をつきすぎて空回りしている感もあります。初っ端に相手の出鼻を挫く歌という意味では、アリです」と評された歌である。
対する相手の歌は、
「いつしかと袖をつらぬるももしきに よろづよめぐるははるのさかづき」
判定は俺の負けであった。
初戦黒星でちょっと凹む。
次の出番は十番で、題は「余寒」。
俺の歌は、
「かすみあへずなほふる雪に空とぢて 春物ふかき埋火のもと」
対する相手の歌は、
「霞しくけささへさゆるたもとかな ゆきふるとしや身にとまるらん」
この勝負は俺の勝ちであった。
このようにして次々と勝負が進んでいく。
他人の勝負で興味深かったのは、十三番の勝負である。題は「枯野」。
「見しあきをなににのこさむくさのはら ひとへにかはる野辺の気色に」
「しもがれの野べのあはれを見ぬ人や秋の色にはこころとめけむ」
前者が勝利した。
この「見しあきを」の歌は『源氏物語』に出てくる歌を下敷きにして詠じられている。
しかし、そのことを知らない者がけっこういたのだ。
俺が昔そうだったように、源氏物語は女子供の読むもので、歌とは関係ないと思われている。
これに対して父は憤慨。
「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」
と断言した。
つまり「源氏物語を読まない歌人はなってない!」と一喝した形になる。
この歌合の記録は公的に残る。
それもこれだけ大規模な歌合はそうそうないだろうから、後世の歌人は父の発言をみな目にするだろう。
この時代を代表する歌道の巨人が、源氏物語を重視したと、後世の人々は解釈するだろう。
そういう意味で、非常に意義深い発言であったと思う。
その後、歌合は恙無く進んでいった。
御子左家の優勢に進み、蓋を開けてみれば御子左家が圧勝する形で幕を閉じた。
六条藤家の顕昭殿は最後に「陳状してやる。こんな結果絶対おかしい。こんな結果絶対おかしい」とブツブツつぶやいていらっしゃった。
その姿はまるで幽鬼のよう。
それを馬鹿にすることは、俺にはできない。
この歌合は、政争の一種であり、家のメンツを賭けた戦争であり、そして、お互いの理念の衝突でもあった。
大差で敗れてしまった六条藤家は、己の理念と信念について再考を余儀なくされる。
それは政争で負けるよりも、辛いことだ。少なくとも俺にとっては。
ちなみに俺個人の戦績は、45勝23敗32分であった。
白星が半分行かなかったのが悔しい。
十月×日
六百番歌合が終わって、ドッと疲れた。
いやそうではないな。
歌合の準備で、母の件をごまかしていたのだ。
母の喪中ゆえ、歌合参加は見送ろうと辞退を申し出たのだが、良経殿に「絶対に出ろ」と厳命されていた。
あの時は単に、御子左家のメンツのためかと思っていたが、どうやら俺の心情を慮ってくれていたらしい。
歌合に集中して寂しさを紛らわせろと、そういう気遣いであったらしい。
俺はいつまでたっても、他人の気持ちを察することのできない男だ。
結婚以来、俺は両親とは別宅に住んでいた。
だから知らなかったのだが…...いやそれは言い訳か。
ともかく俺は知らなかったのだが、母は晩年、八条院に仕えていたらしい。
つまり姫様が世話になっていたお宅で働いていたらしい。
姫様と母がなぜ親しげなのかを、最近になってようやく知ったわけだ。
母は生前、『源氏物語』が好きであった。
それは単に趣味で好きということだと思っていたが、どうやら心の底から好きだったらしく、「源氏供養」というのも行っていたらしい。
架空の物語を創作することは、仏教の五戒の一つに「不妄語戒」つまり「嘘をついてはいけない」に反する。
これを破ると地獄に落ちるという。
それゆえ紫式部は地獄に堕ちた、という伝説がある。
母はそれを聞いて嘆き悲しみ、紫式部の供養を毎年必ずしていたらしい。
母の没後、通夜にいらっしゃった母の同志の方から伺った。
そんなことをしているなんて、全然知らなかった。
俺は、母のことを、何も知らなかったのだと、気づかされる。
いまさら気づかされる。
十一月×日
慈円殿から「年末は比叡の中堂で過ごさないか」とのお誘いを受ける。何か思い悩むことがあるなら仏様に縋ってみてはいかがかと。
その誘いを受けることにする。
十二月×日
いま俺は、延暦寺根本中堂にいる。
目の前で「不滅の灯火」が揺らめいでいる。
この灯火は、伝教大師の開山以来、ずっと灯され続けた。
俺が生まれるはるか以前から灯され続けてきたのだ。
炎というのは、それだけでも何か、妖しい蠱惑的な存在だと思う。
それが数百年も灯され続けているとなると、もはや何か人智を超えた存在であるかのように、思えてくる。
その灯火をぼんやりと見ながら、いろんなことを考える。
俺は人の気持ちがわからない人間だなと、つくづく思う。
母のこともそうだし。
姫様のこともそうだし。
そして、妻のこともそうだ。
いや、元妻か。
元妻は、結婚後、絶望していた。
俺が彼女に、なんの興味もなかったから。
俺としてはお互い無干渉であることが最善だと信じていた。
いやそれは欺瞞か。
俺は、他人というものが苦手なのだ。
人付き合いといものが、どういうことか良くわからぬのだ。
相槌の打ち方がわからぬのだ。
話題の切り出しかたが分からぬのだ。
次の言葉を考えているうちに、話題が別のものになっていくのだ。
自分の言葉が相手にどう受け取られるのか、わからないのだ。
俺はただ、歌を介してのみ人と交わることができる。
ああ。母は俺と姫様を同類と言ったが、本当にその通りだ。
俺も姫様も虚構の世界に生きている。
それはとても歪なあり方なのだろう。
閑話休題。
元妻には、姫様の存在が許せなかった。
なるほど夫は他人に興味が無い。そう思えるからこそ、我慢もできた。
自分だけに無関心ではないと思えばこそ、耐えることもできた。
しかし夫には、関心を向ける女性がいる。
来客など西行法師を除けば、自分から招いたことなどほとんどないのに。
その女性にだけは何度も誘いの声をかける。
しかもその女の文を盗み読めば、どこからどうみても艶文にしか見えなかった。
お互いを理解し合っている恋仲の男女のやりとりにしか見えなかった。
この女は、夫を寝取るつもりだろうか?
そんなのは、絶対に、許せない。




